■各紙 2018年4月14日(土) 熊本地震関連

 

■熊本地震から丸々2年ということで、各紙、特集されております。今一度、確認する必要があるかと思います。防災教育としても、社会科の教材としても。

 ただ、抜け落ちているのは、過去の記録の掲載です。私は、新著で以下のようなワークシートを準備致しました。ぜひ、ご笑覧いただけると、有り難いです。

 

★明治図書

『見方・考え方を鍛える 小学校社会科探求ワーク』

https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-216735-5

https://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20180205

 

■まずは、1889年の明治熊本地震(通称:金峰山地震)のことを載せるべきでしょう。「災害は忘れた頃にやってくる」「過去に学ぶ」ということが必要ではないでしょうか。

名称

熊本地震

明治熊本地震(金峰山地震)

日時

2016年 4月14日・4月16日

(21:26) (1:25)

1889年 7月28日・8月3日

(23:49)  ?

震度

M6.5  M7.3

   M6.3推定  ?

震源地

熊本県御船町

熊本市西区(金峰山周辺)

死傷者数

(1年後統計)関連死含め225人

負傷者数 2753人

20人

家屋倒壊

8697棟全壊

     239棟全壊

様子

山崩れ、橋崩壊、道路損壊、液状化現象、ライフライン寸断、避難者数183882人、被害総額4.6兆円

「家屋、器物、石碑等顛倒シ泉川溜池溢出ス又道路ヲ歩行スル者ハ動揺中匍匐セシモアリト云フ」

デマ

ライオンが脱走!

金峰山(熊本市最大の元火山)が噴火する!

 

■続いて、1792年の「島原大変肥後迷惑」です。河内町の石碑に次のように刻まれております。

 

【寛政4年(1792年)、今から230年くらい前に、長崎県の島原にある雲仙の山が噴火して、山の一部が海へとふきとびました。その影響で、熊本の有明海沿岸に津波がおしよせました。島原、熊本で15000人ほどの人々がなくなりました。これを「島原大変肥後迷惑」と呼びました。そのことを後世に伝えようと、時の庄屋さん(鹿子木良平)の言葉を刻んだ石碑(熊本市河内町)が残っています。この文章から、何を学べばいいでしょうか。】

 
  四角形: 角を丸くする: 「欲心(よくしん)をわすれがたく、浜に出て船をつなぎとめんとし、家にあがりて資材(しざい)をとり出んとせし者はことごとく溺死(できし)せり、たまたま欲にひかれず速やかににげさりし者のみ危(あや)うき命たすかり。
 後代にかかることあらん時は、欲をはなれ、万(よろず)の物を顧(かえり)みず、ただ老いたるを助け、幼きを携(たずさ)えて、速やかにさけのくべし。かねてその道をもあたためおいて、急難(きゅうなん)にのぞみて迷う(まよう)ことなかれ。」

★この碑文(ひぶん)から学んだことは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■読んで頂けると、有り難いです!!!