②の続きです…自分で書いてて思ったのですが…これは…伏線はり過ぎた…。いま、一生懸命回収に回っているのですが、だいぶ謎展開になってきました。。。でも、いつか必ず完結するので、見放さないでください…
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第九章
――さらさらって音がしたの。上を見たら大きな枝垂れた枝が私を覆うように広がっていてね、それは見事な柳だった。こんなきれいな夢は何年ぶりかしらって、私は誰かに笑いかけるのよ。そこで夢だと気づいてたはずなのに、不思議と覚めないのよねぇ。そしたら――
「柳はすぐ近くに立ってるじゃないか。」
って、また誰かが笑うの。そんなの知らないよ、どこに立ってるのって少し膨れて聞いたらね、
「もうすぐ見つかるから、今はいいよ。」
って。なんだか変な人だけど、ちょっとおもしろい人なのかもと思ってね。
柳、お父さんはね、本当は―――――いい男なのよ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――っ」
ぽたぽたと滴る血が、その赤さが現実離れしていて、柳の思考は一瞬止まった。
「――…い…や…だ…」
細く鋭い矢が、おなかのあたりを通って背に突きぬけているのがわかる。
「いやだ…なにこれ…血が…」
弓矢で応戦していた人影が異変に気付いて振り返る。
「柳?どうし―――」
「血が…おなかから…血が…やだ…いやだ…」
柳が半狂乱で矢を引き抜こうとする。
「だめだっ、抜くんじゃないっ!」
抜けば今まで止まっていた血まで溢れる。人影は駈け出そうとするが次から次に現れる朧な影から目が離せない。
「う…ぐはっ…―――」
一気に引き抜かれた矢。傷口から溢れ出ると思われた血は何故か一滴も流れなかった。それどころか、先ほどまで零れていた血も、矢自体もすぅっと消えていく。
「…え?」
正気に戻った柳の腕を誰かが掴んで走り出した。立ち上る朧な影を弓で払い退けながら道をひた走る。
「お前はばかか!?あれが幻覚だったから良かったが、今頃は彼奴らの仲間入りをしてたかもしれんぞ!?寿命が縮まった…」
柳を先導する人影、いや、少年が怒鳴った。
「それは…浅はかだったと思いますけど………ごめんなさい。」
でも、気が動転してたし、本当に死ぬかと思ったし、と物々言いながら柳ははたと気付いた。
「そういえば…なんで…助けてくれたんですか?」
「ん?なんで、とは?知り合いが取り殺されるのをのこのこ見てるわけにいかないだろう。」
「…私、あなたのこと知らないんですけど?」
一瞬、少年が瞬きをした。
「…?……忘れている?」
「会ったことありました?」
少年が溜息をついた。
「…我は名を櫻花という。柳には一年少し前に会っている。」
柳が息を詰めた。
「だが、お前が忘れているなら――こんな姿に意味は――」
「…オウカ…ありがとう。」
柳がぽつりと言った。
「あと、久しぶり。」
櫻花が目を瞬かせた。
「…ああ…、そうだな、久しいな。」
――櫻花が口元を異様に歪ませながら笑った。だが、その異様さに柳は気が付かなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お母さん…お父さん、どこに行っちゃうの?」
「お父さんの昔のお家だよ。」
「お母さんと柳よりも、昔のお家が好きなの?」
「もともと、ここにはいられないはずの人だったんだよ。」
「なのにお父さんのお嫁さんになったの?」
「…二人とも向こう見ずな性格してたから、ね?」
「ふ~ん…。お父さん、また帰ってくるんだよね?」
「………うん……きっと帰ってくるよ。また、いつか。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「たぬきっ!どこから見てもたぬきっ!しかもしゃべってる!」
これは…!夢にまで描いた「妖怪」ではないだろうか?栞菜が手を伸ばすとたぬきらしき生き物はくるっと宙返りをしながら後退した。
「だから、たぬきではないと…何度言ったらわかるのだ!」
「なら何なの?」
「我は――」
「その子は『貉』です。たぬきとは似て非なるもの。」
女性が割って入った。
「サトさまぁ」
「え?ああ、すまなかった。少しも似ていないから。大丈夫ですよ。」
「…いや、すごく似てる気が…」
貉が栞菜をきっと睨んだ。だが、似ているものは仕方がないだろう。そんなことより――
「私の正体かな?」
サトさまと呼ばれる女性が栞菜に話しかけた。
「なんで…」
「私に名はありません。人には『覚』と言われるが、これは私のような者の総称です。そして、もっと広く言うなら、『妖怪』。私は人の心が読めるヨウカイのサトリ。固有の名はないのです。」
なるほど、心が読めるから栞菜の聞きたかったことがわかったのか。それはつまり。
「え?ええー!?私の考えてることがわかるって…待って、待って。心の準備が…というか、読まないで!わ、私はそういうのNGだから!」
栞菜が捲し立てる。覚はきょとんとして言う。
「申し訳ないけど、私はまだ制御できるほどの力量はないのです。」
「力量?力が大きいほど自分の力を操れるってこと?」
「私もよくはわからないのです。まだ、自分以外の覚は一人しか知らないから。あの人はそう言っていたし、操れているようでした。」
「あの人」と言った時の遠い日を懐かしむような寂しげな顔が切ない。栞菜は母がいなくなったばかりの頃の自分を思い出した。
「すみません、サトさま!」
突然、思い出したように貉が言った。
「彼は見つかりませんでした。この辺りにいると橋姫に聞いたのですが。」
覚は一瞬、残念そうな顔を見せたがすぐにほほ笑んだ。
「いいのですよ。それくらい。橋姫も時には間違えます。神も万能ではないのだから。」
「橋姫?」
栞菜が聞く。覚の口調から神様だと思うのだが、妖怪は神様とも仲良くなれるものなのだろうか。
「橋姫とは、彼女が神になる前から親しかったのです。神と言っても、もとは鬼女で、私などよりも『妖怪』らしかったのですよ。本名を宇治の橋姫と言います。今のね。」
そう言えば、どこかで読んだ気がする。もとは人で、貴船明神に鬼にしてもらい、渡辺綱に腕を切られ、橋姫神社の神様になったとか。
(でも、あの神社は瀬織津姫がご祭神…あれ?)
今まで、橋姫という妖怪はあまり信じていなかったから、ここにきて疑問が現れる。
「瀬織津姫にお世話になっていると聞きました。瀬織津姫は祓戸大神の一柱。穢れを川に流す水神様であられて、前に神社に寄らせていただいたときは橋姫もすっかり毒牙を抜かれていました。」
そんなことがあったのか。人の知らない未知の世界に一歩近づいたようで、栞菜はわくわくした。
「じゃあ、京都からここに来たんですか。」
橋姫神社は京都の宇治市にある。
「いや、あそこには立ち寄らせていただいただけだから。私たちはある人を探して――隠里から来たんです。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私はもともと人だったのです。けれど、その頃から人の心が読めたんです。だから、私は生まれながら「覚」だったのか、今でも「覚」と似て非なるものなのか、自分にもわからないのです。私は人より多くのものが聞こえて、それが当たり前だと思っていました。母も同じような能力を持っていて、祖母もまた然りだったそうです。
私には年の離れた兄が一人いました。容姿端麗で気立てもよく、誰からも好かれる兄は私たち家族の自慢でした。
でも、その兄には秘密があったのです。
ある時、村で大きな祝言がありました。村の長の息子と、村で一番美しい娘との。私と兄も、ほかの村人たちも、小さな村の村人たちのほとんどが見に行きました。
今でも鮮明に思い起こせるくらい、綺麗な祝言でした。
でも、私は、聞こえてしまったのです。花嫁の心の叫びが。
愛していると。どうして忘れられると。
朔夜殿―私の兄―をどうして忘れられる――と。
二人の間には子がいて、その子を私は自分の弟だと思っていたのです。皆がそう言うから。でも、それは違った。兄と村の長のご子息、その奥方となられた方の子だったのです。
花嫁は踏ん切りを付けて、兄と吾子との関係を断ちました。兄もまた。
その後、私は兄を自ら貶めることとなってしまったのです。きっと、兄は私を許さない。一生糾弾し続ける。
―――――そうならば、どれほど良かったか。救われたか。
罵ってくれて構わない。蔑み、嫌悪してくれたら、私はどれほど償えただろう。
二人の関係は、私のせいで明らかになり、二人は私のせいで死にました。
第一〇章
お母さんの手はとってもあったかい。ふわふわで心地いい。ねぇ、お父さんもおてて繋ごう?
………
嫌なの?
………
…なら、どうして繋いでくれないの。
―――冷たくっても、いいよ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どうして、ばれてしまったんですか。」
栞菜が恐る恐る聞く。
「知りたい?あなたは私のことをよく信じてくれますね。なぜ?」
覚は栞菜を試すように聞いた。
「…こんなこと初めてで、正直、まだ夢かもって。目が覚めたら全部忘れて、日常に戻るのかもって思ってます。だから…だから…」
栞菜ははっきりしないように頭を振る。
「なんか、覚さんのこと、信じたいんです。信じてもいいかなって。お母さんのこと、悲しんでくれてるの、すごくわかったから。」
ざぁっと風が木々を揺らした。木の葉が舞う。覚が細めた。
「美夜瑚は、きっと、あなたが前を見据えることを望んでいたのです。昔も…今もきっと。だから、前を向くことに躊躇するあなたを見たとき、私は放っておけなかった。――美夜瑚には借りもあることだし…」
ふっと覚が笑った。
「借りが?」
栞菜が不思議そうな顔で聞く。
「まあ、いろいろあったのです。あなたのお母さんとは。」
微笑む覚は話を打ち切る姿勢を見せた。
「辛気臭い話はここまでにして、あなたを迎えに来る人がいるようですよ。」
ほら、と覚は柳の背後を示した。
「笹原っ!いるのかっ!」
栞菜が振り向くと血相を変えた透真と目が合った。
「飯田くん!?どうしたの?」
「ばかっ!どうしたの、じゃない!こっちはどれだけ心配したと…」
「へ?」
「あ、いや…谷原が心配してた…から…」
透真が口籠りながら言う。
「柳さんが!そっか…。なんでわかったんだろ…。」
栞菜は不思議そうにしながらも、少し嬉しそうだ。
「いや…それは…別に…俺が言ったとかじゃないぞ?…ハハハ…」
しどろもどろに話しながら、透真ははたと何かに気付いて目を見開く。
「…そういえば、谷原は?」
「…え?」
ここに先にたどり着いているはずの柳が見当たらない。ここにいるのは栞菜と透真と――
「……だれ?」
覚を指さして透真が問う。それをじっと見返して、覚は意味深な笑みを浮かべた。
「私は、栞菜さんの母である美夜瑚と懇意にしていた、妖怪です。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「オウカはまだうちで酒盛りなんかしてるの?」
「酒盛りとは?我はそんなことをしていた覚えはない。」
「…あれは酒盛りだったと思うけど。そういえばオウカって何の妖怪か聞いてないね。何の妖怪なの。」
櫻花は急に立ち止まり、後ろを振り返った。
「そんなことを話している場合ではない。もう来ている。」
走りながら撒いたはずの影がいつの間にか背後に迫っていた。
「…そんな…速い…」
「彼奴らが速いのではない。我らが遅いのだ。人の物差しで人外を測るな。」
櫻花が淡々と言う。
「我がもう一度あれらを食い止める。その間にお前は山へ逃げるのだ。」
山、仙途山。だがあの山にはもっと恐ろしいものがいるのではないか。妖怪が。霊が。
「あの山は…」
「いいから行けっ!迷っている暇はない!」
櫻花は手に握っていた弓矢を構えて、次々と影に射込む。柳は意を決した。
「待ってるからっ、絶対追いついて来てね!」
櫻花を追い越して柳は山への道をひた走った。
「言われなくとも。」
――櫻花はその姿が見えなくなるまで見据えながら、目を細めた。
「……柳、いや、小蛇。気付かないお前が悪いのだ。櫻花が人を気に掛けるわけがないだろう。やっと見つけた我娘。お前はこの手で…」
「この手でなんだ?紛い物。」
矢を射かけていた櫻花の背後に人が立っていた。櫻花が瞠目する。
「何者だ!」
櫻花が振り向きざまに弓の先端を振りかざした。
「何者?それはこちらのセリフ。お前が本物の櫻花なら私がわからないはずがない。」
背後に立っていたのは女性で、飛び退きながら細く長い薙刀の先を櫻花の首筋に突き付けた。
「貴様、櫻花の名を騙って何をしていた?」
女性がぐっと薙刀に力を込めると、彼女の袴についていた銀の装飾品がぶつかり合って音を立てた。茶色く地味な袴にはそれらは不釣合いだった。
「…俺は…自分の娘を連れに来ただけだ。この名を騙ったのはあの子に近づきやすいと思ったからだ。」
「そうか。では、お前に私の正体を明かしてやろう。」
女性が薙刀を引くと同時に反し、柄で櫻花を押し倒すと、柄の先端で胸を突いた。
「私は櫻花の里子にして、森羅万象の心を読む妖怪。覚だ。」
櫻花の瞳が凍り付いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
柳が仙途山の麓をぽつねんと歩き始めてからどれほど経っただろうか。
(オウカ遅いなぁ。)
人気のない山は昼過ぎでも暗い。いつもは心地の良い木漏れ日も今は不気味な気がしてならない。
(透真さん、栞菜ちゃんに会えたかなぁ。)
今頃は柳のほうが探されているかもしれない。あれから二時間は経っているだろう。栞菜の無事もわからないまま、自分はいったい何をやっているのか、柳の思考はぐるぐると旋回するばかりだ。
「あっ!飯田君!柳さんいましたよ!」
獣道の先で不意に声がした。前を見ると少女が柳に手を振っている。
「柳さん!柳さん!大丈夫ですか?」
「あいつもお前には言われたくないんじゃないか?」
「飯田君は少し黙っててください。」
どうやら手を振っているのは栞菜のようだった。その後ろに所在無げに立つ透真がいる。
「あ、二人とも。ここにいたんだ。」
柳がほっとして駆け出す。
「会えてよかった。飯田君が柳さんのほうが先に来てるっていうから心配しちゃいました。」
「まったく人騒がせな奴らだよ。」
栞菜が透真の足を踏んだ。
「痛っ!」
「私はそうでも、柳さんは私のために来てくれたんです。そんな言い方は私が許しません。」
「なんなんだよ、お前。」
すぐに言い合いになる二人を見て、柳は栞菜の意外な一面を知った気がした。
(普通の女の子だ。一人ぼっちで、人とうまく付き合えない私とは正反対。私の知ってる栞菜さんは、私に合わせてくれている栞菜さんなのかな?)
そう思うと、少し寂しい。栞菜との距離が遠退いた気がして、柳は少し気落ちした。
(そういえば、オウカ、あまりに遅い。)
何かあったのだろうか。よくよく考えれば、あんな状況を一人でどうにかできるとは思えない。
(助けに行かなきゃ。)
「……覚さん、遅いですね。」
栞菜が呟いた。
「え?」
聞きとがめた柳が聞き返す。そこで、栞菜は覚と会った経緯を話し始めた。
「で、私たちを山の外まで送ってくれようとしたんですけど、山の外で良くない気が暴れていて、知人と似た気もあるから行ってくると言って、私たちも危ないからここで待っているように言われて。」
栞菜が戸惑いながらも説明する。良くない気とは、あの朧な影のことだろうか。
「いったいあの人は本当に妖怪なのか?どこから見ても人だったぞ。」
「でも、貉はしゃべっていたし、あの人は私の心を読んでいたし……あの人の中の母さんの記憶も見せられたもの。」
会っていない柳には想像もつかない妖怪、覚。だが、彼女の「知人と似た気」という言葉が気になる。それが朧な影を指すなら、彼女は自分の敵なのだろうかと、密かに考えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ははっ。それならなぜ聞いたんだ?俺の思惑なんてすぐ読めたろう?」
櫻花が自嘲気味に聞いた。
「お前の返答次第ではすぐに殺そうと思ったよ。だが、お前には自分さえ気付いていない心がある。お前には柳を供物とすることはできない。」
覚は無表情に語る。
「…ずいぶん上からものを言う。殺そうと思った?」
いつの間にか櫻花の手に収まる得物は弓から銀槍に変わっていた。
「なにっ!?」
櫻花が突き付けられていた薙刀を銀槍で弾いた。
「甘く見るなよ。俺だって大妖だ。そう易々とやられて堪るか。」
「……だが、今は俺も急いでいるから、ここまでだ。」
櫻花が跳躍して仙途山へと駆け出す。
「待てっ!逃がすものかっ。」
覚が後を追うが、櫻花の姿は風景に溶け込むように消えていた。
「くそっ、蜃気楼か!小賢しい真似を!」
覚は櫻花の去った後に残された片手に収まる程度の大きめな蛤を拾うと、地面に思い切り投げつけた。貝が衝撃でほんの少し開き、中に何か気体が吸い込まれた。
第一一章
昼下がりからもう夕刻になろうかというとき。築八十年と少しの日本家屋の廊下。その壁に取り付けられた固定電話が鳴り響いた。
「…はい…はい。…そうですか。どうもすいません。あの子は本当に…。はい…。」
電話を取ったのは三十路過ぎくらいの女性。見えない相手に頭を下げながらどうしたものかと首を傾げている。
「…それでは、柳が見つかったらこちらからご連絡します。…はい。どうぞよろしくお願い致します。」
女性が電話を切った。
「柳がどうかしたのかい?」
「――母さん。」
母さんと呼ばれたのは居間で茶をすすっている初老の女性、鹿江だった。
「どうやら、授業をサボって学校を抜け出したらしいのよ。」
「あの柳が?」
鹿江が目を丸くする。だが、柳の母、紗都子は何故か嬉しそうにうふふ、と笑った。
「それだけここに慣れてきたのかもしれないわ。」
鹿江はそうかねぇ、ならいいけれど、と食卓の向かいに座った紗都子に茶を注いだ。
「飲みたくなったら自分で淹れるってば。」
紗都子が鹿江から急須を取り上げ、自分で注ぎ始める。
「あたしだってこれくらいせんと。このお茶だって、あんたのおかげで買えてるんだ。あたしはもう働 けないからね。」
「何言ってんのよ。私のために年金のほとんど貯金してるの知ってるんだからね?」
「そんなの当たり前のことじゃないか。」
鹿江が茶をすする。四月も中旬となり、春の風が居間にも流れ込む。障子を開けた縁側の外では 庭に植わった桜が咲き零れ、花弁が舞っている。
「……それにしても、どこで何をやっているのか。まるで昔のあんたを思い出すねぇ。」
「ちょっと、何よそれ。」
私を何だと思ってるのよ、と紗都子が抗議するのを鹿江は楽しそうに眺めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――…供物に?
――ああ、それしかないのだ。…わかってくれとは言わぬ。だが…私たちには必要なことなのだ。
――それは…あの神のためですか。それとも…
――それを言ってはお前は死を選ぶのだろう?
――……許せなくともいい。神の曲霊を鎮めるには人と妖怪、双方の血と四魂を持つ直霊が必要 なのだ。
神の曲霊。――どんな御霊にも四つの魂がある。荒御魂は勇ましさ、和御魂は親しみ、幸御魂は 愛、奇御魂は聡さを司る。これらが均衡を保てば魂である一霊は直霊となる。だが、均衡が崩れれ ば、それぞれ、争魂となり争い、悪魂となり憎悪し、 逆魂となり逆らい、 狂魂となり狂う。荒御魂の 力が増したちはやぶる神は邪神―禍津神―となり、災厄の火種となる。
――……柳は…私の…
――わかっている。…わかっている。…だが、どうせそうなるのならお前に頼むべきだと思ったの だ。
――…――逆魂狂魂となれ。斎木。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ユノキっ、遅いっ。」
夜とはいえ蒸すような湿気と暑さは容赦しない。まだ夏も始まったばかりとは思えないような気温 の中、一人の若い女性が山道を登りながら後方に声を掛けた。
「紗都子。そんなに急がなくたって蛍は消えないよ。」
斎木が返す。
「蛍は薄命なの。今飛んでる蛍も私たちが着くころには代替わりしてるかもしれないでしょ?そんな の、なんか寂しいじゃない。」
「そんなすぐには死なないと思うけどなぁ。」
斎木はそう言いながらも紗都子に合わせて歩調を速める。
「…ユノキは長生きだから、こういうのは解からないのよ。私は…ユノキを見ていて、時々、無性に 寂しくなるよ。ユノキにとって、私と一緒にいる時間は私が感じてるよりずっと短いんだもんね。」
紗都子が斎木に微笑んだ。だが、少し瞳が揺れている。
「…紗都子はそう考えるかもしれないけどね、置いていかれるほうだって、同じくらい、いや、もっと 寂しい…俺はそんな気がするよ。」
斎木は何とも言えない、少し困ったような、不思議な表情で言った。いつの間にか歩調は緩み、二 人のうえに少し重い沈黙が流れた。暗い山道を懐中電灯ひとつで進む。そうして黙々と歩いている と、不意に視界が開けた。
「あっ!」
紗都子が電灯を消して急に駆け出した。
「見てっ、ユノキ。こんなにたくさん!私、こんなの初めて見たよ!」
紗都子が斎木を振り返って手を広げながら後ろを示す。そこには、一面に飛び交う無数の小さな 灯が乱反射して池を煌々と輝かせながら、辺りを静かに照らし出していた。
「…これは…すごい…。」
水面にうつる魚影が照らし出され、周りに生える草木の影と重なっている。それらを眺めながら、斎 木が訥々と話し出した。
「…紗都子は、こうして見た美しいものをすぐに忘れるか?紗都子にとってこんな短い時間でも、 ずっと先まで美しく心に残るんじゃないか?俺だってそうだよ。時間の長さなんて関係ないんだ。ど れだけ深く心に刻まれたかが大切なんだ。人も妖怪も、生きとし生けるものすべてがきっとそうだ と…俺は思いたい。」
紗都子が小さく何かを返したが、その声は木々のざわめきにも負けるほど小さく、斎木の耳にも届 かなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――…紗都子……柳…―」
――お前には柳を供物とすることはできない。
そう覚が言っていた。だが、これはできるできないの問題ではないのだ。それは彼女もわかってい たはずだ。
「もし、あの神の御霊を鎮められなければ――この町にもう雨は降らない。」
そうなれば、ここにある山々は枯れてしまうのだ。人はそれでも諦めて終わるかもしれない。だが、 そこに住む動物、植物、妖怪、精霊――山神さえも力尽きてしまうのだ。それは、この町の終わり を意味しているのだ。
妖怪と人が添い遂げるのが許されないのにはわけがある。それを知りながら、禁忌を犯した斎木 にこのような役目が回ってくるのは当然の報いだ。
「柳は直霊なんじゃない。完全な曲霊なんだ。つまり――」
紗都子の血より自分の血を濃く受け継いだ柳の御霊の四魂は、決して均衡を欠いてはいない。しかし、人の四魂と妖怪の四魂は決定的に性質が違う。妖怪は均衡を保つために人よりも荒御魂に 注ぐ霊力が多い。柳は妖怪としては荒御霊の力が弱く、人としては強すぎる。それは半妖半人の柳 にとっては完璧な均衡だが、どちらの世界からもはじき出された状態なのだ。
それは、時として、世界そのものの均衡を崩しかねない。
世界は四魂に分けて考えることができる。荒御魂が現界、和御魂が幽界、奇御魂が神界、幸御魂 が霊界と。
柳の存在はこれらを混乱させるものであり、それは――神の逆鱗にも触れる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
勝手に移動するわけにもいかず、傾きはじめた日に不安を感じながらも柳と栞菜と透真は山に留まっていた。
「…そういえば、ここって人が亡くなった山だったんですね。初耳でした。」
栞菜が尽きそうな会話を少し強引に繋ぎ止めた。
「…真冬に登るなんて、何かあったとしか思えない気がします。」
栞菜が真剣に考え始めた。
「おい、会話が止まるより怖い方向にもっていくなよ。」
透真が少し恐ろしげに言った。
「あれ、透真さん、もしかして怪談とか、そっち系は苦手ですか?」
柳が面白がるように言った。
「なっ!?やっ!?…んなわけないだろっ!お、俺は…怖いものなんてない!」
些か信憑性に欠ける口調で透真が否定する。
「…この山、もっと恐ろしいものがでるそうですよ?たとえば――」
「――っ!?」
透真が声もなく悲鳴を上げる。
「…あんまりやると可哀想なんで、そろそろやめてあげましょう。」
クスクスと笑いながら、栞菜が言った。
「おま…それはそれで…」
透真が諦めたように言葉を切った。
「…なぁ、ところで、お前らはどうしていつも敬語なんだ?」
唐突に透真が訊く。
「…え?」
柳と栞菜が顔を見合わせる。
「…んー、私は癖、ですかね?二親とも死んじゃってて、敬語を使う機会も多かったから…かな…」
栞菜が笑いながら話した。
「…そうか、なんか…」
透真が気まずそうに目を伏せる。
「無意識でのことなんだから、ごめんとか言わないでくださいよ?」
栞菜が透真の言葉を遮った。透真が、うっ、と黙った。
「…で、柳さんは?」
栞菜が話を切り替えるように言った。
「…あ、えーと。私は…あまり人と話さないから…」
いつも一人でいることが多い柳はとりわけ仲の良い友人などがいない。そうすると敬語をやめる機 会もよくわからなくなってしまうものだ。
「そうなのか。」
透真が意外そうな顔をする。
「…でも、二人ともなんか堅いし、俺にまで敬語じゃなくたっていい気がするけど。」
「そう簡単には変えられないです。」
栞菜は困ったように言った。
「谷原はともかく、笹原はもうどれだけ顔合わせてるよ。」
透真が溜息を吐く。
「あれ、そう言えば、貉はどうしたんでしょう?」
栞菜が辺りを見回すが、それらしき生き物はいない。
「覚について行ってないのか?」
「覚さんは置いていくからよろしくお願いします、って。」
栞菜は慌てて探しているが、一向に見つからない。
「そんなぁ。」
三人はうろうろするのにも疲れてその場に座り込んだ。その目の前には大きな木が立っている。ど うやらそれは柳のようだった。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
ここまで飽きずに読んでくださった方、感謝です(*^ ^*)
友人に櫻花が好きと言ってくれる子がいるのですが、今回、その子にはだいぶ申し訳ない展開でした。ほかにもそんな方がいらっしゃったらごめんなさい。。。
ちゃんと櫻花、本物もいつか近いうちに登場させますので…(-_-;)
こんなに長々と、本当にありがとうございます!