ご覧の通り、私は子供たちを、かなりしっかり受験のレールに乗せています。
算数は子供と同じ目線で思考し、理科や社会の復習方法を考え、テスト結果を分析し、どこで点を落としているのかを一緒に確認しています。
世間から見れば、かなり教育熱心な親に見えるかもしれません。
一方で、私は「受験は人生の全てだ」とは全く思っていません。
むしろ逆です。
受験は重要です。
でも、人生を全振りするほど重要ではありません。
これは、競争を外から眺めているだけではなく、自分自身がその競争を実際に通ってきたからこそ感じることです。
受験は、決して無意味ではありません
受験勉強で鍛えられるものは確実にあります。
継続力、忍耐力、計画力、修正力、自己管理能力。
こうした力は、社会に出ても役立ちます。
実際、医学部受験やその後の勉強を通して、私は「どうやって大量の情報を整理し、再現性高く扱うか」を学びました。
だから、学力や受験を軽視するつもりはありません。
子供たちにも、勝てるなら勝たせたいと思っています。
ただ、受験には“副作用”があります
問題は、「受験で得た成功」を「自分の人間価値」と結びつけてしまうことです。
私は医療の世界で、東大理三や京大医学部卒の人たちも見てきました。
もちろん、皆優秀です。努力もしています。
しかし、受験で最強だったからといって、その後の人生が自動的に幸せになるわけではありません。
社会や臨床現場では、評価軸が変わります。
技術、判断力、人間関係、精神安定、協調性、継続力。
点数では測れないものが大量に求められます。
その時、「自分は特別な存在である」という自己像と、現実社会での扱いのギャップに苦しむ人がいます。
周囲を見下すことで自我を保とうとする人もいました。
実はそういう人も根は悪い人ではないと思います。
むしろ真面目で努力家だったのかもしれません。
ただ、「偏差値=自己価値」という構造の中で長く生きすぎたのだと思います。
私は、それを受験社会の副作用だと感じています。
だから私は、子供に“全振り”させません
もちろん、努力はさせます。
現実社会が競争である以上、武器は持たせる必要があります。
ただし、人格を削ってまでやるものではありません。
もし子供が、人を見下す、イライラが増える、嘘をつく、人の価値を偏差値だけで測り始める。
そうなったら、それは危険信号だと思っています。
そんな状態になるくらいなら、受験なんてクソ食らえです。
私は、子供に「勝つこと」は教えたいです。
でも同時に、
勝ったから偉いわけではない
ということも教えたいです。
私が子供たちに本当に望んでいるのは、
壊れずに、自分の最高値を目指すこと
です。
睡眠を削り、人格を削り、人生を犠牲にしてまで偏差値を追い求める必要はありません。
でも、努力から逃げてほしいわけでもありません。
受験は、あくまで“自己成長の道具”であるべきだと思います。
私は子供たちに、効率よく学ぶこと、精度を高めること、修正すること、継続することを教えたいです。
そしてその先に、人生を楽しむこと、家族を大切にすること、他人を尊重することも、同じくらい大事だと伝えたいです。
受験は勝てばいいです。
でも、人生まで受験に支配される必要はありません。