期待が大き過ぎるというのも問題で、通常の過程でさえ落胆に思えてしまう時があります。

指導者・選手間において、問題の認識が共有されていたとしても、

それを成功に見える形にするまでには多くの時間と労力が必要です。

例えば、体力差や技術差が大きく影響する年代の試合なんてそうでしょう。

なぜ勝てないことが多いの?・これって上手くなってないんじゃないの?等々。

客観的には中々見えてこないんですね、成功が。もどかしいですよね。

もどかしいから、つい言っちゃう時もあるでしょう。

「なぜ?」って、「どうして?」って。

でもこれが選手にとって一番辛い言葉なんですよね。

今までの頑張りを否定されちゃうんですから。

選手たちは形になるまで幾ら時間がかかろうが、その問題を認識して取り組んでいます。

1週間やったから形になる。1ヶ月やったから形になる。

そんな簡単なことじゃないんだってことも、その期間で知ったりもします。

そうした頑張りを支えてるのは、唯一です。

「信じている」からです。

この取り組みでいいんだ。この向き合い方でいいんだ。

きっと形になる時が来るんだ。形になった時に自分は自分たちは凄く強くなるんだって。

客観的に見える成功の前に、見えずらい小さな成功がポツポツと存在しています。

それは普段のTRかもしれません。試合の時かもしれません。

小さな成功の合間に、以前と変わらない姿が見え隠れする時もあるでしょう。

でもそれが当たり前の姿です。

見え隠れしない選手なんていません。

その時間を短くするためにTRをし、それ以外の良いものを多くしていく努力をしています。

選手は日々戦っているんですね。

もちろん戦ってない選手は叱られているでしょう。

理想と現実の違いに立ち止まって頭抱えたって、何にも進みやしないですからね。

どん底の過程や、苦悩の過程、きらびやかな過程、華やかな過程、様々な過程があるかと思いますが、

どんな過程にしたって、正しく取り組んでいればその選手たちが望んでいる形に少しずつ近付いていきます。

だとしたら、その選手たちには力強くその過程を進ませてあげたいですよね。

子供たちを指導していると、彼らが自分だけの楽しみのためにサッカーをやってるんじゃないってことを気付かされます。

そんな彼らのために見守る立場の我々は、もどかしさを持つ前に勇気を分け与えなくてはならないでしょう。

「一生懸命にやっている姿が見れて今日も嬉しかったよ」

こんな一言がその背中に投げ掛けられたら、その過程は以前より明るくなるのかもしれません。



by paris