「敬老の日」でした。
息子も「人間年齢」にすると、どうやら私と同い歳くらいらしいです。
足腰の衰えや緩慢になって来た仕草等、似て来たと思います。
時折、はるか昔に読んだ本を書庫の奥に見つけて読み返してみることがあります。
初出は60年代のはずですから作品集として出版され直した物の初版本を購入したようです、小学校高学年の日付ですが読んだのは中1くらいのように思います。
私のひと世代上の若者達に大きな影響を与えた作品でした、この本を持って海外に飛び出した人達もいたようです。
その後の電波少年ブームとかバックパッカーみたいなものです、身体は大きいけれど精神的には子供の「わがままな自分探しの旅」。
飛行機の旅で長年愛用して来た鞄があります。
20代半ば過ぎくらいの頃にイタリアで購入した物です。
一生物をオーダーメイドするにはまだまだ青二才の身分である事を自覚出来る程度には分別も有り、ネームを入れて貰うだけに留めました。
古き伝統のデザインですが、機能的で使い勝手もよく手に馴染み、旅の良き伴侶としての安心感を与えてくれる作品です。
家に帰り鞄の手入れを終えた時に初めてひとつの旅の終わりを感じる、という事を続けて来ました。
20世紀も終わりを迎えようとしていた頃、非常に腹立たしい経験をしました。
鞄の表面が一部剥がれているのが見て取れますが、これは韓国の空港職員の仕業です、乗り継ぎのトランジットで酷い目に遭いました。
搭乗前に機内持ち込みの手荷物をセキュリティチェックに通しますが、その時に何とチェック済みシールを貼られました、日本では有り得ませんし、いまだかってそんな事をされた国は皆無です。
質の悪い粗悪な物だったのでしょう、機内に入り急いで取り除きましたが写真の様な状態になってしまいました。
人や物、文化や歴史に接する姿勢と言うのはその国の民度を表すとつくづく思います。
「自分探し」の本を2つほど。
当時の日本人はたいがい読まされたであろうヘッセの「車輪の下」は小学生の時でしたが、こちらは中学にあがってから読んだと思います。
村上龍は高校生の時でした。
当時は時代と地域背景が違い良く理解出来ませんでしたが、今読むと可愛い微笑ましい事で悩んでいた時代だったんだと感じます。
海外にいると、人の迷惑を気に留めず自分や世の中の事を熱く語りたがる「電波少年的日本人」を見かけます。
以前との違いはネットとユーチューブに自分の放浪記(放蕩記)をこまめにアップしている点です、昔も今も日本を飛び出したもののやはり世間には認めて欲しいのでしょう。
探して見つかる様なそこら辺に落ちている「自分」なら大した物でもないでしょうに。
長い年月をかけてコツコツと作ってゆくものだと私は思うのですが。
いつも「海外で自分探し」の前に「日本で職探せ」って言いたいけれど、何しろ気が弱いので「道中身体に気を付けて頑張ってね〜」などと口にしてしまう優しいオジサンになった「自分」を見つけてしまうのです。








