これまで何回か取り上げだ備中藩士の山田方谷。
残念ながら直接の出会いはなかったようだが、江戸の陽明学者・佐藤一斎に
学んだのが薩摩の西郷隆盛。
二人の間には陽明学、佐藤一斎があった。
sarasoujuさんに刺激されて、また鑑真の行路に思いをよせ、そのため
中村明蔵著『鑑真幻影』を開けたら、まず次の文章が目に飛び込んできた。
「江戸時代の旅人も、坊津の眺望をほめている。備中(岡山県)の薬種商、古河古松軒
(こしょうけん)は天明三年(1783年)西国各地を旅し、『西遊雑記』を著しているが、そのなかに次のような一文がある。」
鑑真が漂着し、やがて奈良へと旅立った坊津の景勝を絶賛している文章は省略するが、
備中の商人が坊津まで旅したことに驚いたのである。
この古河古松軒について調べてところ、なかなかの人物であったことが分かった。
「天明3年(1783年)3月末から9月にかけて、山陽、九州を巡り、『西遊雑記』を著した。岡田村を3月末に出立、備中、備後、安芸、長門を通って九州に渡り、豊前、日向、大隅、薩摩に入って鹿児島に到着、肥後、豊後、肥前を経て長崎に至り、帰路についた。」
坊津から奈良まで鑑真はどうたどったのかを明らかにする旅は、まだまだ
終りそうにない。
こんなアメブロがあり、すでにこの本を読んでいらっしゃった。
写真は同ブログよりお借りした。