男にだって分かる
久し振りの休み。
と言っても、夜から稽古。
今はBS-Japanで天然コケッコーを観ております。
バレンタインの翌日の、浩太朗が大沢くんにチョコを渡すシーン、
いいですね。男ってこうなんですよね。
見せない事が美学みたいな。
シャンプーハットの黒田さんもいいですね。
と言っても、夜から稽古。
今はBS-Japanで天然コケッコーを観ております。
バレンタインの翌日の、浩太朗が大沢くんにチョコを渡すシーン、
いいですね。男ってこうなんですよね。
見せない事が美学みたいな。
シャンプーハットの黒田さんもいいですね。
朝食抜きで、脂っこいもんなんか食べるもんじゃない。
劇団銀石を二度も観て、本当に面白くって、純粋に悔しくって、
何でこんな面白い公演に関われずに僕はアルバイトなんかをしてるんだろうって思ったりして、
ただ、ニートのままでは生活していけないし、芝居も続けられないってことは分かっていて、
今日も僕はほぼ40歳以上の老若男女にロッカーの鍵を渡すアルバイトをして参りました。
特筆すべき点、一つ。
銀石の公演に挟まれている青学劇研のフライヤー、いい仕事をしている。
詳しくは実物を見てほしいので言わないが、
劇場の薄暗い客席では見えないギミックが施されている。
明るいお家で再度見直して、新たな発見がある。是非観てほしい。
作成者は加藤諒だ。最高傑作の出演者でもある。
彼は本公演の特殊言語を一から作り上げた首謀者である。
多才だ。
ちなみにタイトルは、今日の昼ご飯に炒飯を食べてからおなかが痛い事について。
何でこんな面白い公演に関われずに僕はアルバイトなんかをしてるんだろうって思ったりして、
ただ、ニートのままでは生活していけないし、芝居も続けられないってことは分かっていて、
今日も僕はほぼ40歳以上の老若男女にロッカーの鍵を渡すアルバイトをして参りました。
特筆すべき点、一つ。
銀石の公演に挟まれている青学劇研のフライヤー、いい仕事をしている。
詳しくは実物を見てほしいので言わないが、
劇場の薄暗い客席では見えないギミックが施されている。
明るいお家で再度見直して、新たな発見がある。是非観てほしい。
作成者は加藤諒だ。最高傑作の出演者でもある。
彼は本公演の特殊言語を一から作り上げた首謀者である。
多才だ。
ちなみにタイトルは、今日の昼ご飯に炒飯を食べてからおなかが痛い事について。
取り敢えず、髪を切りたい。
はちみつ終了時から、伸ばしっぱなしです。
はっきり言って、鬱陶しい。
何がって量が。
長さもそりゃまぁ、僕からしてみたら半端無いんですが、
aquapolisの時と比べちゃえば、同じくらいだし。
ただ、父親譲りの太毛&多毛。
なんとまぁ、ボリューミーな頭でしょう。
ワックスは毛先を遊ばせる為に使うのではなく、
遊びを抑制する為に使います。
いっそパーマでもあててみるか…。
はっきり言って、鬱陶しい。
何がって量が。
長さもそりゃまぁ、僕からしてみたら半端無いんですが、
aquapolisの時と比べちゃえば、同じくらいだし。
ただ、父親譲りの太毛&多毛。
なんとまぁ、ボリューミーな頭でしょう。
ワックスは毛先を遊ばせる為に使うのではなく、
遊びを抑制する為に使います。
いっそパーマでもあててみるか…。
依存について
携帯電話への依存。
最近聞かなくなりました。
それはやっぱり、生活に密着してきたから。
「依存」という言葉、
すごくマイナスイメージで、
何かと説教がましく聞こえます。
若者がケータイに依存している。
と、何年前か騒がれていました。
僕は、ケータイを手にするのがかなり遅かったので、
他の大人と同じように、世も末的思想を持っていたんです。
ただ、文明の利器に依存していくのは、
あまり特別な事ではないですよね。
我々は、
パソコンに依存しています
車に依存しています。
冷蔵庫に依存しています。
電気に依存しています。
さまざまなモノに依存して生きています。
我々は、
パソコンの普及で記憶を疎かにしています。
車の普及で自らの足を疎かにしています。
冷蔵庫の普及で計画性を疎かにしています。
電気の普及で色々疎かにしています。
パソコンがなければ、仕事になりません。
車がなければ、買い物も営業も出来ません。
冷蔵庫がなければ、三度のメシもままなりません。
電気がなければ、上記三つが全て成せません。
今となっては、ケータイがなければ、
仕事の連絡もできないし、待ち合わせも出来ない。
電車に乗れない人も居るかもしれないし、
朝起きれない人も居るかもしれない。
新しいモノを、取り敢えず否定してみる大人が嫌いです。
専業主婦に必要な物は、20世紀に出揃ったと思います。
これからは、若者が欲するものがどんどん出てきてます。
作ってるのも、大人です。
最近聞かなくなりました。
それはやっぱり、生活に密着してきたから。
「依存」という言葉、
すごくマイナスイメージで、
何かと説教がましく聞こえます。
若者がケータイに依存している。
と、何年前か騒がれていました。
僕は、ケータイを手にするのがかなり遅かったので、
他の大人と同じように、世も末的思想を持っていたんです。
ただ、文明の利器に依存していくのは、
あまり特別な事ではないですよね。
我々は、
パソコンに依存しています
車に依存しています。
冷蔵庫に依存しています。
電気に依存しています。
さまざまなモノに依存して生きています。
我々は、
パソコンの普及で記憶を疎かにしています。
車の普及で自らの足を疎かにしています。
冷蔵庫の普及で計画性を疎かにしています。
電気の普及で色々疎かにしています。
パソコンがなければ、仕事になりません。
車がなければ、買い物も営業も出来ません。
冷蔵庫がなければ、三度のメシもままなりません。
電気がなければ、上記三つが全て成せません。
今となっては、ケータイがなければ、
仕事の連絡もできないし、待ち合わせも出来ない。
電車に乗れない人も居るかもしれないし、
朝起きれない人も居るかもしれない。
新しいモノを、取り敢えず否定してみる大人が嫌いです。
専業主婦に必要な物は、20世紀に出揃ったと思います。
これからは、若者が欲するものがどんどん出てきてます。
作ってるのも、大人です。
正しさと、易さ
ここ最近、言葉の正しさについて考えます。
何か、ちょっと奇抜な表現しちゃったときとかに、
「それを言うなら○○でしょ」とか、訂正してくる人とか、
「は?○○じゃなくて?」とか咎めてくる人って、
何かイラッとしちゃうんですよ。
笑いながら確認する程度だったら全然アリなんですけど。
僕自身、ここ最近、めっきり本を読まなくなったので、
言葉のストックが減って来ては居ると思うんですが、
やっぱり「言葉」は「道具」だと思ってるんですね。僕は。
人に何かしら伝える為の道具だと思うんですよ。
もともと、その言葉が持つ意味だとか、
昔と今では、意味が真逆になっていたり、
微妙なニュアンスが排除されたり、加えられていたり、
言葉って、その時代によって変化してるじゃないですか。
多分、小・中の頃に「枕草子」って国語で習ったと思うんですけど、
だいたいの人間が「『をかし』ってそういう意味かい」とか思ったと思うんですよ。
そういう感じですよ。
「おかしい」って言葉には、滑稽であるとか、変なサマ、妙なサマって意味と並んで、
趣きがある、という意味が未だに辞書にも載ってるんですね。
ただ、「それはおかしいね」という台詞には、今や「趣き」の意味を感じません。
むしろ、「面白い」という言葉の方がぴったり来ます。
いい例が出た。
この、「ぴったり来ます」という言い回しも、
「それは、しっくり来ますじゃないのか」とか言われると、ほんとイラっとしますね。
確かにそうなんですけど、僕は敢えて「ぴったり」を選んでるわけですから。
そもそも、聞いてる相手も意味がわかってて訂正してるわけですから。
実は、僕の父がそういった事に煩くて、
例えば、夕飯が終わってテレビを見ながら喋っているときに、
よくそんな面倒くさい口論になったりするんですよ。
口語の場合、洗練された文字列にする必要は、もともとないじゃないですか。
相手に伝えたいと思うから口にするわけで。
分かるじゃないですか。相手がどういうことを言いたいのか。だいたい。
家族なら尚更ですよ。
言葉の正しい使い方を知っているのは大事ですけど。
伝わりやすさを重視したいです。僕は。
だから、僕は、受け取る努力も惜しみませんよ。
何か、疲れちゃったんで、この辺にしときます。
何か、ちょっと奇抜な表現しちゃったときとかに、
「それを言うなら○○でしょ」とか、訂正してくる人とか、
「は?○○じゃなくて?」とか咎めてくる人って、
何かイラッとしちゃうんですよ。
笑いながら確認する程度だったら全然アリなんですけど。
僕自身、ここ最近、めっきり本を読まなくなったので、
言葉のストックが減って来ては居ると思うんですが、
やっぱり「言葉」は「道具」だと思ってるんですね。僕は。
人に何かしら伝える為の道具だと思うんですよ。
もともと、その言葉が持つ意味だとか、
昔と今では、意味が真逆になっていたり、
微妙なニュアンスが排除されたり、加えられていたり、
言葉って、その時代によって変化してるじゃないですか。
多分、小・中の頃に「枕草子」って国語で習ったと思うんですけど、
だいたいの人間が「『をかし』ってそういう意味かい」とか思ったと思うんですよ。
そういう感じですよ。
「おかしい」って言葉には、滑稽であるとか、変なサマ、妙なサマって意味と並んで、
趣きがある、という意味が未だに辞書にも載ってるんですね。
ただ、「それはおかしいね」という台詞には、今や「趣き」の意味を感じません。
むしろ、「面白い」という言葉の方がぴったり来ます。
いい例が出た。
この、「ぴったり来ます」という言い回しも、
「それは、しっくり来ますじゃないのか」とか言われると、ほんとイラっとしますね。
確かにそうなんですけど、僕は敢えて「ぴったり」を選んでるわけですから。
そもそも、聞いてる相手も意味がわかってて訂正してるわけですから。
実は、僕の父がそういった事に煩くて、
例えば、夕飯が終わってテレビを見ながら喋っているときに、
よくそんな面倒くさい口論になったりするんですよ。
口語の場合、洗練された文字列にする必要は、もともとないじゃないですか。
相手に伝えたいと思うから口にするわけで。
分かるじゃないですか。相手がどういうことを言いたいのか。だいたい。
家族なら尚更ですよ。
言葉の正しい使い方を知っているのは大事ですけど。
伝わりやすさを重視したいです。僕は。
だから、僕は、受け取る努力も惜しみませんよ。
何か、疲れちゃったんで、この辺にしときます。