高校時代までを生まれ故郷で過ごし、服飾専門学校への進学のため大阪へバイバイ大阪で過ごした3年間は何を踊ってたかというとですねぇ...これがROCKやPUNKやNEW WAVE etc.ってわけでございますグラサン地元にはなかった『クラブ』という場所を知ってしまった私乙女のトキメキ中学高校と家で聴いていた音楽を、爆音で聴きながら踊れる『クラブ』に通い始めたことで音楽好きの仲間がたくさんでき、音楽の知識が豊かになり、私の世界は広がっていきましたルンルン

 

そして就職でいざ東京へ新幹線前アパレルメーカーに勤務し、大阪時代から続くクラブ通いも途絶えず、度重なるストレスから不健康な生活が常になりつつあった頃、ふと思ったんですキョロキョロ

 

「アカンやん...このままやったら病気になるタラー健康的なことせんと!!

 

元々❝踊る❞が大好きな私ですので、近くのスポーツクラブに入会し、筋トレとエアロビクスを始めました。私のお気に入りのエアロビクスインストラクターは音楽にこだわりがあって、お洒落なFUNKっぽい曲を使ってましたけど、人気のあるインストラクターは決まってメチャメチャ速い、なんのニュアンスの欠片もないユーロビートを使ってまして、ROCKな私は心の中で、

 

「センス無いな~ゲロー」と思ってました(笑)。

その頃はジュリアナ東京全盛期で、まだまだバブルのにおいがプンプンしていた1990年前半ですからね札束会社帰りのOLさんたちは、派手でセクシーなウェアを着ていましたけど、私はジャージにROCK T-シャツでしたからね~、場違いも甚だしい~笑い泣きでも素直に楽しかったです。だって音楽に乗って踊ることができていましたからねグッちなみにそのとき、一緒にスポーツクラブに通っていた友達はその後、エアロビクスのインストラクターになり、今は地元に帰ってZUMBAなるものを指導しているらしいです(発祥は南米コロンビア)アメリカほんまに何がきっかけになるか分からんもんですねOK

 

そして完全にバブルが崩壊し、アパレル業界が怪しい雲行きになった1995年、私は一念発起し英国に留学しましたイギリス英国音楽LOVEな私にとってLONDONは憧れの地キラキラ滞在していた4年間は『クラブ』活動とGigで踊りまくる日々を送りました(笑)ダッシュ

 

ただね、大問題が起こっていたんですガーン学生となり、変なストレスから解放され、バイト先でも人に恵まれ、プライベートも充実していた私。よく食べよく飲み、よく遊び、帰国時には体重がなんと15㎏増と言うねブタそれでも渡英時の体重が40kg台だったので肥満とまではいきませんでしたが、空港に迎えに来てくれた母と祖母、高校時代からの親友が目を疑ったと...ポーン

 

さて無事帰国した私ですが、まずは健康的に減量したい目じゃあ、何をするか...❝踊る❞しかないでしょ~、じゃあ今度は何を踊る?

 

地元のカルチャーセンターの広告に目が止まり、え~っと、ハワイアンフラ?

違う違う、性格に合わんやろ(笑)

他には~フラメンコ?カレッジでスペイン語クラブに入ってたし、やってみるか上差しという単純な発想で始めたフラメンコハイヒール習い続けて23年になります。やればやるほどハマってしまいましてね、地元のカルチャーセンター右矢印大阪の大手教室右矢印スペイン人舞踊手という流れで今に至ります。

 https://sites.google.com/view/flamenco-maribel/home?authuser=0


ってことで、なんやかんや踊り続ける人生を送ってきたプロコナオコさん赤薔薇今では、息子も娘も踊っています。ちなみにLONDONで出逢った夫は元METAL BASSISTで、これまた音楽とつながりのある人ルンルンBlood will tell.とはよく言ったもの、我らROCK Familyはこれからも、NO MUSIC NO LIFEな人生を送っていくことになるのでしょうドクロ

https://casadelpapa.net/