宮尾登美子の『序の舞』を読み終えました。

 

男社会の京都画壇で、女流画家として絵一筋に生きた津也こと島村松翠(上村松園がモデル)。

 

最初の師 高木松溪(鈴木松年)と男女の関係になり、生まれた子供は里子に出す。

 

松渓の塾を辞めて、2人目の師 福野魁嶺(幸野楳嶺)に入門。

 

ここまでの感想(?)は既に書きました。

 

 

魁嶺が亡くなると、魁嶺の弟子 西内太鳳(竹内栖鳳)の「鵺の会」門下に。

 

松翠は3人目の師 太鳳とも関係を持つ。

 

その後、松渓と再会して誘惑されるまま関係を復活させ、またも松渓の子を妊娠する。

 

懲りない人だ。

 

このことが太鳳の知るところとなり、鵺の会を破門されてしまう。

 

松翠は腹の子を始末することも考えるが、母 勢以に説得されて出産を決意。

 

孝太郎(信太郎、後の上村松篁)を出産。

 

私生児を抱えた松翠の境遇は更に厳しさを増すが、勢以に励まされて絵の道を進む。

 

破門も解かれ、松翠は声価を高めていく。

 

そんなとき以前結婚を意識した村上徳二に生き写しの弟 桂三と邂逅し、松翠の恋心に火が付く。

 

惚れ易い体質なんだろうか。

 

程無く二人は関係を持ち、結婚を誓うが、身元調査で「素行おさまらぬ女人」とされて破談。

 

失意の松翠は死ぬことを考えるが、思い直す。

 

「松渓とのいく度かの別れも、怨念こもるものだったけれど、この桂三との醜い終末に較べればまだ一脈の救いはあったように思う。こんな仕打ちを受けたまま、むざむざ死ぬなんてできひん、と津也は強く思った。」(pp.641-642)

 

そして、いまの気持ちを絵に移し描き、『焔』を描き上げる。

 

孝太郎に縁談話が持ち上がり、坂本在住のます子(たね子)と結婚する。

 

見合いの場面で、気になる記述が。

 

「場所は坂本の茶の師匠宅、こちらからは京の師匠と孝太郎母子の三人が出向くことになり、湖水に近い下坂本のその茶室に落ち着いたとき、津也はここに来ればさまざまな過ぎる懐古の思いを今日だけはすべて断ち切らねばならぬと思った。」(p.680)

 

気になったのは、「下坂本」という表記。

 

現在はこざと偏の下阪本ですが、当時は下坂本だったのだろうか。

 

結婚後、ます子は松翠の絵のモデルとなり、やがて松翠は『序の舞』を描き上げる。

後年、松翠は思う。

 

「まっすぐな道だからさみしい、と思う日もあったけれど、いまはかえって、途中で曲がらなくてよかったという安堵がある。」(p.725)

 

世間の無理解と冷たさから松翠を守り切り、絵の道をまっすぐに歩ませたのが、母 勢以。

 

「周囲の反対を斥けて敢然と津也に絵の修行をさせてくれたことにはじまり、生涯にわたってその援助を惜しまなかったことは誰でも真似のできることではないと思うのであった。お母ちゃんがいやはらなんだら、画家松翆ちゅうもんはこの世にいなかったなあ、と津也は眠られぬ夜半めざめて吐息とともにいまさらに確信し、それは即ち、さらにこの上の精進を母の亡き魂に誓うことでもあった。」(p.713)

 

そして、松翠は女性初の文化勲章を受章する。

 

この前読んだ宮尾の『一絃の琴』と比べると、読後感はずっと良い。

 


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