「現状をどう受け入れるか」

少子化の影響やサッカーをする環境の多様化によって、チームによっては少人数での戦いを余議されている所も少なくはない。

今回の新人戦でも、小学生がスタメンの数名を占めている所もある。

そうでなければ人数が揃わず出場できないからである。

グランドに並ぶその姿を見ても、その差は一目瞭然。

体つきもさることながら、スピード・パワーなんてものも大きな差がある。

正直、これでは勝てない。

でもね、誰も悪くない。

圧倒的な力差なんて、こうしたことに限らず、外を覗けば幾らでも遭遇します。

どうしようもない差。

遭わないようにしているだけで、誰にでもその差はあって、いつでも存在しています。

ただ、遭わないように、見ないように、感じないようにしているだけ。

その場に身を置くことを想像してみてください。

それが長く続くところだと想像してみてください。

その差を嘆き、その違いに落胆し、その環境を怨みますか。

頑張ってもなかなか埋まらないその差に、もっと頑張ることが必要だと叱咤しますか。

これは経験なんだと見えない希望の光を想像させますか。

それとも一緒になって、目を背けて下を向いていましょうか。

それとも、その場を離れましょうか。

人間の心癖、もしかしたらそれは本質なのかもしれません。


私はよくこうしたことを想像しています。

これからもあるだろうし、覗かないだけで今だって存在しています。

だから大事にしているのは、「現状をどう受け入れるか」。

指導者のみならず、子供たちにもそれを大切にさせています。

変わるもの・変わらないもの。

時間が掛かるもの・掛からないもの。

作り上げられるもの・難しいもの。

その他にも。

現状を正確に把握した上でしっかりと受け入れ、何に意味を持たせるのかを挙げていきます。

そうすると、全ての試合だったり環境が彼らにとって大きな意味合いを持つ場となるんですね。

事実、0-10で負けようが、0-100で負けようが、どうでもいいよという環境だってある。

その差が問題じゃないよと。

大切なのは、そうした環境でも作り上げられるのもがあるってことを見つめることです。


勝ち負け・点差・内容。進出敗退。昇格降格。

どうしようもない時ってあるんだもん。

でも、それしか見つめないで行っちゃうと辛くなるんだな。大人も子供も。

苦しいし、つまらないし、なぜ自分がここに立っているのかさえ分からなくなる。

頑張るだけ頑張らせて、最後にもっと頑張れよって怒られて。

何も残らないなんて辛いよな。

強い奴だけが楽しめるなんて、そんなことは絶対に違うんだな。

現状をどう受け入れるかなんて、大人のさじ加減。

それだけで、子供の視野は広がるし、楽しみ方も自然と覚えてくる。

「こんな差があるのに、なんであいつら輝いてんのよ!?」

「なんでこんな目になれんのよ!?」

そう感じさせられる人間になったら、本当の意味で強いんじゃないかな。

誰にでも胸張れるんじゃないかな。誰よりも誇れるんじゃないかな。

こうしてあげたいよね。

心癖に注意を払いながら、これからも進んでいきたいと思います。


by paris