■熊本日日新聞 2015年2月3日(火) 「ピケティ・・・」
■『21世紀の資本』の著者、ピケティ氏が今、話題沸騰中です。富裕層は働かないで、株等々でもうける人々であって、これが格差を生んでいる、貧富の差を考えずに、一律に引き揚げる消費税に反対等々、講演会は満員ということです。(実は、本はまだ読んでおりません!)
■大学でケインズ経済学を学び、個人的に『選択の自由』(フリードマン氏=レーガノミクスを生み出した)を学習したのですが、経済学って面白いです。「竿竹や」の本もかなりいけていました。
さて、そのピケティ氏に関して、ここからは私見です。
■まず、日本は富の再配分は十分なされていると思います。なぜなら、国債の発行髙です。国家予算の半分以上を国債でまかなっているわけで、この国債残額は1000兆円になろうとしています。この国債、誰が買うか、国民一般も買うわけですが(実は私も3年国債を購入済)、多くは銀行です。中央銀行たる日本銀行から買わされるという表現がいいかもしれません。
話は変わって、この富の再配分の一番いい例は、税金です。皆から集めた税金を社会資本、社会保障として富の再配分を行うわけです。これを決めるのが国会議員、議員を選ぶのは選挙、我々が富の再配分をお願いしているわけです。
だから、選挙に行かないということは、勝手に配分してくれと、投げやりになっているのと一緒です。
仮に、若者の働く場所をもっとくれというのであれば、若い人々がもっと選挙に行って、そんな人に投票するしかないわけです。大人は現状維持を望むから、選挙に行くわけです。すると、時代は変わりません。つまり、若者の働く場所はありません!
(かって、専業主婦というのが当たり前でしたが、現在は両親共働き、さらには定年退職者の再任用で、若者の就職機会というパイは奪われてしまっております。なぜなら、この狭い日本で就職機会は起業でもしない限り、一定量は決まっているのです。それを大人が奪ったら、若者にはないわけです、これって、当然の結果です!)
■前に引き続き、銀行が買うということは、それは国民の貯金や企業資金によってです。貯金ができる人や多く貯金をしている人は、どちらかと言えば、富裕層です。この富裕層のお金が、橋や学校、医療、老人ホーム等々に消えているわけで、ここでまずは富の再配分が行われています。「自分のお金」という意識がないから、トラブルに発展しません。皆、他人のお金と思っていると思います。知らないうちに、預貯金は国家予算となっているわけです。何度もいいますが、他人のお金、税金としか思っていないわけです。だから、暴動がおきません。自分のお金はいつでも引き出せると。
もし、これが貯金のできない国だったら、もうとっくの昔に、韓国のように、「国家倒産」しているわけです。これだけ世界で発展している日本は、それらのお金で成り立っているわけです。ここに外資をいれた場合に、問題がでてくると思います。
■お金がお金をうむというシステム、これが大きな間違いだったような気がしています。もともとは、物の対価だったわけです。価値のない、紙切れのお金で、価値のない紙切れをうむという自体がもともと「アワ」にしかならないわけです。アワははじけます。「バブルの崩壊」というものです。サブプライム問題がそうでした。払えない人々に不動産をやすく売り、その金利をせしめていくという方法論は、土台無理がありました。最後ははじけて、どこぞやの金融機関が破綻に追い込まれるわけです。もちろん、お金を払わない個人も破綻します。
■これらは、教訓として、現物経済に換えるべきだと、私は思います。今更なに、言ってるの?という声が聞こえそうですが、「足るを知る」経済観念こそが環境問題を、貧困問題を解決しうる唯一の方法だと思います。
アメリカが武器の在庫を一掃するために戦争を起こすという噂があります。お金が回らないからでしょうか。そうなると、どこかがやられる、そして、現在のような問題(殺害など)に最後は行き着く、とも考えられます。
要は、必要な物を、必要なお金で(現金で)現物対価交換をしていけば、平和な世界、きれいな環境の世界が押し寄せると、村上は思います。クレジットという化け物、ないお金を借りてまで買おうとする「欲」、これが資本主義なのだと思います。我慢する心、質素倹約な心、これがわたしたちの願う、本当の幸せではないか、と思えてなりません。今の世界情勢を見るに付け!
たまには、こんなのもいいかと思って、思いつくまま、書いてみた次第です。
■『21世紀の資本』の著者、ピケティ氏が今、話題沸騰中です。富裕層は働かないで、株等々でもうける人々であって、これが格差を生んでいる、貧富の差を考えずに、一律に引き揚げる消費税に反対等々、講演会は満員ということです。(実は、本はまだ読んでおりません!)
■大学でケインズ経済学を学び、個人的に『選択の自由』(フリードマン氏=レーガノミクスを生み出した)を学習したのですが、経済学って面白いです。「竿竹や」の本もかなりいけていました。
さて、そのピケティ氏に関して、ここからは私見です。
■まず、日本は富の再配分は十分なされていると思います。なぜなら、国債の発行髙です。国家予算の半分以上を国債でまかなっているわけで、この国債残額は1000兆円になろうとしています。この国債、誰が買うか、国民一般も買うわけですが(実は私も3年国債を購入済)、多くは銀行です。中央銀行たる日本銀行から買わされるという表現がいいかもしれません。
話は変わって、この富の再配分の一番いい例は、税金です。皆から集めた税金を社会資本、社会保障として富の再配分を行うわけです。これを決めるのが国会議員、議員を選ぶのは選挙、我々が富の再配分をお願いしているわけです。
だから、選挙に行かないということは、勝手に配分してくれと、投げやりになっているのと一緒です。
仮に、若者の働く場所をもっとくれというのであれば、若い人々がもっと選挙に行って、そんな人に投票するしかないわけです。大人は現状維持を望むから、選挙に行くわけです。すると、時代は変わりません。つまり、若者の働く場所はありません!
(かって、専業主婦というのが当たり前でしたが、現在は両親共働き、さらには定年退職者の再任用で、若者の就職機会というパイは奪われてしまっております。なぜなら、この狭い日本で就職機会は起業でもしない限り、一定量は決まっているのです。それを大人が奪ったら、若者にはないわけです、これって、当然の結果です!)
■前に引き続き、銀行が買うということは、それは国民の貯金や企業資金によってです。貯金ができる人や多く貯金をしている人は、どちらかと言えば、富裕層です。この富裕層のお金が、橋や学校、医療、老人ホーム等々に消えているわけで、ここでまずは富の再配分が行われています。「自分のお金」という意識がないから、トラブルに発展しません。皆、他人のお金と思っていると思います。知らないうちに、預貯金は国家予算となっているわけです。何度もいいますが、他人のお金、税金としか思っていないわけです。だから、暴動がおきません。自分のお金はいつでも引き出せると。
もし、これが貯金のできない国だったら、もうとっくの昔に、韓国のように、「国家倒産」しているわけです。これだけ世界で発展している日本は、それらのお金で成り立っているわけです。ここに外資をいれた場合に、問題がでてくると思います。
■お金がお金をうむというシステム、これが大きな間違いだったような気がしています。もともとは、物の対価だったわけです。価値のない、紙切れのお金で、価値のない紙切れをうむという自体がもともと「アワ」にしかならないわけです。アワははじけます。「バブルの崩壊」というものです。サブプライム問題がそうでした。払えない人々に不動産をやすく売り、その金利をせしめていくという方法論は、土台無理がありました。最後ははじけて、どこぞやの金融機関が破綻に追い込まれるわけです。もちろん、お金を払わない個人も破綻します。
■これらは、教訓として、現物経済に換えるべきだと、私は思います。今更なに、言ってるの?という声が聞こえそうですが、「足るを知る」経済観念こそが環境問題を、貧困問題を解決しうる唯一の方法だと思います。
アメリカが武器の在庫を一掃するために戦争を起こすという噂があります。お金が回らないからでしょうか。そうなると、どこかがやられる、そして、現在のような問題(殺害など)に最後は行き着く、とも考えられます。
要は、必要な物を、必要なお金で(現金で)現物対価交換をしていけば、平和な世界、きれいな環境の世界が押し寄せると、村上は思います。クレジットという化け物、ないお金を借りてまで買おうとする「欲」、これが資本主義なのだと思います。我慢する心、質素倹約な心、これがわたしたちの願う、本当の幸せではないか、と思えてなりません。今の世界情勢を見るに付け!
たまには、こんなのもいいかと思って、思いつくまま、書いてみた次第です。