現在、欧州でバレエ留学をしている息子が夏休みで帰国中両親にとっては初孫であり、特に男の子が欲しかった父にとって(娘で悪かったな
)、息子は大切な存在であると思われます。
今日はその息子が、
「なんでじいじは、素直になられへんのかなぁ〜」
と少々呆れ顔で言うもんで、私は何も詳しくきかずに、
「仕方ないよ、いつも言うてるように脳の機能障害やからね、死ぬまで治らんからな。」
と返す
私のblogのこのシリーズを読んでくださっている方はご存知の通り、父は家族と身内、そして従業員に対しては、よくもまぁそんなことを…と言うような数々の暴言を吐いてきておりますので、今さら何を言われても驚きもしませんがね
とりあえず孫関連では、こういうことを言われてきました。長らくクソっ腹が立っておりましたが、もう今は平気いまだに言われることがありますが(どんだけしつこいねん
)、すでに父の発達障害、愛着障害、異常な承認欲求etc.を理解している私としては、もうそんなことどうでもいいのです。
「お前は何も親孝行してないからなぁ、子どもを二人産んだことだけやな、親孝行て言えるのは…」
「まぁ、ええ種馬連れてきてくれたから、綺麗な孫が産まれて良かったわ。」
夫が外国人で良かったわ
どうでしょう…これ…
これをヘラヘラ笑いながら言うんですから。
でもね、本人は何も悪いと思ってないし、責めてるつもりもない。とても日本的な、この年代のJapanese menのブラックジョークって感じ
まだ父の持ってるものに気づいていない頃、母も存命でしたが、あまりにも腹が立ってこう言ったことがあります
「私一人しかようつくらんかったじいじとばあばやからな、これだけは私の勝ちやな。」
今思えば、母には申し訳なかったですけどね
ASDの中でも、アスペルガー症候群(あくまでも私の見立て)の特徴が顕著な父は、自分より下の立場の人間、家族、身内、従業員に対しては、決して頭を下げません。ということは、何かを頼むことができない、そして「ありがとう」が言えないんです今のところね。あくまでも今のところ(笑)
そして若い頃に刷り込まれた“美学”、「男はこう生きるべき」というものがあって、強運な父はそれがいい形でワークしたため、社会的には成功者になりました
しかしASDの影響の強さにより、刷り込まれたものが年齢や経験とともにうまく変化していかないと思われ、ここでいらん『プライド』が顔を出すわけです
そして、今の自分の年齢や立場を考慮した振る舞いや、言葉のやり取りができないんですよね。常に偉い人ですから…
今は、経年劣化していく自分のことが、悔しくて悲しくて腹が立って仕方ない。そのストレスの捌け口が私達という…トホホ…
年齢性別関係なく、『自分は正しい』という思いが結局自分の首を絞め、柔軟さや素直さを失わせてしまいます。これは父のような高齢者に限らず、ASDとともに生きる人の特徴の一つです。そして自分を認めない人を敵=悪とみなし、攻撃します。逆を返せば正義感が強いとも言えますが、このアカン正義感が、人間関係のトラブルの原因となってしまうわけです
くわえて何か失敗をした時や、人に嫌な思いをさせても、自分を正当化しようと躍起になるのが常…理屈も言い訳も、自分が言うのはいいんです。
人が言うと、すごい剣幕で言いまっせ〜
「理屈を言うな!」ってね
そして、自分の都合のいいように、話がすり替わることもある。これは、前頭葉の機能がうまく働かないためだと思われます。思い込みが激しいので、自分が望む記憶に変わっていたりすることも…
そして平気で、
「そんなこと知らない」
「そんな人知らない」
とか言うこともあるというね
まぁ今では、ここまで客観視できるようになった自分を褒めたい(笑)私は本当に生きるのが楽になりましたからね。『心理学』に感謝しかない
父を見て、かわいそうだと思うのはもうやめたんです。だって私に父を変えることはできないし、何か言おうものなら、
「お前は心理学者やからな!立派やからな!」
とか言うわけです。ここには父が抱えるもう一つの問題があります。それは、いまだに残る強い劣等感です
これ、消えへんのよね〜
でもこれも裏を返せば、ハングリー精神ということになるわけでね。すべては表裏一体なのです
To be continued