■熊本日日新聞 2013年11月5日(火) 「ライト女史・・・」
■ローカルな話で申し訳ないですが、熊本は、ハンセン病問題を考える授業をしているところが多いかと思います。本校の校区には加藤清正の本妙寺があり、ここ周辺は、昭和初期に患者の皆さんが生活していたという歴史があります。「未来を拓く~輝く熊本市の心~」という副読本には、このハンセン病の患者の方々のお世話をされ、病院を作って看病したという、リデル氏とライト氏(リデル氏の姪)の話が載せられております。
■本クラスでも1学期に授業しました。「灯台もと暗し」とならないよう、副読本を使って、本妙寺の歴史を話しながら、授業を進めたことでした。副読本は、リデル氏が中心だったのですが、この記事の大見出しには「死の直前 淡々と」ということで、ライト氏の晩年の日記が出てきたということで、大々的に取り上げてあるわけです。これは、今後、ハンセン病問題の学習をする時、ぜひ紹介したい記事の1つになります。記念館サイドは、「日記には老いへの恐れや弱音が全くなく、終生にわたって精神的強さを持ち続けた人物像を裏付けるものだ」と言われているようです。
■やはり、患者の方々と共に生きる力がそんな人物をつくりあげるのだろうなーとつくづく感じた朝となったことでした。自分もこうやって、死ねるでしょうか。甚だ疑問です!
■ローカルな話で申し訳ないですが、熊本は、ハンセン病問題を考える授業をしているところが多いかと思います。本校の校区には加藤清正の本妙寺があり、ここ周辺は、昭和初期に患者の皆さんが生活していたという歴史があります。「未来を拓く~輝く熊本市の心~」という副読本には、このハンセン病の患者の方々のお世話をされ、病院を作って看病したという、リデル氏とライト氏(リデル氏の姪)の話が載せられております。
■本クラスでも1学期に授業しました。「灯台もと暗し」とならないよう、副読本を使って、本妙寺の歴史を話しながら、授業を進めたことでした。副読本は、リデル氏が中心だったのですが、この記事の大見出しには「死の直前 淡々と」ということで、ライト氏の晩年の日記が出てきたということで、大々的に取り上げてあるわけです。これは、今後、ハンセン病問題の学習をする時、ぜひ紹介したい記事の1つになります。記念館サイドは、「日記には老いへの恐れや弱音が全くなく、終生にわたって精神的強さを持ち続けた人物像を裏付けるものだ」と言われているようです。
■やはり、患者の方々と共に生きる力がそんな人物をつくりあげるのだろうなーとつくづく感じた朝となったことでした。自分もこうやって、死ねるでしょうか。甚だ疑問です!