「腹が減っては戦はできぬ!」ではないけど・・・

 

多くの場合、人間関係の問題は、

食事によって回避できる。

 

すべてとはいわないが、

多くの場合には、

食事をとることによって、

衝突を回避できるものなのだ。

 

ハーバード大学のナグラー博士は、

「空腹を満たせば、ケンカの半分は回避できる。

ケンカすべき相手は、実は、血糖値なのだ」

と述べている。

 

私たちはお腹がすいていると、

むしょうに怒りっぽくなる。

 

だから、怒りっぽい相手と

議論する必要があるときなどは、

何でもいいから食べてやったほうがいい。

 

お腹がいっぱいなら、、、

それなりに冷静になってくれるだろう。

 

お昼前に会議や打ち合わせをすると、

「そろそろお昼だな」と思った瞬間に、

いきなり意識が会議のテーマとは別のところに

流れてしまうことがある。

 

こういう経験は皆さんにもあるのではないだろうか。

 

お昼や夕飯が近づくと、

すべてのことが面倒くさくなってしまったり、

不用意に他人に八つ当たりし始めたりするのである。

 

状況が許すのなら、

怒りっぽい人と話し合いするときには、

絶対に何かを食べさせた方がいい。

 

そうすれば相手は

心理的に打ち解けたムードになってくれるからである。

 

最近では交際費を節約する意味で、

接待なので食事をともにすることが減ってきているとはいえ、

許されるなら、一緒に食事をとろう。

 

これを説得学では、

「ランチョン・テクニック」と呼んでいる。

 

ビジネス・ランチを一緒にとれば、

一気に親密になれるものなのである。

 

相手に食事を勧められるような状況でないなら、

少なくとも、自分だけは軽く何か食べておこう。

 

空腹だと、誰でもイライラしやすい。

 

それを避けるために、

あなただけは食事をしておくのである。

 

大切な人と会う朝には、

しっかりと朝食をとっておく。

 

朝食を抜いて人に会うと、

お昼のことが気になって、どうしてもソワソワしてしまう。

 

それが神経質そうなイメージを相手に与えてしまうかも知れない。

 

事前の準備!

 

ほとんどの人があまり気にしていないが、

十分に気をつけてほしいことがある。

 

それは「舞台」の設定だ。

 

相手の気分をよくしたいなら、

相応の「舞台」を整えておく必要がある。

 

きちんとした舞台が整わないうちに人に会おうとすると、

どうしても誠実なイメージが出せなくなるからだ。

 

「舞台」とは何だろうか。

 

それは、相手を迎え入れる準備が整っているよ、

という雰囲気作りのことである。

 

会話の邪魔になるようなものは、

すべて取り払っていますからね、

と相手に示すことだ。

 

たとえば、人と会っているときに一番困るのは

「電話」などの邪魔である。

 

オフィスで取引先の担当者ろ会うときには、

ドアを閉めたり、他の人に電話を

取り次がないように頼まなければダメだ。

 

せっかく人と会っているとき、

「00さぁ~ん、ちょっと・・」などという邪魔が入ると、

それだけであなたの印象は最悪のものとなる。

 

このような邪魔なものを排除してあげるのが、

すなわち、人に会うときの「舞台」を整えるということだ。

 

携帯電話の電源も、人に会うときには

絶対に切っておかなければならない。

 

音が鳴るたびに、しかもその音が

大きいものであればあるほど、

あなたの印象はどんどん悪くなる。

 

それでもすぐ電話を切ってあげるなら、

あいても少しは救われるかも知れないが、

かかってきた電話の人と話を始めてしまったりすると、

目の前の相手は、「俺よりも、

そっちの方が大切なのだな」と思わざるを得ない。

 

人と会っているときに、携帯電話でおしゃべりをするような人は、

相手に対する思いやりに欠けるし、

自分が失礼なことをしているという自覚がないのかもしれない。

 

レストランや喫茶店で人に会うときは、

なるべく落ち着ける店、

できれば他のお客の存在が気にならない席に、

相手を誘導しよう。

 

交流会やパーティのような場所なら、

なるべく人のいないコーナーを選んであげよう。

 

間違えてもスピーカーの前などに座ってはいけない。

相手の声が聞き取りにくくなるからだ。

 

これらもやはり、「舞台」を整えることである。

 

「舞台」を整えてあげることは、

「私は誰にでも邪魔されずに、あなたとお話をしたいんです」

という気持ちを伝えることである。

 

そういう親切な配慮をしてあげると、

相手は喜んでくれる。

 

会話を邪魔するものがないのだから

スムーズにコミュニケションがとれる。

 

いい会話というのは、

邪魔が入らないことを絶対の前提としているのだ。

 

このブログで紹介している心理技術をたとえ酷使しても、

舞台がうまく整っていなければ、まったく効果があがらない。

 

いったん邪魔が入ると、

そこで私たちの感情がリセットされてしまう。

 

たとえば、せっかくお互い楽しい気分で

大笑いしていたとしても、たった1本の電話で、

そういう気分がどこかへ吹き飛び、

また1から楽しい気分を作り上げなければならなくなるのである。

 

会話がしょっちゅう中断されるようなら、

たとえその原因があなたになくとも、

マイナスの印象を持たれている可能性があることに注意しよう。

人が成功するには、

努力という苦しみが絶対必要だ。

 


多くの人がそう考えている。

 


私に言わせれば、

高度経済成長期の古い考え方である。

 


戦後の経済成長期、日本の産業社会を支えてきたのは、

大工場における大量生産に適した

トップダウン式のピラミッド型マネージメントだった。

 


そこでは経験豊かな人間が

上に行く経験主義がモノをいい、、

画一的な強要指導が行われた。

 


ピラミッドは、形や大きさが同じ石を

積まなければ崩壊してしまうから、

長所より短所に注目する減点主義の評価がなされ、

減点主義でふるい落とされなかった者が、

一番先にピラミッドの階段を昇っていく。

 


「努力は苦しいもの」という、

間違ったイメージを私たちが抱いてしまったのは、

強要的なマネージメントのもとで認められるには、

自分の長所や特徴を押し殺し、

画一的な社会人間になる必要があったからだ。

 


しかし80年代になると、規格品の時代が終わりに近づく。

 

定められた規格に従って大量生産したものが売れる時代ではなくなる。

 


今日のような消費社会で重視されるのは、量より質だ。

 

製造業よりサービス業だ。ハードよりもソフトである。

 


生産・流通という下部構造が変われば、

価値観などの上部構造も変わるというマルクスの予言通り、

そこで働く人間の意識も変わってきた。


私はその変化を、

「サラリーマン」から「ビジネスマン」への移行と捉えている。

 

 

つい最近まで、日本のサラリーマンはわずかな俸禄と引き換えに、

大名に召抱えられる武士とあまり大差がなかった。


 

武士が主君に仕えたように、

サラリーマンも忠誠心を持って会社に勤める。

 


それに対して、会社は終身雇用と年功序列によって、

その身分を安堵していたというわけだ。

 


それがいわゆる、「家族的な労使関係」である。

 


しかし、平成不況におけるリストラの嵐は、

日本的経営を崩壊させ、家族的労使関係

という古い幻想を一気に吹き飛ばした。

 


これで目覚めなければウソだろう。

もはや社会人間的なサラリーマンは通用しない。

 


企業のほうがそんなサラリーマンはいらないと言い出したのである。

 


自分の目標意識やモチベーションを

大切にする自覚的なビジネスマンでなければ、

これからのビジネスシーンでは

生き残れないと肝に銘じなければならない。

 


この変化を私は、「プロ化」という言葉で表現している。

 

プロスポーツ選手のように、一人一人が自分の目標を設定し、

自分のモチベーションを高め、自分のために仕事をする。

 


それが結局は会社にとっても有益であるという時代に、

日本もようやく入ったのだ。

 


有能なビジネスマンは、有能なアスリートが

試合や練習を楽しむのと同じように、

仕事を楽しんでいるし、面白がって努力している。


当然扁桃核は「快」である。


人はみな、いろんなことで

気になっていくものである!


失敗したことや、反省するような

重大な問題については、

実際のところ、あまり悩む必要はない。


なぜなら、そういう重大なことは、

誰でもそのうちに気をつけるようになるからである。


人間関係でもっとも気をつけてほしいのは、

“細かいこと”である。


些細なことこそ、

重大な事件よりも、はるかに重要なのだ。


重大なこと、大きなことというのは、自然と、目立つ。


そのため、誰でも注意が向くのだが、

細かいことはついついおろそかにしがちなのだ。


些細なこと、たとえば、挨拶をするとか、

笑顔を見せる、ことなどは、ともすれば忘れやすい。


小さいことだけに、「ま、いっか」

という気持ちになってしまうのである。


すぐに返すからと言って

借りた100円をずっと返さないとか、

そういう小さなことを気にする人は、

驚くほど少ないのである。


日常生活において相手に挨拶を忘れたからといって、

悩む人はほとんどいないと思うが、

本当はもっと気にしてよいことなのだ。


人たらしになりたいのなら、

些細な点ほど、敏感になることをオススメする。


ハーバード大学特別研究員のビル・ナーグラ-教授によると、

私たちの人間関係を破滅に陥らせるのは、

逆説的なことながら、重大な出来事「ではない」という。


私たちの人間関係を決めるのは、

取っ組み合いのケンカをしたとか、

大切な約束を破ったということではなくて、

ビールのお酌をし忘れたとか、

電話をするといってしなかったとか、

皮肉な冗談を言ってしまった、

というくらいの非常につまらないことが原因なのだそうである。

 

私たちは、誰でも大きなことばかり注意しようとする。


しかし、本当に大切なのは、

もっと“細かい”ことであることを覚えておいて欲しい。


とりわけ、「挨拶」はどんなに注意しても、

したりないくらい大切なものである。


ミシガン州にあるウエイン・ステート大学の

M・サーバウートンプソン博士たちは、

会社組織におけるいろいろな変化を調べたのだが、

一番大きく変わったのは、

「挨拶が減ったこと」であるという。


Eメールのやり取りが増えるにしたがって、

組織における挨拶が、

なんと63%も減少することになったそうである。


「キチンとした挨拶ができれば、

それだけで人たらしになれますよ」と

以前のブログでもアドバイスしているが、

それは挨拶を忘れる人が、驚くほど多いからなのだ。


仕事が終わってからの

「今日も、お疲れさん」という何気ない挨拶が、

私たちにはとても嬉しい。


だからこそ、挨拶を忘れない人ほど、

人たらしになれるのである。


大きな事故に注意しているくせに、

小さな石に躓いて怪我をする人は、たくさんいる。


人間関係でそういう怪我をしないためには、

足元の小さい石ほど、注意すべきである。


大きな危険は、誰でも避けようとするのだが、

小さなことを忘れている人が多いので、

これは特に念を押しておきたい。


つまらない冗談にもちゃんと笑ってあげるとか、

名前を呼ばれたらすぐ返事をするとか、

そういう些細なことに注意を怠らないようにしよう。


それだけであなたの評判は、グッとよくなるはずだ。

アスリートとサラリーマンは

基本的に能力の差がある!

 

アスリートに比べ、サラリーマンが

いかに能力を開発していないかという話をしよう。

 

ある大手電気メーカーに勤めるDさんは、

課長昇進の事例をもらい、

「会社を辞めようか」と迷うほど落ち込んでしまった。

 

昇進したのだから、大喜びしてもよさそうなものなのに、

「課長の職務をこなす自信がない」というのである。

 

昇進がきっかけになって発症するうつ病が増えているというが、

一昔前はそんなことはほとんどなかった。

 

課長になるには課長になるだけの、

経験とノウハウの蓄積がある。

 

それがバックボーンとなって、

自信を持つことができた。

 

しかし、時代の変化が厳しい今日では、

経験もノウハウもどんどん過去のものになり、

そのままでは役に立たない。

 

ということは、

自分の才覚が問われるということだ。

 

昇進に際しても、

昔よりずっと大きなストレスがかかるようになった。

 

私が何を言っても「自分には出来ないと思う」

「難しい」「そんな能力はない」と、

Dさんは繰り返すばかりだった。

 

すっかり自信をなくしている。

 

しかし、人間の能力に関しては、次のような原則がある。

 

成功できなかった人 ⇛ 能力があると信じられなかっただけ

成功した人 ⇛ 能力があると信じただけ

 

Dさんにこの原則をぜひとも理解してもらいたい。

 

しかし優秀なDさんの理屈脳は、

これをなかなか理解しようとしない。

 

そこで、「PAC検査(Potential Ability Check=潜在能力検査)」

を受けてもらうことにした。

 

PAC検査は「想像(Image)」「感情(Emotion)」

「思考(Image)」「環境(Environment)」「好機(Chance)」

の5項目に渡り、その人の潜在能力を

測定できる仕組みになっている。

 

別の言い方をすると、眠らせたまま使われずにいる能力が

どれだけあるかを調べるテスト、

別名「眠らせている能力チェック」である。

 

その結果を見ると、ほとんどの人が80点、

90点という高得点を取る。

 

持てる能力をわずかしか発揮していない人が

それだけ多いということだ。

 

ところが面白いことに、80点、90点の人たちが、

学校でマルばかりの答案を

返してもらった小学生のようにニコニコしている。

 

それをまた、「おっ、なかなか高得点ですな」

などとうらやましがる人がいる。

 

能力を発揮していないと指摘されて喜んでいるのだから、

たぶん何かの誤解があるに違いないが、

そのプラス思考をあえて壊す必要もない。

 

Dさんの場合も、それはもう見事なほどに

能力をはっきしていない。

 

Dさんの名誉のために断っておくけれど、

Dさんは怠け者や無気力人間ではない。

 

むしろ、「課長になれ」といわれ、

その重責を感じて落ち込むほどの責任感があり、

大変な努力家でもある。

 

そのDさんまで、

なぜ能力を発揮しきれていないのか。

 

これまでいろんな形で、

能力は努力によって開発されると思ってきた。

 

人一倍努力すれば、人一倍能力が高くなると信じ、

努力を続けてきたのがDさんのような人だ。

 

努力が才能を開花させる。

 

そう信じているから、親という人種も、

子供に嫌われるのを承知で

「勉強しなさい」と口うるさく言ってきた。

 

しかし、今日からは、

その考えを根本的に改めていただきたい。

 

苦しい努力を嫌がる子供の方がじつは正しかったのである。