レティシア妃 その5ジャーナリストとしての人生の始まりと最初の結婚 | スペイン王室

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スペイン王室の現役メンバーから、遡ってその先祖の方々まで、おもしろそうな逸話をピックアップしてお届けします!

レティシア妃はメキシコから戻ると、早々にBloomberg TV
で職を得られました。スペインにある放送局の中では小さい
部類に入りますが、その面接試験は大変な競争率だった
そうです。アナウンサーとしては、稀に見るレティシア妃の
美しさを、プロの世界で初めて認めたのが、このBloomberg
TVだったわけです。




↑Bloomberg TVにお勤め時代のレティシア妃


レティシア妃は職を得て、収入を得られるようになると、すぐ
にご実家を出られ、独立されるようになりました。レティシア
妃の父君のへスス氏は、多少一家の団欒についてうるさい
ところのある人で、

“昼食や夕食時、家族全員が食べ終わるまで、皆席を立って
はいけない、楽しく会話を楽しまなければならない。テレビは
当然つけてはならない。”

と言う決まりを作っていました。ケーブル放送など無かった頃
のスペインでは、通常昼と夜のニュースは、どの局も食事時
に放送されていました。すると、ジャーナリスト(を志す)
レティシア妃は、自宅で大事なニュースが見れないことに
なってしまいます。従兄のダビード氏は、おそらくこういった
ことも原因で、社会人になるとすぐに家を出られたのでは
ないか?と語っています。




↑夜飲みにお出かけになった際のレティシア妃。


さて、メキシコでの一年は、レティシア妃に、

“世の中広しと言えど、なかなか学ぶことのある賢い
男などいるものではない。”

と悟るのに役立ったのかもしれません。

こちらも、マドリードに戻って早々、アロンソ氏とのよりを戻され、
お二人で住まわれるためのアパートを購入されました。
そして、メキシコから戻られて3,4年後でしょうか。
1998年8月7日、エストレマドゥーラ地方のアルメンドラレッホ
の町でお二人は結婚されました。レティシア妃26歳、アロンソ氏
36歳。お二人とも、特に敬虔なカトリック教徒ではなかったの
でしょう、式は市民婚で、当時の市長立会いの元行われました。
式にこの地が選ばれたのは、アロンソ・ゲレーロ氏がこの地の
出身であった故、親類縁者がこちらに多かったからではないか
と推測されます。


↑レティシア妃とアロンソ氏


1.式にレティシア妃が手にされていたブーケは、

  →“Floristera Lady de Almendralejo” と言う花屋のもので、
   レティシア妃がご自分で花をお選びになったそうです。

   
2.式後の披露宴は、“El Paraíso”と言うレストランの“Salón
  Juan Campomanes”という間で行われたそうです。

3.結婚初夜は、ホテル“hotel Espronceda”で迎えられたそう。

   
まあ、しかし、スペインのマスコミも良く調べますね、肝心の
結婚式の写真が一枚も出てこないから、むきになっているんで
しょうか。




↑レストラン“El Paraíso”のウェッブサイトにある、披露宴など
の際の参考写真。なかなか、立派ですね。


ehttp://www.elparaisocampomanes.es/galeria/celebraciones/_2_2_2_2_2_2_2_2_2_2_2-9716.html


レストラン“El Paraíso”のウェッブサイト



Vista general del Hotel
   

アルメンドラレッホのオテル・エスポンセーダ。三ツ星。三ツ星
にしては、外観が素敵♪♪



でも、外観で頑張り過ぎたせいか、寝室内の調度類がちょっと
残念・・・


このご訪問で、レティシア妃はエストレマドゥーラ地方をすっかり
お気に召され、その後アロンソ氏と離婚されるまで、頻繁に
訪れていらしたそうです。その中でも、特にお気に入りだったの
は、

1.ガスパーチョ(冷製スープ)

2.生ハム

だったそうです。


さて、話は、結婚式の日に戻ります。レティシア妃その2でも
お話しましたが、父へスス氏が何故よりによってこの日を選んだ
のか、披露宴の宴もたけなわと言う時に、

“パロマと離婚することに決めた。”

と言う報告を、家族一同の前でしました。この日だったら、皆
機嫌も良く、大して悪態もつかれないとでも思ったのでしょうか。
そして、その半年後の1999年2月16日、二人は正式に離婚
しました。

そして、レティシア妃もまた、ご結婚から一年後に離婚・・・・・・


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


またまたとんでもないものを発見!!!!!!!!!!!!


一般に、レティシア妃はアロンソ氏とのご結婚から一年後に
離婚されたとされていますが、どこにも詳しい日付が書かれて
いません。一方ダビード氏の暴露本では2年後の2000年
10月19日と記されています。そこで、何が正しいのかとネット
で調べていたら、何と、お二人の離婚を決定する裁決書が
ネットにアップされているのを発見しました。それも、裁決日が、

2002年3月14日!!、ご結婚から1年どころか、3年半です。
元々、10年近い交際期間のあったお二人が、入籍した途端、
一年で破局、と言うのもおかしなもの、と思っていましたが、一体
何故、このような嘘をつく必要があったのでしょう?


http://www.cotilleando.com/foro/threads/sentencia-de-divorcio-de-letizia-ortiz-rocasolano-y-alonso-guerrero-perez.77482/

裁決書が見られます。


いずれにせよ、この離婚手続きに際し、既に弁護士の卵だった
ダビード氏がお二人に手を貸されたようで、その際のお二人
の様子を、

レティシア妃
“まるでこの離婚に関心でもないかのように、淡々と書類に目を
通し、記入していた。毅然とした、ちょっと偉そうな態度はいつも
通りだった。でも、内面では傷ついていたんだろう。そう言う奴だ。
冷たくて、誇り高くて、強い。

アロンソ氏
“皆、時間が解決してくれるよ”、と頭を下げて、ただその品を
失うことなく語っていた。

二人の離婚は、平和裏に行われたそうです。子供もなく、分ける
ものといっては、アパートくらいだったので、それを売却し、お金
を均等に分けて終わったそうです