原爆慰霊碑の移設(「天声人語」朝日新聞20230522)

 

1)韓国人被爆者慰霊碑の場所

 

■コラムにこうあります。

 

「韓国人の被爆者の慰霊碑は1970年にできたが、平和記念公園内に置くことは認められなかった。公園への移設容認は98年。」

 

■私は中学社会科教諭として、1986年に広島へ中学生を修学旅行で引率しました。

 

 その時の学年部での事前研修で話題になったのが、このことでした。

 

 なぜ、同じ被爆なのに、韓国人の慰霊碑は公園の外なのか、これこそが差別ではないのかということでした。

 

2)人権教育のテーマに!

 

■当時は同和教育といって、このことを平和教育と同様に、授業をしていったことでした。

 

 そして、現地へ趣き、確かに川の向こう側にあるという認識が新たになったという感じがしたのを今でも覚えています。

 

■このことが、今なお、日韓の問題に続いていうような気がしているところです。

 

 しかし、このコラムによって、今では移設されているのだという、新たな認識となったことでした。

 

 そして、今回のサミットで、日韓のトップがここを訪れたというのも、何らかの象徴であるような気がしているところではあります。

 

3)原爆ウラン鉱山 流出懸念(熊日20230517)

 

■別件で、こんな記事もありました。

 

 広島と長崎で使用されたウラン鉱山がコンゴにあるのだそうです。

 

 シンコロブエ鉱山というのだそうです。採掘は終わっているらしいのですが、ここが今、盗掘にさらされていて、「核の闇ルート」になる懸念が出ているというのです。

 

 問題山積みですね。

 

「一難去ってまた一難」?