「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉を耳にするようになって久しいです。
一般的に「生活の質」と訳されているようですが、かく言う私も救急搬送されるまで気にかけていなかった言葉のひとつです。
昨年、同著者の「犬の力」と一緒に購入していたのですが、同作品を読破するのが余りに体力を必要としたために、しばらく寝かせて置いたのがこの「フランキー・マシーンの冬」です。
冒頭の導入部分で「QOL」について「ええ。ふつうは末期の病人に使う言葉ね。生命維持装置を、、、、」というようなくだりがあり、突き詰めるとそういう場合に立ちいたるのか、と考えさせられたという訳です。
内容自体は重い話ですが、現在の自分の年齢に合った心地良さを感じながら読み進められる作品で、読み終えるのが惜しく毎日の楽しみな日課として少しずつページをくっています。
朝、起きて熱いシャワーとソープで就寝中の全身の皮脂を洗い落としながら髭を剃るのが日課です。
そして呼吸を整え身体に新しい酸素が行き渡り始める感じを味わいながらリビングへの階段を降りて行くと息子が出迎えてくれます。
昨年、医者に最終通告にも似た告知をされてから生活を変えました、それまでは普通に160〜180あった血圧ですが、現在は上は正常、下がむしろ低すぎるくらいです。
昨年末、退院して数ヶ月はなかなか血圧が上がらず、上が100を越えないためか、めまいや立ちくらみで通常の生活にも支障をきたす日々が続きました。
ようやく多少の変化はあれ、安定した血圧が戻ってきたのは今年の夏が近づいて来た頃でした。
車のハンドルもようやく握ることが出来るようになり、ひとりで外出する事もあります。
このくらいの数値の時が1番身体の調子は良いようです。
さて、朝、熱いシャワーで目覚ましとリフレッシュを終え、以前なら即座にジンライムソーダかスコッチのハイボールを立て続けに飲んでいました。
アルコールを完全に断ってからもうすぐ丸1年が経過しようとしています、現在は日替わりで何らかのソーダ割りノンアルコールをのむのが日課です。
父が商談等で出かける時、学校が休みの日なら時々一緒に連れ出してもらえました。
相手との打ち合わせで喫茶店を利用したりすると、父は私には子供の栄養のためにと決まって「バナナジュース」、自分用に「クリームソーダ」を頼むのが常でした。
当時バナナは高い果物で父は自分の息子に少しでも良い美味しいものを飲ませてやろうと気を使ってくれたのだと思いますが、子供心には父が飲んでいるあの緑色の「クリームソーダ」の色合いが羨ましく、同時に「大人にならないと飲んではいけないもの」のように思えたのでした。
大きくなって成人し曲がりなりにも独立自活出来るようになっていた私は、ある年の父の誕生日に財布を贈りました。
高島屋だったと記憶しています、家を支える男が持つのに恥ずかしくないよう本皮で、ブランドではなく手に馴染み機能的で長く使ってもらえそうな物をとの基準で選びました。
確か当時の価格で2万円ほどだったと思います、その程度なら気にせず贈り物を選べるくらいにはなっていましたが、それ以上だと少々背伸びする必要がありました。
父には喜んでもらえたと思います、と言うのも普段から無口であまり自分の喜怒哀楽を子供や従業員達の前では見せない人でしたし、私も、おめでとうは言わず誕生日だからと言って渡しただけでした。
ところがその年の冬に突然父が旅先で亡くなりました、私が贈った財布は旅行に携帯していたようで遺品のひとつとして手元に戻りました。
結局、父の遺品のうちで私が引き継いで使えそうな物はこの財布だけになってしまいました。
スーツや皮靴類等たくさんありましたが残念ながら私の方が身長が大きいため他の親族で分けて頂きました。
亡き後、父の腕時計とこの財布は私が使い続けました。
しかし時計の方はやがて故障を繰り返すようになり、形見の品なので費用がかかっても構わないからと修理を依頼し続けましたが、とうとう交換用部品の保有年数が過ぎて修理出来ないと言われ、綺麗に磨き上げてもらった上でケースに入れて金庫に保管しました。
そして、とうとう財布の方も、皮革用のクリームで表皮にクラッキングが入らないよう手入れをし、擦り切れて破れたり穴が空きそうになったらその都度補修用パテ等で修復しながら22年間使い続けて来ましたが、もうこれ以上修理するのは可哀想な様子になって来ました、コイン入れの部分にも穴が空いています。
父の遺品を整理していた時に出て来た私宛の御守りです、生前には渡す機会を見つける事が出来なかったのでしょう、支えていてくれているような気がして財布の中に入れて常に一緒に持ち歩いています。
この代わりは必要無いと決めて22年間財布だけは他の物を購入せずにやって来ました。
そしてようやく、そろそろ自分のために財布を選んでみようか、という決心がつきつつあります。
私と父の財布にはもう休んでもらっても良い時機が来たように思います。
ヤマハFG−160、幼稚園にあがると同時にピアノを習わされ続けていた私が、親の反対をあの手この手で説き伏せて最初に手にしたギターです。
当時、小学校高学年、2時間くらいかけて国鉄バスに乗り、姉が通う大学のある市の楽器屋へ買いに出かけた事を今でも忘れません。
もう45歳くらい、手入れをしているので良い音量で鳴ります、無理は出来ないので普段は弦の張力を弱めてケースで保管してあります。
不思議な事のように思えるかもしれませんが、ケースを開けるとあの時代と同じにおいが今でもします。
今は低価格帯のギターはほとんどポリウレタン塗装なのでそういう事も無くなりました。
60年代〜70年代中期までの「時代のにおい」と言うのは確かに有ったと思うと同時に、それはいくら洗っても消せない宿命のような気がします。
これが80年代になると嗅覚が曖昧になって、それよりも視覚の記憶の方がより鮮明になるように思えてなりません。
息子の存在感もやはり「におい」によるところが大きいようです。
もうちょっとお風呂効果があると良いんだけどね。












