このブログを色んな人が見てくれているようです。

その大多数がクラブ関係者なんでしょうが、中には他チームの指導者もいるんですね。

見てますよ!なんて急に声を掛けられることもしばしば。

先日ある指導者がこう言っていました。

「なんで書いてるんですか」

「書くことって話すことより難しいですよね」

なんか凄く深いテーマですよね、お互い深夜まで話し込んでしまいました。

あの夜はビール缶を何本空にしたことでしょうか。

事実、私も話すことより多くの労力が掛かってしまいます。

伝えたいことはこれ、でも違うニュアンスで伝わったらダメ。

前後にある言葉の選び方で全く違ったものになってしまうし、

読む人が読み易いかどうかも大切。言葉のリズムだとか、文の締め方とか。

伝えたいことをあれこれ詰め込み過ぎても、要点が掴めず途中で嫌気が差すだろうし。

最終的には、起承転結になってるか?なんて小説でも何でもないのに無駄に考えることも。

見えない読者の心を掴めって。

こんなことに根気と時間を使っちゃうんだから、それこそ婚期が逃げるわな。

きっとあの指導者もA型気質なんでしょう。事務系強いからね。

でも奥さんも子供もいるって言うんだから、掴むのは向こうの方が上なんだろうね。

それは素直に認めてやろう。私の完敗です。

でも試合の方は、こちらが掴んじゃいますよ。決勝トーナメントで待ってろ!2回戦目でね。

そんな冗談とも本気ともとれる話はさておき。

願わくば、「適度に分かりやすく、それでいてその情景がふわぁと湧いてくるような」。

途中で「プッ」って笑えるような脈略なんかもあると更に読み進め易いんだろうね。

そんな風に文が書けたら最高だ。


私の思う指導者像に「言葉の使い手」というものがあります。

指導の中で、言葉を巧みに使いながら選手たちにイメージを落とし込んであげる。

自分が持ち合わせている言葉の中で、その時々で何を選択し、どう表現してあげるか。

その量と選択の質が、指導者が持たなければならない資質のような気もします。

以前日本代表も指揮していたイビチャ・オシムさん。氏も代表的な言葉の使い手でした。

私は毎回日課にしていることがあります。

Jリーグが開催される度に行われる監督の記者会見記事に目を通すこと。

監督それぞれの言葉で、試合の総括と質問に対する回答を述べています。

それらが、どのように伝わり、どのように影響するのか、当然ながらそれも分かった上で話しています。

「言葉=文字」瞬間的なその能力に感心しきりです。

「なぜ書いているの」

あの指導者の問いに対する答えのひとつには、それらを得るための訓練というのもあるのです。

サッカー指導者なんて、途中で切られたら“サッカ”ですから。



・・・下手くそな終わり方。

もっと訓練しましょう。


by paris