昔の話で申し訳ないけど、私の小さい頃は、日常の中で「緊張」を味わう場面が山ほどあった。

 

小学校の通学路。

 

薄暗い森に囲まれた、急で細く長いクネクネとした階段状の山道。

 

まさにジブリの世界観がピッタリ合うような感じでしょうか。

 

子供のスピードで1時間程度だったんだから、かなりの距離とアップダウン。

 

しかも、その薄暗さゆえ、変質者がよく出たとのこと。

 

今思えばよく通ったもんだ。

 

今では学区編成で、大きい通りを下ったとこにある、目と鼻の先の学校に行ってるらしい。

 

なんで私の代はそんな特殊な学区編成だったのでしょうか。なぞです。

 

さて、そんな通学路。

 

みんながやることと言ったら、ターザンごっこ。

 

なにせ森に囲まれてますから。

 

木のツルを掴みまして、木から木へと文字通り飛び移るんですよ。

 

中にはね、腐りかけのツルがあるもんだから、私たちはそれこそ一大決心で飛ぶんですわ。

 

この時代、女子に人気があるのは運動神経バツグンの男子でしたから。

 

あぶないよー、なんて言われながらその子の前で豪快に飛ぶんですよ。

 

折れたツルと一緒に落とされた時は、笑いに変えて、面白さをアピール。

 

緊張と緩和。みんながやれないことをやる。それが重要でした。

 

それと、近道の発掘ね。

 

ケモノ道を探索して、学校への最短距離を見つけ出すんですね。

 

途中で鮎川っていう川がありまして、今では橋が架かってるんですが、その当時は橋なんてない。

 

川幅10メートルのここを渡れば、かなりの時間を短縮できる!

 

川の音を頼りにケモノ道を抜けていくと、そんなビックチャンスに出会うんですね。

 

川の途中途中に大きな石がポコッて顔を出しておりまして、そこをどうにか攻略すれば成功です。

 

私、小学2年生でそのルートを見つけ出したんですが、何度川に流されたことか。

 

しかたなく、その川を迂回して、もとの通学路にショボショボと歩き戻ったのを覚えています。

 

ようやく攻略したのは1年後の3年生だった頃でしょうか。

 

学校の裏門に通じる道でしたが、早く着いても誰も友達が登校してないからつまらなかった、というのがオチ。

 

それでも飽きることなく、そんな近道を幾度となく探索しましたが、その大半が通常より倍かかるルート。

 

そして高学年になると、近道より通常ルートの最短時間を競うようになりました。

 

特に下校から自宅までの最短記録。

 

誰と競うって訳じゃなく、自分との勝負ね。

 

毎日が一大イベントだったので、私の高学年時代のほとんどは、これに重きを置いていたと言っても過言ではありません。

 

そして、自分に課していたふたつのルール。

 

ひとつは、周りの人に急いでいるそぶりを微塵も感じさせないこと。

 

あたかも、普通に歩いてるんですが何か?と思わせるような進み方です。

 

走るなんてもってのほか。息遣いもハァーハァーなんてさせてはいけません。

 

そしてふたつめは、見えた人間は全て抜く。

 

クネクネとした山道ですから、見上げますと先のカーブに人影がチラッと見えたりするんですね。

 

ターゲット確定です。次のカーブですぅーっと爽やかな風のように抜き去ってあげます。

 

中には強敵もいまして、追っても追っても抜けない奴がいるんですよ。

 

ふたつ上の山本先輩ね。

 

この人が見せる“階段二段飛ばし走法”にどれだけ憧れたことか。

 

先輩が中学に上がる前に、絶対に抜いてやる。そう誓ったものです。

 

そんな私もいつしか二段から三段を習得。

 

いつ会えるか分からない山本先輩を、カーブの先に見える背中で判別しながら、期待を膨らまし返るのでした。

 

記憶にあるのは、一度。

 

汗も息遣いも、筋肉の緊張さえも、表情を含めた全てが、完璧な追い抜きでした。

 

あれ以来先輩を見かけなくなりましたので、察するに余りあります。

 

 

6年生しか担当しないサングラスをかけたヤクザ風先生。

 

体育会上がりで男勝りのビンタ先生。

 

何かあればモミアゲを引っ張り上げる雷先生。

 

廊下の壁に生徒の頭を打ち付けるイッチャッテル先生。

 

学校の中だって、緊張のしない日々はなかった。

 

汚い話だが、あの先生に見られるたびによくちびったもんよ。

 

でも好きだったんだよね。あの先生たち。

 

この人たちも緊張と緩和が上手かった。

 

今の子たちはいつ緊張してんのかねぇ。

 

by paris