■朝日新聞 2017年1月8日(日) 「モンゴル襲来」

 

■これは、私が一時期、相当なる覚悟の上で、研究したテーマです。現地(鷹島:以前はフェリー、今では橋!!)へは2回、博多(防塁跡+元寇資料館)には3回、菊池(菊池氏が出陣)には2回、南小国(寺への祈願+福岡への前線基地)へは1回と、広範囲に研究したテーマなので、外せません。もう前々から言われていたことですが、小見出しに「勝因は神風ではなかった?」というわけです。

 新聞で書く前から分かっている情報でして、あえてここで取り上げた理由は何なのか?

■ここで登場されている方にびっくり、くまもと文学・歴史館の館長さんが登場です。当時の文献より、台風説はないと! もちろん、2回目はありということですがね。台風説を外した授業を、市教育センターの「きらり」で授業を公開しました。この時、初公開というわけではなくして、ずっと歴史の授業では自らの研究を元に、やってきたことでした。

 

■では、答えは何かというわけです。ここからが新しい説明になるわけです。

1)1288年のベトナム侵攻の失敗で3回目がなくなった。

2)冬になる前に決着できなかった(鎌倉武士により激しい抵抗+防塁)から、引き上げた。

3)侵攻軍は移民船団であり、駐屯・開拓が目的だった。

4)襲来理由は、火薬の原料(硫黄)であった。

 

■歴史は、日々変わります。なぜなら、新しい発掘(現場+文献)がありますから。だから、その流れに沿って、授業をやっていく必要があるでしょう。

 別件で、歴史を繰り返してはならないというのもありますよね。特に、戦争とかですね。