■月に1回か、2月に1回か、とある畳店の広告が新聞に入ってきます。

 

 季節感を感じさせる内容に、いつも惚れ惚れしているところです。本日(20260910)に挟まってきたチラシの題名は「揺れる熊本」でした。曰く、

 

 あれだけ怖い思いをしたのに、10年も経つと普通の暮らしに戻り、地震のことなんてほとんど考えなくなっていました。

 それなのにあの日、地の奥深くから伝わる生き物の唸りのような響きと共に揺れた瞬間、・・・・・

 まさか10年後に、また熊本で大きな地震があるなんて思ってもいませんでした。

 「もうここまででよかかな」そんな言葉が農家さんから出ても、おかしくないと思う。

 国産のい草が作れなく慣れば、国産の畳もなくなる。これは八代だけの問題じゃなく日本全体の問題です。

 植え付けをし、水を管理して、暑い時期に刈り取り、泥染めをして乾燥させ編む。一本のい草が畳表になるまで、農家さんには私たちが見ていない時間がたくさんあります。畳屋には「い草」という商品を買っているのではなく、その向こうにある農家さんの一年を受け取っているんだと、今回の地震で、そのことを改めて考えさせられました。

 

 以上は、中略だらけです。この1枚のチラシを読むと、生産という場面の向こう側が類推できる内容となっています。

 

 下は、畳表を染める染土です。

 

 

■大昔、「一本のバナナから」という本がベストセラーになりました。今で言う、フェアトレード推進の本と言えばそれまでですが、現地の人の多くの手を借りて、日本という市場に出回っているのを、我々消費者は、なるべく安く買おうと東奔西走しているわけです。

 

 1つの生産物を見た時、その向こう側が類推できる人になりたいなーと、今更ながら、感じさせてくれた1枚のチラシでした。

 

 逆に言うと、「1枚のチラシの向こう側」ということにもなりますね。湯前畳店の広告でした。