■最近、この言葉が新聞紙上でよく出てきます。
ウクライナ語ではこれ、ロシア語では「チェルノブイリ」です。
こう言えば、もうおわかりですよね。ロシアで問題になった原子力発電所のことですね。
時は1986年4月26日でした。日本にも、風に乗って、放射能がやってきました。
当時、山の清らかな水は飲まないようにしていたものでした。
■今回の戦争によって、キエフからキーウという首都名まで表現が変わりましたよね。
佐賀新聞の「有明抄」というコラム(20260425)で、このことが書いてあり、そうだったのか!と初耳だったことでした。
このコラムには、鎌田實氏のことも詳細に書いてありました。この原発事故で被災した子どもたちの支援についてです。
■白血病で苦しむ男児を日本で治療したいと申し出た時、向こうの担当医師は
「一人だけ連れて帰ってもらってもこの地で起きていることの解決にはつながらない。この病棟の子どもを救うために私を教育してくれ」
と言ったというのですね。
コラムでは、こうまとめてありました。
「本当に大切なことは、この地に生きる大人たちがこの地で子どもたちを助けられるようにすること」
「単に相手ができないことをやるのではなく相手が自ら答えを見つけ、立ち上がれるように寄り添うことなのだ」
考えさせられたコラムでした。