さて、最近のU-12でございます。

 

夏休み期間からのコンディション不良が少しずつ改善してきた今日この頃。

 

ここ最近のTRも、強度と質の向上が多く見られるようになってきました。

 

昨日ありました県中1部リーグの上位対決も、前期の1-0を上回る4-0の快勝。

 

ほとんどの場面でTRの状況がそのまま表れていますので、TRと試合がリンクしているのでしょう。

 

TRで生まれた「形」が一緒というわけではなく、TRでやっている「意図」が一緒という意味です。

 

一進一退の攻防が多かった前期の対戦が、今回の後期では意図しながら相手を動かして急所を突いておりました。

 

それがTRとほとんど同じなんですから、改めてTRの重要性を感じております。

 

かといって、魔法のようなTRをしているわけでもなく、特別なTRをさせているわけでもありません。

 

とてもオーソドックスなTRとでも言いましょうか、どこでもやっているような単純なTRです。

 

「見なさい」「考えなさい」「判断しなさい」

 

このフレーズも多いでしょう。これまたどこでも言われていることです。

 

どこでもやっているようなTRに、どこでも言われているようなフレーズ。

 

これだけで十分です・・・とはいきません。ちゃんとサッカーを伝えなくてはなりません。

 

TRの前に選手たちにプレーモデルを提示する必要があります。

 

サッカーという競技を考えたうえで、チームが考えるプレーモデル、ゾーン毎のプレーモデル。

 

どのような判断を下しながら、ボールをどのように進めて、最後のシュートへと繋げていくのか。

 

もっと言えば、どうボールを動かし、どう動き関わって、どうシュートを打つのか。

 

こうしたプレーモデルとなる基準があると、選手たちも理解を進めやすくなっていきます。

 

そうして、フルコートのサッカーから細分化されたどこにでもあるようなTRへと落とし込んでいくのです。

 

逆にプレーモデルがない中でプレーを進めさせようとすると、TRは非常に混乱します。

 

「見なさい」「考えなさい」「判断しなさい」

 

こう指導者に言われても、いつ何を見て、何を考えて、何を判断すればいいのかがバラバラになります。

 

何を判断させるために、いつ何を見るべきなのか、何を考えておくべきなのか。

 

その基準を全員が知っておくということが、流動性を必要とするサッカーでは必要不可欠なんですね。

 

ただ、基準を知っていても、そこから考える量は選手が受け持たなければなりません。

 

基準となる判断を選ぶためには、見て考えることを続けなればならないのです。

 

これが難しいというのもサッカーの重要な部分でもあります。

 

見る量を確保する準備が必要ですし、考える時間も作って、判断を自分で下さなくてはなりません。

 

これは口を酸っぱくして言い続けなくてはなりません。

 

だからこそ、指導者からの「答え」や「正解」を待ち続ける選手は伸びません。

 

チームの大なり小なりのプレーモデルをしっかりと理解した上で、自主性をもってTRへ参加できるか。

 

これが選手の伸び幅になるのでしょう。

 

21名にもなる6年生集団ですが、大部分の選手たちがそこに気付いています。

 

小さな躓きや小さなキッカケ、その繰り返しの中で、自らが力を蓄えているということも理解しているのでしょう。

 

AチームにBチームの選手を加えていくのが困難じゃなくなったという事実も、選手たちの理解と努力のおかげです。

 

プレーモデルの下、常に新しいアイデアを提示しながら、これからも成長を促して生きたと思います。

 

 

by paris