おはようございます。
信夫です。先日NHK 歴史ヒストリアで「上杉謙信」の話をしていた。
領土内の郷士が身勝手なことばかりいい、謙信が家出をしてしまう。
謙信の生き方は皆様ご存知のとおり、義を重んじ他の人のために仕事をしているのに、受け入れられず理想と現実のギャップに悩んでいた。
そんな時謙信の答えを見つけるきっかけは、達磨和尚の「不識」問答であるらしい!!
私もそれを聞きなんとなく開眼した気分になった!!!!
内容は ”達磨大師”と、中国の皇帝”武帝”との話しです。
皇帝は達磨大使にたずねた。
「自分は仏の為、たくさん寺を造り、お布施をしてきました。どれほど価値があるでしょうか?」
達磨大使 「あなたのしたことに、価値など無い」
皇帝 「ならば、高名な僧侶であるあなたに、価値はあるのですか?」
達磨大使 「不識(知らぬ)」
善いことをすると「功徳」と いう お返しを人は心の奥に期待します。これは迷いのもとをこしらえておるようなものです。
そうする事によって「自我慾」を高めることになり、功徳につき纏う善意は善意であっても「善意にあらず」「真実にあらず」と 大師 帝を説く。
何にも出来ない自分だけど、出来ないなりに「自分の身を削って何かをしている・・・・何かをしてやっている!」
見たいな自分が居たような気がして自分が情けなくなりました。
ネットでこの話をいろいろ考えている間に、初心に帰り新しいviggoを作らなければ!!と思っていたら「曹洞宗の朝活禅」を見つけた
そして昨日行ってきたのです。これは6回の講義構成になっており、今まで坐禅をしたことの無い私にもはいりやすいものでした。坐禅については次回にします。楽しみにして置いてください