■朝日新聞(20260203)に「アウシュビッツの記憶」という記事が出ています。

 

 博物館の館長へのインタビューです。次のセリフが心に染みました。

 

・「我々はアウシュビッツでの恐怖を、生き延びた人たちのように語ることはできませんが、記憶はできます。」

 

・「年間約200万人に上る訪問者が見学を終えた後、ある種の道徳的な不安を感じてもらうところに、私の目的はあります。あの悲劇に対して自分が無関心なのではないかと、自問することです。記憶は、決してあなたを喜ばせるためにあるのではなく、過ちを指摘し、無関心な点を暴き、行動不足を告げるためにあるのです。」

 

・「政治的に対立する側、異なる思想を持つ人を「敵」と呼び、完全な人間として扱わないような提案を始めます。こうした、状況が退行していることを示す初期の兆候を見た時、自分に何ができるかを考えなければなりません。」

 

■アウシュビッツとはドイツ語、現地のあるポーランド語では「オシフィエンチム」と言います。私は、昨夏、ここへ行ってきたわけですが、この記事を読んで、実に考えさせられました。

 

 ロシアがウクライナを攻撃しても、募金はするが、それ以上のことはできない、ガザも一緒だし、ベネズエラだって、グリーンランドだって、イランだって、何もできません。

 

 この記事ではポピュリズムとか、ポピュリストというのが話題に上がっていました。和訳で、「大衆迎合主義」というのだそうで、一部のエリート層を批判するために、大衆が迎合するような言動を行って扇動するという意味だそうで、確かにそんな気配のある世界となっていますよね。

 

 一体、我々はどあればいいのでしょうか。一人では何もできない、少なくとも、今日の選挙に行って、一票を投じることしかできない、という現在地にいるわけです。

 

 もっと、考えていかねばならない「課題」を突きつけられた形です。

 

■それとは別件で、朝日新聞(20260202)には、「安楽死と障害者殺害 たぐる記憶」と題して、ナチ・ドイツの「T4作戦」というのが紹介されています。

 

 上のアウシュビッツほどには知られてこなかったらしく、タブー視されていた面があったとのことでした。

 

 それによると、精神障害を含め、障害者を毒ガス室で殺害したり、安楽死させたり、解剖したりしたという差別です。

 

 これによると、ヒトラーは「健康なアーリア人種による強い国」を標榜し、7万人が犠牲になったということです。

 

「バスからの下車、ガス室、解剖台、加工された廊下(引きずりやすいように)、焼却炉」とシステム化されていたということです。

 

 ドイツ中西部のハダマー記念博物館で、これを見ることができるということでした。

 

 こんなことがない世界を祈りたいものです。