恋愛はもともと扁桃核の錯覚である。

 

その原理さえ知っていれば、モテない人間が

モテるようになるくらい簡単なことはない。

 

ターゲットは相手の扁桃核だ。

 

特に女性は、男性に比べて感性の脳である

右脳がより敏感に、より優秀にできている。

 

その感じやすさに訴えれば、女性の扁桃核は

たちまち「快」に変わってしまう。

 

「俺は頭がよくないから」「背が低いから」と、

消極的になるのは愚の骨頂だ。

 

テレビに登場する若いお笑いタレントたちが、

ハンサムであるとはとても思えないのに、

どんな美人と結婚したか思い出して欲しい。

 

“笑わせる”という、相手の扁桃核をイヤでも

「快」にしてしまう特技が、彼らにはあるのだ。

 

だから、「頭がよくない」「背が低い」「短足だ」

「デブである」「メガネ」「頭が薄い」

「話ベタ」「学歴がない」、

ついでに「有名大学を卒業してしまった」・・

 

こんなつまらないコンプレックス、

劣等感で自分の扁桃核を「不快」にしていたのでは、

自分にツキを運んでくれる「あげまん女性」は絶対に寄ってこない。

ここでも成功者を見習うことが大事だ。

女性を好きになると、

その人といつも一緒にいたくなるのはなぜだろう。

 

そんな思いが高じて、

世界には何十億と言う数の異性がいるのに、

よりによってたった一人の相手と結婚などという、

とんでもない事をしでかしてしまうのはいったいなぜだろう。

 

2人で暮らすほうが生活費は

安上がりになる切実な動機も含め、

いろいろな理由があると思う。

 

しかしもっとも根源的なところには、

「分離不安」の存在がある。

 

人間と言う動物は一人では生きられない。

 

“ひとり”とは数ではない。

 

精神的に他人と

つながっていないという意味での“独り”だ。

 

“独り”になると、

人間の心には分離不安は頭をもたげてくる。

 

これはもともと母親と離れた子どもが

抱く不安が原型になっていて、

この不安が沸いてくると、

とたん扁桃核は「不快」に変わる。

 

母親の保護という安心感を失うことは、

子どもにとって大変な危機である。

 

不安と恐怖に怯えながら、

彼は自分を守らなければならない。

 

同じことが私たちにも起こる。

 

“独り”は無意識的な不安と恐怖を呼び覚まし、

自己防衛本能を発動する。

 

「~しないように」という守りの態勢に入る。

 

マイナス思考やマイナスイメージ、

マイナス感情がどんどん生み出され、

チャレンジ精神とか積極性は消えてしまう。

 

この分離不安が、人を重大なストレス状態に置く。

精神病や神経症の殆どには、孤独、孤立と言う背景がある。

 

赤ちゃんでいうと、

抱いたりあやしたりするスキンシップをまったくしないと、

生まれたまま死んでしまうケースもあるというから、

分離不安のストレスがいかに大きいかわかるだろう。

 

そんな分離不安を逃れ、扁桃核を

「快」にするために人は結婚し、家庭を作る。

 

「貧しきときも富めるときも、互いに助け合い・・」

と誓うわけだ。

 

・・・とここまではよい。

 

しかし、いったん結婚してしまうと、

結婚という形に安住し、

相手の扁桃核を「快」にする努力を

怠る人間がいかに多いことか。

 

特に仕事を口実に、

家庭を顧みない日本の男である。

 

人はなぜ結婚するのかという事を、

日本の男は長らく忘れてきたようだ。

 

理由はいやというほどはっきりしている。

 

日本の男には社会という

もうひとつの家族があったからだ。

 

さまざまに規制や保護政策によって、

市場原理の過酷さから私たちを守ってくれる

やさしい国家があったからである。

 

多民族がひしめく競争社会のなかで、

あくまで個人として戦い、

意識的に自分の人生を切り開いていかなければ、

生きていけないようなアメリカとは違う。

 

アメリカ人がなぜあれほど家庭を大切にするかといえば、

厳しい競争社会で戦う人間には、

戦えば戦うほど深くなる分離不安を癒す場が必要になるからだ。

 

3年から5年後、日本も必ずそうなる。

 

今、私たちが生きているのは、

もうひとつの家族としての会社が壊れ、

保護から競争へと、国のありかたが大転換しつつある社会だ。

 

何度も言うように個人が人生の目標意識を明確に持ち、

モチベーションを維持していかなければ、

成功できないだけでなく、

生き残ることさえ不可能な時代がこようとしている。

 

今日とは比較にならないほど大きな分離不安を、

私たちは抱えることになる。

 

どんな能力があっても、

一人だけで戦うことはできない。

 

「不快」な扁桃核を持った人間は、

過大なストレスの中で破滅することになる。

できる男は、ウソをついてでも

女性を幸せな気持ちにしてしまう!

 

できない男は、

相手の心を見ないからウソがつけない!

 

55歳のEさんは、従業員5百人以上を擁する

会社の経営者である。

 

まったくのゼロからスタートし、

一代で会社を会社を築き上げ、

今も第一線でバリバリ働いている。

 

好きな外車が3台、クルーザー、2件の別荘を持つ。

世間的にいえば成功者である。

 

5つか6つ年下の美人の奥さんがいて、

男なら誰でもがうらやましく思う暮らしだった。

 

理想的な家庭に見えた。

ところが、奥さんに「別れてほしい」と突然言い出され、

どうしたらいいのか頭の整理がつかないという。

 

奥さんの方は何不自由ない生活を捨てる覚悟だ。

 

子育てが終わり、母親業を引退する頃になると、

女性の多くは心の危機に遭遇する。

 

E家にも、3人のお子さんがいて、

みな自立し家を出て行ってる!

 

この年代の女性を襲う危機は、

「空の巣症候群」と呼ばれるらしい。

 

良妻賢母型の女性ほど、

子どもが巣立ったあと孤独を感じ、

自分の存在価値や生きがいを

失ってしまったという寂しさを覚える。

 

改めてご主人を見ても、昔のような魅力はない。

 

夫は仕事に夢中になり、

妻は子どもにすべての愛情を注ぐという、

日本的な夫婦生活を30年も経験した後では、

しみじみ眺めあっても、もう扁桃核は「快」にはならない。

 

決してEさんのことを“できない男”というわけではない。

 

Eさんは、確かに1%に属する成功者であり、

間違いなく“できる男”だった。

 

ただ、これまでの日本では、

社会的成功者だけが男の価値と思われてきた。

 

家庭など顧みることなく、

セッセと愛人をつくることが、

「男の甲斐性」と呼ばれたりした。

 

事実、戦前や戦後の成功者には

そんなタイプも少なくなかった。

 

しかし、近年成功者のイメージが

違ってきたことに気がついているだろうか。

 

Eさんのように、家族に与えるものが

物質的な幸せだけでは足りない。

 

精神的にも幸福にする才覚がなければ、

本当の成功者ではない。

 

アメリカ型の成功観に変わってきたのである。

 

これは日本の社会が生産型から、

消費者型になったことと無関係ではない。

 

なぜなら消費社会では、

物ではなくソフトが経済のカギを握る。

 

車ではなく車のデザインが、時にはCMの出来が、

起用されるタレントの好感度が、つまり人の心が、

物やお金の流れを左右するのである。

 

消費社会のビジネスマンが

ターゲットにしなければならないのは、人々の心、

もっと厳密に言えば「快不快」「好き嫌い」の判定を下す、

直径15cmの扁桃核である。

 

どういうことかといえば、妻を幸せにする能力と、

社会で成功する能力が同じであるというのが、

今日の消費社会なのだ。

素晴らしいと思う対称にしか、感謝できない

 

感謝は、信仰と同様、扁桃核が100%「快」状態である。


感謝するとき、

私たちの脳は手放しで、完全な「快」になる。


それが、赤ん坊のとき、

あるいはもっと遡って胎児のとき、

自分の命を100%、母親に委ねきっていた頃の

記憶につながっているかどうか、私には知るすべがない。


しかし、脳というスーパーコンピューターは、

何かに感謝するとき、

100%安心し、

100%自己防衛から開放され、

100%「快」になるという、

不思議なメカニズムを持っている。


だから、ウソでもいい。

感謝してしまうほうが勝ちなのだ。


今日1日に感謝する。


この人生に感謝する。


生きていることに感謝する。


親に感謝する。


古畳になっても一緒にいてくれる妻に感謝する。


この職業に感謝する。


困難だが、やりがいのある仕事に感謝する。


意地悪な上司に感謝する。


何でもかんでも感謝してしまう・・。

 

自分のツキに感謝する。


運に感謝する。


あなたが感謝すれば、

ツキも運も、妻も、意地悪な上司も、

面白いくらい素晴らしく見えてしまうのだ。


感謝すれば、

その対象は必ず素晴らしいものに見える。


看護婦さんがみんな美人に見えるのも、

おそらくそのせいに違いない。

素晴らしいと思う対称にしか、感謝できない

普段一緒にいる妻も、感謝していれば、
困ったことに年をとるにつれ、
だんだん妻が綺麗に見えてきた。

つまり感謝とは何かといえば、
最高の自己暗示なのだ。

しかし世の中には、感謝の苦手な人がいる。

ウソでもいいから感謝してしまえ、
といっても、それがどうしても出来ないという。

そういう人にはこう考えてもらうしかない。

私には2人の親がいる。
2人の親にもそれぞれ2人の親がいる。

この4人の祖父母にもそれぞれ2人の親がいる。

このようにたどって20代前まで数えると、
104万8576人の先祖がいたことになる。

それが30代前になるとだいたい平安時代の末期で、
先祖の統計は、10億7374万1824人という膨大な数になる。

この10億7374万1824人のうち、
たった一人でも何かの拍子に早死にしたり、
男女の組み合わせがひとつでも違っていたら、
あなたは生まれてこなかった。

それぞれの人が、それぞれの人生を懸命に真剣に、
けなげにまっとうしてくれたから、「私」がいる。

10億7374万1824人の先祖全員に
「ありがとう」というべきだろう。

だからあなたが今ここに、こうして生きていることは、
確率として見れば、奇跡としかいいようがない。

年末ジャンボ宝くじの
当選確率(1千万~5百万分の1)など、
それと比べればあまりにも大きすぎる。

誰でも当たると思えてくる。

それほどの難関を突破して、今、
ここにたどり着いたのだから、
あなたは最高にツイているし、最強の強運の持ち主だ。

人生に感謝せずにいられるわけがない。

その素晴らしい人生で出会うことの出来た“軌跡”が、
今、あなたの目の前にいる人たちである。

両親や妻、子ども、友人はもちろん、
職場のライバル、意地悪な上司、
その身勝手さに、散々泣かされてきた取引先の担当者にさえ、
感謝したくなる。

その顔を見るたびに、
「ツイている」「またツイた」と喜ばずにいられない。

ツイている人間は、

知らないうちにツキの暗示を

自分にかけている。

 

ツイていない人間は、

知らないうちにツキがなくなる

暗示を自分にかけている。

 

<朝のサイキングアップ>

朝は1日のスタートである。

 

朝の脳に生まれるイメージによって、

その日のツキや運が決まるといっても大げさではない。

 

つまり朝の扁桃核が、1日中影響してしまうのだ。

 

「今日はイヤな相手と商談がまっている」

「憂鬱だ。今日はクレーム処理しなければならない」

「何だか、やる気がしないな」

 

否定的になった扁桃核で

1日をスタートしてしまったら最悪だ。

 

それで、昔は毎朝神棚を拝んだり、

仏壇に手を合わせる習慣がどこの家にもあった。

 

「今日1日お守り下さい」とか

「今日も元気で過ごせますように」と祈るのも、

一種のクリアリングであり、自己暗示であったと思う。

 

肯定的なイメージと肯定的感情で、塗り替えを行う。

 

良い予感を持つように、

イメージや感情をコントロールするのだ。

 

残念なことに日本人の生活からは、

そういう自然なサイキングアップがすっかり消えてしまった。

 

だから意識的にクリアリングし、自己暗示を行い、

ツキを条件づけて、ウキウキワクワクする必要が

私たちにはあるのだ。

 

朝は気を高め、

脳をワクワくさせるサイキングアップを行う。

 

1)「今日はツイている気がする」と自分に語りかける

(今日の商談はうまく行く気がする。

今日のクレーム処理は成功し、感謝される気がする、など)・・数回

 

2)次に、「今日はツイている」と断定的に語りかける。

(今日の商談はうまくいく。クレーム処理は成功し、感謝される)・・5回以上

 

3)最後に「ツイている」だけを反復する。

(商談はうまくいく。クレーム処理は成功する。感謝される)・・何回でも。

 

夜、就寝前は気を鎮めるカームダウンを行う。

 

「ツイている」という朝の自己暗示に対し、

「ツキがあった」「運があった」と

実感するのが夜の自己暗示だ。

 

まず、今日1日に体験した否定的記憶を

肯定的記憶に塗り替え、

「快」の扁桃核にしっかり戻しておく必要がある。

 

寝る直前の感情を最高の状態にし、

今日1日をとても「運」があったと

感じられるように自己暗示する。

 

1)「今日も1日無事に終わり、運があった」と自分に語りかける・・数回

 

2)次に、「今日は運があった」と断定的に語りかける・・5回以上

 

3)最後に「運がある」だけを何回も反復する・・何回でも

暗示で大切なことは必ず断定の形にし、

3)に当たる暗示は現在形にすることだ。

 

「~したい」という願望や、「~するだろう」という未来形

、「~しないように」という否定形では、脳は切り替わらない。

 

それらの表現は、「~できないかもしれない」

というネガテブな感覚をどこかに含んでいる。