子どもが中学受験に挑むことになり、その勉強を横で見ていると、ときどき複雑な気持ちになります。

 

難解な問題。

終わりのない暗記。

そして「偏差値」という数字を積み上げるために投じられる膨大な時間。

 

医学部受験を経験し、今は外科医として働いている私から見ても、中学受験の負荷は決して軽くありません。

小学生にここまで求めるのか、と感じる場面も少なくないです。

 

もちろん、この過程に意味がないと言いたいわけではありません。

目標に向かって試行錯誤し、自分を立て直し、うまくいかない中でも前に進む。

その中で得るものは確かにある。

自己管理や粘り強さ、ある種の思考体力は、こうしたプロセスの中で育つのでしょう。

 

ただ、それでも考えてしまいます。

この勉強の内容そのものが、子どもの将来にどれほどの意味を持つのか。

この時期にこれだけの時間を投じるだけの価値が、本当にあるのか。

 

小学生という時期は、二度と戻らない。

体を動かすこと、知らない景色に出会うこと、実物に触れること、好奇心の赴くままに世界を広げること。

そうした経験の中でしか育たないものも、確実にあるはずです。

にもかかわらず、その貴重な時間を、限られた尺度の競争に大量投入する。

そのことに、親としてためらいを覚えないわけにはいきません。

 

偏差値だけで決まる未来など、たかが知れている。

一方で、学歴が社会において依然として有効なカードであることも事実です。

このあたりが、中学受験の厄介なところだと思います。

理想だけでは進めず、現実だけでも割り切れない。

 

私自身は、人としての成長の方を優先したいと思っています。

ただ、それはある意味で子どもを信頼しているからこそ言えることでもある。

もし成績が不安定で、先行きがまるで見えなかったら、同じことを同じように言えるのか。

そこまで問われると、あまり強くは言えません。

 

結局、親もまた試されているのだと思います。

偏差値を追う中で、何を得て、何を削っているのか。

どこまでを現実として受け入れ、どこから先は譲らないのか。

その線引きを、受験の最中に考え続けるしかない。

 

そんな迷いを抱えながら、私は今日も、中学受験というなかなか過酷なプロセスに伴走しています。