■熊本日日新聞 2018年9月30日(日) 「熊本城・・・」

 

■「逆説の日本史」の井沢氏の講演を聴きに行ってきました。新聞でも紹介されていたので、取り上げてみました。

 記事の前半にはよくまとめてあるなーと思いました。付け加えるなら、その「常識」の例を、傘をさして登壇と、私なら書きます。まずは、冒頭から、いかに我々が常識に縛られているかを、モノを持って示された、と結ぶでしょう。

 

■問題は後半です。熊本城を西郷隆盛が落とせなかったことに対して、井沢氏の「隆盛は晩年、政府軍に負けたのではなくして、清正に負けたと語った」という話は、熊本人なら誰でも知っている話でここは不要かなと思いました。むしろ、なぜ東京へ攻めに行かず、熊本城で脇道にそれたのかに関して、井沢氏は述べようとして、話を飛ばされました。つまり、肝心の答えは聞けなかったのです。記者は持論を述べたと言っていますが、その理由を知りたかったとは思われなかったのでしょうか。私も、この点については不思議で仕方がなかったのです。官軍が来たのはあとからで、さっさと、井沢氏も述べられたように、上京して新政府を攻めればよかったのに!と、前々から思っていて、この話をするのなら、理由が聞きたかったというのが、参加者の一番の消化不良部分ではなかったでしょうか。

 私なら、この持論の理由を、ぜひ聞きたいものであると、まとめるでしょう。

 

■何しろ、井沢氏は歴史への造詣が深いのか、話が四方八方に飛び、面白くはあったのですが、肝心な部分が深掘りできなかったのではと感じた次第でした。題名は、「加藤清正と西郷隆盛」でした。