■朝日新聞 2021年1月4日(月) 「光秀・・・」
■普通に考えると、トップは最前線に行かないのではないか?とは思っていましたが。
「家臣の証言 古文書に」という小見出しで、本能寺の変に関して、新しい情報がでてきたという記事です。そのポイントは4つだそうです。
1)光秀重臣の斎藤利三が事件前日の6月1日昼に亀山城を訪れ、光秀謀反の決断をしる
2)光秀軍の亀山城の出発は1日の日暮れ
3)光秀軍の兵たちが本能寺に向かうことを告げられたのは、真夜中に休憩した桂川の河原
4)信長側の光秀軍襲撃の第一発見者は寺で水をくむために門外に出てきた召使。信長は乱れ髪で白い帷子姿。
■信長最後のシーンは次のようだったそうです。
信長は畳を四方に立て、4,5人の侍女に「いずれも出よ、出よ」と言って退室を命じたという。
ウーン、このシーン、頷けますね。
このような重要書類が今頃なぜ、出てくるのか?、不思議でなりません。