意外と、あまり縁がない人に救われる | やちぼうず、食道がん”ゆるゆる療養食生活"&ケアラーのひとりごとブログ

やちぼうず、食道がん”ゆるゆる療養食生活"&ケアラーのひとりごとブログ

家族の食道がん術後闘病介護から「食事は栄養補給!」を実践中。
“庶民派“闘病・療養食にまつわる試行錯誤、「高タンパク高カロリー」食、ケアラー視点の食事と所感備忘録をつづります。
*食べ物の記述は素人の感想です。ジャンクフードも出てきます。

ドナウの旅人(宮本輝・新潮文庫) 異国の窓から(宮本輝・角川文庫)

 

一番好きな小説は、宮本輝氏の「ドナウの旅人」。

1983年11月から1985年5月まで朝日新聞で連載していたので、昭和生まれの方は知っている人も多いかもしれない。

この小説が好き過ぎて、もう何度読んだかわからないほど。その中で幾度となく出てくるフレーズが「人生の不思議」。この本を初めて読んだときから、この言葉に取り憑かれ始めた。

 

「人生の不思議」。

これを感じたことは、おそらく何度もあったが、家族ががんの告知をされた日、このフレーズを実感した。

 

My家族が、がんの告知をされた瞬間は「今からできることは何か」ということで頭がいっぱいになり、告知から数時間経つまで、ある意味実感が沸かなかった。

病院からの帰り道、頭ではこれから少しでも体の負担にならず、あわよくば体に良い生活を送ってもらうにはどうしたらいいか、ということばかり必死に考えていたが、気付くと目が涙で滲んできた。

自分よりもっとショックを受けているに違いない、それでも淡々としている告知をされた本人の前で涙を見せてはいけない、と思っているのに、涙はハラハラとこぼれ落ちてきた。

頭と心は違う、とはこのことだ。

 

そして何という呆れるほどの楽観的性格か。

胃カメラで検査した結果を聞きに行く日だとわかっていたのに、自分の中では「悪くても胃潰瘍」と本当にものすごく呑気に考えていたため、病院へ行ったあとの時間に仕事のアポイントを入れていた。ショッキングなことを告知される可能性などまったく予測せずに。

 

My家族と分かれ、ひとり公共交通機関を使ってアポイント先へ向かう。

ぼんやりと窓の外を見ていると、不安と涙が湧き上がってくる。どうしよう。自分、大丈夫か。これからの闘病生活を支えるにも、このあとのアポイント先でも。

 

そんな時、偶然、隣の席に居合わせた女子の笑顔に救われた。

詳しいことは忘れてしまった。ただ、他愛のないことでどちらからともなく言葉を掛け合って、最終的に彼女のまぶしい笑顔。天使に見えた。

 

最近は、袖振り合うも多生の縁なんて言葉は死後になったかのように、例え袖が触れ合ってもできるだけ関わりを持たないようにしている人が増えたと思う。そんな中、思いがけず、お互いにアイコンタクトと短い会話でコミュニケーションをとったうえ、別れ際の彼女の笑顔が本当に素敵だった。

 

弱り過ぎているから、そんなにも心を打たれたのかもしれないことは否定しない。それでも、彼女の偶然の笑顔とコミュニケーションによって、真っ暗闇だった頭の中に一筋の光が差したことは事実だ。見ず知らずのその人に救われた。

 

その後の毎日にも辛い気持ちは数え切れないほど湧き上がってきて、その度にズドーンと奈落の底に落ちた気持ちにはなるが、あの時、見ず知らずの人の笑顔に救われたなぁと思い出すことで、ほんのちょっと、暖かい気持ちが蘇ってくる。

 

そしてその後も、気分の落ち込みがひどい時に限って、特別親しいわけではない人からの仕事のオファーだったり、SNSへのごく久しぶりのリアクションだったり、相手は何も知らず、いつもと変わりない行動をとっているだけなのだと思うが、そんな何気ない小さな行動がタイミングによって希望の光になることが、私の人生には多い。これもまた人生の不思議、だと思う。

 

笑顔がまぶしかった彼女を始め、無意識に自分を勇気づけてくれた人は、自覚は全くなくとも確かに徳を積んでいるのだと思う。少なくとも息も絶え絶えのひとりに活力を与えたのだから。

そして、そんな彼らに感謝と心からの祈りを送りたい。どうか小さな幸せが周りに散りばめられますように。人生の不思議に溢れた希望の日々が訪れますように。

 

見ず知らずの、もしくはそれほど親しくはない私から、密かに感謝と祈りを贈られ、知らず知らずのうちに徳を積んでいるなどということも、きっと彼らにとっての人生の不思議だ。

 

やちぼうず