■朝日新聞 2015年4月6日(月) 「人間・・・」

■リード文にこうあります。
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 何のため、誰のための高みなのか。運動会で10段、高さは7mもの人間ピラミッドをつくる組み体操への疑義を2月、オピニオン面の「耕論 体育で何を鍛えるのか」で紹介しました。寄せられた反響を元に、再び考えました。
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 体育科という教科は、他の教科とは一線画すところがありますよね。特に、体育会系という言葉が象徴しているかと思います。体力任せの集団というか、イケイケドンドンというか、そんなイメージをつきまとっていると思いませんか。私の認識不足かもしれませんが。
 その体育科で、よく言われるのが、例えば、「跳び箱、何のため? 別に飛べなくていいじゃん!」という論調ですね。これ、どう応えるべきなのでしょうか。

■このリード文がまさしくこれですよね。もうすぐ、春の運動会シーズンに入りますよね。これを機会に、この新聞に載せられた内容を読んで、上記の応えが自分なりに出せるよう、考え直してみたいと思ったことでした。