東京に戻りました。
今回の旅の最後に泊まったのは、倉敷。
目的は水島コンビナートを歩くこと。
水島コンビナートができたのは戦後。
水島の歴史は、1941年4月、三菱重工が戦闘機製作のため、水島進出を決定したことから始まります。
工場建設に合わせて、道路、公園、社宅、鉄道(現水島臨海鉄道)等が整備されます。
水島は三菱重工が作った町と言っても過言ではない。
工場が稼働したのが、1943年4月。
水島空襲で壊滅したのが、1945年6月。
稼働したのは僅か2年間。
その間に一式陸上攻撃機513機、紫電改9機を製作。
三菱重工は空襲に備え、亀島山の地下にトンネルを掘り、工場を疎開する計画を進めていました。
結局、亀島山地下工場は未完に終わりましたが、当時のトンネルは今も残っています。
貴重な戦争遺構ですが、倉敷市は保存には消極的で何れ朽ち果てることは確実。
倉敷市には美観地区ばかりでなく、水島の戦争遺構の保存にも力を入れて欲しいです。