TR中の選手へ求める一つに、「自分のギリギリを判断する」があります。

サッカーを表現する上で、一人ひとりに大切にさせている部分でもあります。

「自分のギリギリ」

この"せめぎ合い”が、個人の向上に最も効果があると思っています。

信号機で言えば、黄色なのかもしれません。

もっと言えば、黄色から赤に変わるその一瞬なのかもしれません。

個人には様々な差がありますから、ある選手は青であっても、

ある選手にとっては黄色や赤であることがあります。

ですが、ここで一番問題なのは、青と赤しか持ち合わせていない選手です。

これは画一的に指導してしまう指導者の問題も大きいのでしょう。

それぞれがそれぞれの黄色を認識することが必要です。

そして、そのそれぞれの黄色を青に変えようとチャレンジさせることが必要なのです。

ジュニアの大会なんかを見に行くと、誰かのための選手が多く存在しています。

必要以上にリスクを考えさせるので、その子に黄色は許されていないんですね。

「僕はあの子にパスをするのが役目」

その子には、青と赤がハッキリあるようです。

そのようなことを選手から聞かされること自体、残念な状況ですよね。

ギリギリの獲得は非常に時間が掛かりますし、選手・指導者どちらも忍耐が必要です。

でもどちらか一方でもそれを下りてしまったら、表現しないまま終わります。

選手に手をかけた瞬間から指導者は責任を負います。

表現させてあげる責任があるのです。

サッカーを楽しむ権利、サッカーを向上し続ける権利、そして、サッカーをする権利。

お互いの相互関係でTR効果が上がるものだとしたら、

私たちはお互いの表現を思う存分出し合えるようにならなくてはなりません。

出来る出来ない、あります。

出来るかも・出来ないかも、それもあるのです。

その間にある点(・)は、選手のもです。


by paris