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Natsume Life Log

見にきてくれて出会ってくれてありがとう❀.*・゚

おニューの日記を買ったよ^_^


「しあわせ日記」なるもの


新しい手帳や日記、ノートとかをおろす瞬間って


なんとも言えないワクワクがあるよね( ¨̮ )

最近、「政治的思考」っていう本を読んだ。


私はずっとアイドルのオタクをやっているんだけど、

最近、そのアイドルに対して、自分の意見に共感して欲しい!っていう雰囲気を纏った愚痴投稿がよく流れてくるの。


「新曲は彼らの良さを潰してる」


「○○やってる時間あるなら○○して欲しい」


「自由投稿に偏りありすぎじゃない?」


とかね。


私的には、その気持ちもわかるけど、そんなに否定してはいけないんじゃないかな、アイドルだってファンの前に立つために休みなく努力してくれてるのわかるからな、って思ってるのね


でもやっぱりそういう投稿は減らなくて、

なんとなーくオタ活に疲弊していた時にこの本を

読んだの。


「政治をする上での政治的な意見にはそれぞれ部分的な正しさがある」


「政治は善悪を論じる場ではない」


「政治は複雑で不透明性のあるもの」


これを読んで、オタ活にも通ずる考えだなって思った。


もちろんファン一人ひとりの意見も正しい部分がある、

ただ内実を知らないファンからしたら、不明瞭な行動に対して強すぎる意見をぶつけてるときもある。

あたかも自分が完全に正しいかのように述べられている意見もある。


それぞれの価値観によって出てくる意見に善悪を求めてはいけないよな。


こういうところすごくいいからもっと発展して欲しい!


この部分がもっとこうなったら嬉しいな〜!


みたいな、前向きな言葉を選んでオタ活していきたいな。

普遍的な日常を送っているとふと

非日常を感じたくなるのだけれど、


私は、


「いつもと違う日記帳買っちゃお」


とか


「今日は特別に好きな○○食べちゃお」


っていうような物事で非日常を感じることが

多いのね。


自分以外の人はどんな物事に非日常を感じることが

多いんだろう。

最近、散歩しながら感じたことなのだけれど、


写実的な絵が上手な人ってどんな世界が目に映っているのかな


という話。


自分は学生の頃から良くも悪くも普通の美術センスだと自分では思っているんだけど、高校3年生の頃「学校の一部分を水彩画で描きましょう」っていう課題があったのね。


そこで、画角を決めて写真を撮って、絵を書き始めたらなんだか想像と違う絵が出来上がって。陰影?なにかが足りないっていう感じの絵だったんだよなあ、っていうのを散歩してたらふと思い出したの。


そこで、そういえば自分の推しって写実的な絵が上手な人が多いんだけど、自分が見ている世界と推しが見ている世界では何か違いがあるのかな?と思ったという経緯。


作者によって写実的に創造されて、観覧者によって叙情的に受け取られる


芸術っていいね、自由だ。



私は大学で国語学を専攻しているのだけれど、日本語について研究している中で、ふと感じることがあったから書き残しておく。

 

文学部に所属しているから、小説も論文も音声も、様々な「ことば」に関する本を読む機会がある。必然的に「本」に触れる機会が多いから、それに伴って日本語の知識が増えていく。それまで普遍的で一般的なことばで自身が表現していた物事を、より的確で自分の想像との距離が近いことばで表現することが可能になる。それだけ勤勉に取り組んできた自分は素直に褒めたい。

 

ただそこで、そのことばを知識として得たとしても、実際に自分が使用するかどうか。

自分の想像にどれだけ近しい言葉でも、相手に伝わらなければ意味がない。対象が人である発信なら尚更。

 

日本語を学ぶ理由ってなんだろう?知識とことばの選択権を得ること?