後編を書こう、書こう…と思いながら、色々なことを思い出していたら、なんだか過去に引き戻されてしまいましてね。当分、自分のブログに向き合えず…そんな私にヤル気を起こさせてくれたのは、大切なクライエントさんでした飛び出すハート

 

昨日はいいお天気でしたね。花粉症持ちの私には少々つらい昨今ですが、昨日の午後は、青空の下、お城を眺めながらのコンサルティング晴れこのクライエントさん、回を重ねるごとに表情が明るくなり、涙より笑顔が増え、最近では少々の毒舌も出るようになりましてね。今回も二人で次回までの課題を決め「一緒にがんばりましょうねクローバー」と言って別れました。

 

 

 

 

それがあったお陰で、今日は続きを書く気になったしだいです。愛するクライエントさんに感謝付けまつげ

 

母を亡くして2年と4か月…

父の人生、母の人生、私の人生についての探求を続ける中で、本当にたくさんの発見と気づきがありました。そしてそれを信頼する友人知人に話すと、私と同じく80代の両親を持つ人は、多かれ少なかれ似た境遇であったりするんです。

 

●父親が封建的で、母親の我慢が半端ない。

●父親にとっては世間体が大切であり、外面がよく、身内に厳しい。

●父親が生計を担い、母親が専業主婦のため、離婚は難しい。

●夫にも妻にも、子育てと家事は女の仕事という固定観念がある。

●必ずしも愛し合って結婚したとは限らない。

 

 うちの父の場合は、これにプラスで発達障害(アスペルガー症候群)という強烈な個性付きですので、まぁ〜母はしんどかったと思います悲しい

 

父方の祖母は、父に対して頭は上がらないけれど、やっぱり自分の息子なので扱いは上手で、今思えば、決して琴線に触れるようなことは言わないし、しませんでした。

 

父も母である祖母に対しては、苦労してきたことを知っているので、当たりは柔らかかったように思います。いつも母が父にボロのちょんに言われたあと祖母は、ごめんごめん…と必死に謝っていました泣くうさぎ

 

一方父方の祖父は、ある分野においての職人でしたが、そのスキルを活かしてお金を稼ぐことができず、早くから息子に世話になっていることで、父として男として、少々後ろめたさがあったのではないかと思います。なにせ明治生まれですからね、プライドは高いし頑固な人でした。しかし私のことは、とても大切にしてくれましたウインク

 

まず私の両親は、経済状況含む育った環境がまったく違います。好きなもの、使う言葉、立ち居振る舞いetc. 父が経営者として必死にがんばり、それを母が支え、二人で寝る間も惜しんで世の中に貢献しようとしていた時代は、行き違いがあっても二人が見ている先は同じであったから、何とかなっていたんだと思います。

 

しかし、いつから母が本格的にメンタルを病み始めたのか…それは、父が60代で新しい物件を購入し、その実家には両親の居宅と父の会社、そして私の英会話教室が入るという、父が思う家族のすべてが集約された場所が実現したときからでした100点

 

父は公私ともに、ずっと実家で生活を送れるようになり、駐車場も実家の一階ということで、雨に濡れずに車の乗り降りができる。60代半ば三軒目の自宅で、父が思い描いていた理想の終の棲家を持つことができたわけです。しかし母にとっては、“亭主元気で留守がいい”どころか、“亭主は元気すぎて毎日家にいる”という状況になってしまったガーン

 

一人で本を読んだり、テレビを観たり、趣味の時間を持ったりということが、できなくなったのです。父のことなど気にせず、自分のやりたいことをやればいい…いえいえ、とにかく父は母のやっていることが気になるので、すべてにいちいち口を出す。それも口が悪いため少々嫌みな言い方で、自分が食わせてやっている人間に対しては、小馬鹿にするような発言をするのです。

 

本人はまったく悪気がありません。家族と身内には平気で、差別的、屈辱的なことを言う人間ですからね。だって食わせてやっている人間だから、何を言ってもいいと思っていますニヒヒ

 

母は毎日、地獄の苦しみだったと思われます。毎日、私が実家に到着するやいなや父の愚痴を言い始めるので、ある時、母に言ったんです。

 

「これまで一緒にがんばってきた夫婦やん?余生を仲良くやっていく努力、してくれへんかな。ママにとっては元は他人でも、私にとっては一応、たった一人の父親やから。私もできる限り協力はするから…」

 

母が亡くなってから、母の親友と母の妹である叔母から聞いたのですが、私に叱られた…と言っていたそうです。母はそれから、あまり私に父のことを言わなくなりました。私もその時は自分の家族のことなどもあり、いっぱいいっぱいでしたのでね。

 

このことについては、母を見送った後、当分罪悪感が消えず、一人になるとよく母の写真に向かって泣きながら謝っていましたぐすん

 

皮肉なものです、父の思いが実現した家は、母にとってはHell House(地獄の家)だったというね。でも母世代の日本の女性は、とにかく耐えるんです。我慢に我慢を重ね、ひたすら耐える。

 

私は今も毎日実家に行き、仕事をし、毎晩仕事が終わってから掃除と様々な点検をし、ゴミを集め、鍵を閉めて自分の家に帰ります。父とご飯は食べていません、冷たい娘でしょ?

 

父は自分で家事をしていますよ。もちろん、できるサポートはしていますがね。人生で初めての一人暮らしを経験しているんです。家族に弱みを見せたくない、頼りたくない、頭なんか下げてなるものかと思っているはずです。意地と根性で生きている…それは誰にも変えられないし、それでいいんだと思えるようになりました。同居はないなぁ〜無気力

 

わしは一人でやってきた!

お前たちに何が分かるか!

わしは一人でなんでもできる!

そう言って生きてきた手前、そのマインドを変えることはできないんですよね。

素直になれない父を、可哀想に思うことはありますよ。でもね、それは父が選んだ生き方ですからね。

 

父は80代ですが、今も会社を経営し色々な立場の方と仕事をさせていただいているので、ありがたいことに、たくさんの方が来てくださいます。友達もいますしね、外向けにはメチャメチャエエ人ですからねグラサン

 

悩みに悩み、考えに考え、それが一番いいことだと思ったんです。なので当分は、こんな感じで行こうと思っています。

 

母の人生は母が決めた…

父の人生は父が決める

私の人生は、私が決める地球

 

家族であっても、背負う必要はない

できるのは、ただ祈り寄り添うことだけ…お願い

 

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