量が増えすぎて1ページに入りきらないためpdf版も作りました。

 

【pdf版】

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【従来のクイズメモ(途中までしかないです)】

前98038年 デーモン閣下

前2333年 『三国遺事(さんごくいじ)』によると檀君(だんくん)朝鮮が建国

前1750年頃 ウル・ナンム法典(世界初の法典)

前1286年頃 カデシュの戦い(ヒッタイトのムワタリ王とエジプトのラムセス2世の間で起こった。成文化した最初の平和条約が結ばれた。)

前11世紀 牧野(ぼくや)の戦い(殷の紂王(ちゅうおう)vs周の武王)

前1046年 武王が殷を滅ぼし周を建国

前660年 神武天皇

前7世紀後半 ドラコン

前6世紀 ペイシストラトス、ペロポネソス同盟

前594年 ソロンの改革

前586年 ネブカドネザル2世がバビロン捕囚→ユダ王国滅亡

前550年 キュロス2世がメディア滅ぼしアケメネス朝建国

前538年 新バビロニア滅亡

前525年 カンビュセス2世

前508年 クレイステネスの改革(オストラキスモスなど)

前492年頃〜 ペルシア戦争(ギリシャvsペルシア)

前490年 マラトンの戦い(フェイディピデスはマラソンの由来)

前480年 テルモピュライの戦い→サラミスの海戦(テミストクレス)

前479年 プラタイアの戦い(ギリシャ勝利)

前478年 デロス同盟(ペロポネソス戦争での敗北により解散した)

前449年 カリアスの和約(ペルシア戦争終結)

前445年 カヌレイウス法

前431年〜 ペロポネソス戦争(一時的に成立した平和は「ニキアスの平和」という)

前387年 アンタルキダスの和約

前371年 レウクトラの戦い(エパメイノンダス)

前367年 リキニウス・セクスティウス法(コンスル)

前338年 カイロネイアの戦い(フィリッポス2世がデモステネスを破る)

前333年 イッソスの戦い(アレクサンドロス大王がダレイオス3世の軍を破った)

前331年 ガウガメラの戦い(別名「アルベラの戦い」、アケメネス朝が事実上滅亡)

前330年 アレクサンドロス大王がアケメネス朝滅ぼす

前323年 ディアドコイ戦争

前317年 チャンドラグプタ王がナンダ朝を滅ぼしマウリヤ朝を建国(首都パータリプトラ)

※サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)(都はプラティシュターナ)

※クシャーナ朝(都はプルシャプラ)

前312年 アッピア街道

前287年 ホルテンシウス法

前264年〜 ポエニ戦争(その名は「フェニキア人」という意味。ローマvsカルタゴ。第二回はカンネーの戦い、ザマの戦いなどがあり、大スキピオ、クィントゥス・ファビウス・マクシムス(「フェビアン協会」の由来)らが活躍。ハンニバルはゾウを率いてアルプス越えを行ったことで有名。第三回は小スキピオが活躍。)

前248年 パルティアがセレウコス朝から独立

前221年 秦の始皇帝が中国統一

前216年 カンネーの戦い(ハンニバル)

前213年 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)

前209年 陳勝・呉広の乱(ちんしょう・ごこうのらん)(世界初の農民反乱。秦滅亡のきっかけとなった、陳勝は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)」「王侯将相寧ぞ種有らんや(おうこうしょうそういずくんぞしゅあらんや)」などの言葉を残した)

前204年 ‪井陘(せいけい)の戦い(漢vs趙。韓信の「背水の陣」)

前202年 ザマの戦い(大スキピオがハンニバルを破った。第二次ポエニ戦争の勝敗を決めた戦いとされる)、垓下(がいか)の戦い(楚vs漢。故事「四面楚歌」が生まれた)、劉邦が前漢(都は長安、七代目・武帝のとき最大)建国

前168年 ピュドナの戦い

前154年 ‪呉楚七国(ごそしちこく)の乱

前146年 カルタゴ滅亡

前140年 建元(中国最初の年号)

前112年〜 ユグルタ戦争

前73年〜 スパルタクスの反乱

前53年 カルラエの戦い(クラッスス戦死)

前52年 アレシアの戦い

前49年 ルビコン川

前47年 ゼラの戦い(カエサルの「来た、見た、勝った」)

前42年 フィリッピの戦い

前31年 アクティウムの海戦(オクタウィアヌスがアントニウスを破る)

前30年 プトレマイオス朝滅亡

8年 新

9年 トイトブルク(森)の戦い(アルミニウス)

18年 赤眉の乱→23年新滅亡

25年 劉秀(洪武帝)が後漢(ごかん)(首都は洛陽)

54年8ヶ月→金栗四三(かなくりしそう)

79年 ヴェスヴィオ(ベスビオス)火山噴火(ポンペイが地中に埋もれた)

184年 黄巾の乱(張角)→220年後漢滅亡

208年 赤壁の戦い(この戦いによって魏・呉・蜀の天下三分の形勢が確立。映画『レッド・クリフ』の舞台にもなっている。)

212年 カラカラ帝(本名はルキウス・セプティミウス・バッシアヌス、通称は彼が好んで着ていたガリア地方の民族衣装に由来)がアントニヌス勅令

220年 曹丕(そうひ)が魏

221年 劉備(りゅうび)が蜀

222年 孫権が呉

224年 パルティア滅亡、アルダシール1世がササン朝

228年 ‪街亭(がいてい)の戦い(故事「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」が生まれた。)

234年 五丈原(ごじょうげん)の戦い(魏vs蜀。故事「死せる孔明、生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす」が生まれた。)

260年 エデッサの戦い(シャープール1世がヴァレリアヌスを捕えた)

266年 司馬炎が晋(西晋(せいしん))            建国

291年 八王の乱(晋滅亡のきっかけ)

313年 ミラノ勅令(コンスタンティヌス1世が発した)、仁徳天皇が即位

永嘉の乱→316年 晋滅亡

317年 チャンドラグプタがマウリヤ朝(都はパータリプトラ)、司馬睿(しばえい)が東晋(とうしん)(都は建康)

325年 ニケーア(ニカイア)公会議(アタナシウス派を正統、アリウス派を異端とした)

378年 アドリアノープル(ハドリアノポリス)の戦い(ウァレンス帝が破れる)

383年 淝水(ひすい)の戦い(故事「風声鶴唳(ふうせいかくれい)」)

415年 アラリックが西ゴート王国

431年 エフェソス公会議(テオドシウス2世が行う、アリウス派を正統とし、ネストリウス派を異端とした)

451年 カルケドン公会議(主催はレオ1世)、カタラウヌムの戦い(別名「シャロンの戦い」。アエティウス軍がアッティラ軍を滅ぼす)

476年 オドアケルが西ローマ帝国滅ぼす

481年 クローヴィス1世がメロヴィング朝

493年 テオドリックが東ゴート王国(都はラヴェンナ)

523年 六鎮(りくちん)の乱

527年 磐井(いわい)の乱(近江毛野(おうみのけな)の出兵に対して磐井が起こした。物部麁鹿火(もののべのあらかび)や大伴金村(おおとものかなむら)らが鎮圧した。岩戸山古墳は磐井の墓とされる)

529年 ベネディクトゥスがモンテ・カッシーノ(標語は「祈り、働け」)

531年 ニカの乱

552年 突厥(とっけつ)建国

555年 ユスティニアヌスが東ゴート王国滅ぼす

557年 突厥とホスロー1世がエフタル滅ぼす(ブハラの戦い)

568年 アルボインがランゴバルド王国

578年 金剛組

581年 楊堅(ようけん)が随(2代目は煬帝(ようだい))

587年 丁未(ていび)の乱(蘇我馬子らが物部守屋(もののべのもりや)を滅ぼす)

592年 蘇我馬子の命で東漢駒(やまとのあやのこま)が崇峻(すしゅん)天皇を暗殺

596年 蘇我馬子が飛鳥寺(あすかでら)(別名「法興寺」)

603年 冠位十二階(冠の色は位が高い順に紫(徳)・青(仁)・赤(礼)・黄(信)・白(義)・黒(智)。十二の官位の中では大徳が一番高く、小智が一番低い。)

604年 十七条の憲法

606年 ヴァルダナ朝(都カナウジ)

607年 小野妹子が随に派遣

608年 裴世清(はいせいせい)が来日。高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなぶちのしょうあん)、旻(みん)が随に派遣。

610年 曇徴(どんちょう)が来日し紙・墨・絵の具の製法を伝える。

614年 犬神御田鍬(いぬがみのみたすき)(最後の遣隋使。)

618年 隋滅亡、李淵(りえん)が唐(2代目は李世民、3代目は高宗、6代目は玄宗)

622年 ヒジュラ

636年 カーディシーヤの戦い

642年 ニハーヴァンドの戦い(ササン朝が事実上滅亡)

645年 乙巳(いっし)の変(大化の改新のきっかけ)

645年〜650年 大化(最初の元号)

650年 ‪永徽律令(えいきりつれい)(大宝律令の見本)

650年〜654年 白雉(穴門国(あなとのくに)の国司・草壁醜経(くさかべのしこぶ)が白い雉(きじ)を献上したことに由来する、2番目の元号)

660年 百済滅亡

661年 ムアーウィヤがウマイヤ朝(都はダマスカス)

663年 白村江の戦い(この戦いの後、防人が設置された。)

668年 高句麗滅亡、近江令(おうみりょう)制定

670年 庚午年籍(こうごねんじゃく)

672年 壬申の乱(大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武天皇)vs大友皇子(おおとものおうじ)(弘文天皇))

684年 八色の姓(やくさのかばね)(最上位は直人(まひと)、最下位は稲置(いなぎ))

689年 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の施行(天武天皇の命)

690年 庚寅年籍(こういんねんじゃく)

690年に最初に行われた→式年遷宮

694年 藤原京

698年 大祚栄(だいそえい)が渤海建国

701年 大宝律令(‪刑部親王(おさかべしんのう)や藤原不比等(ふじわらのふひと)らによって完成)

708年〜715年に使われた→和銅(日本の元号を五十音順に並び替えたとき最後にくる)

708年 和同開珎 鋳造(「皇朝十二銭」最初)

710年 藤原京→平城京(元明天皇)

711年 畜銭叙位令(ちくせんじょいれい)、ヘレスの戦い→ワリード1世が西ゴート王国を滅ぼす

712年 『古事記』(元明天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していたものを太安万侶(おおのやすまろ)が筆記)、玄宗が皇帝に即位

718年 養老律令 制定、ウマイヤ朝が東ゴート王国滅ぼす

720年 舎人(とねり)親王らが日本書紀

722年 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶかいこんけいかく)

723年 三世一身(さんぜいっしん)の法(別名「養老七年格(きゃく)」)

724年 大野東人(おおのあずまひと)が多賀城

726年 聖像禁止令(レオン3世)

729年 長屋王の変(これによって不比等の子・4兄弟が長屋王を自殺させる)

732年 トゥール=ポワティエ間の戦い(別名「ビラート=アッシュハダーの戦い」。カール・マルテル(ピピン3世の父)率いるフランク王国がウマイヤ朝を破り、イスラム勢力による欧州征服を阻止した。)

740年 藤原広嗣(ひろつぐ)の乱(橘諸兄(たちばなのもろえ)の政治に反対して起こした、吉備真備(きびのまきび)・玄昉(げんぼう)の排除を求め反乱)

743年 墾田永年私財法(別名「天平十五年の格」)

744年 ウイグル

745年 行基が日本で初めて「大僧正」の位になる

749年 天平感宝(初の漢字四文字の元号)

750年 サッファーフがウマイヤ朝滅ぼしてアッバース朝(首都バグダード)

8世紀半ば シャイレンドラ朝

751年 タラス河畔の戦い(唐vsアッバース。製紙法が伝わった。タラス川はカラコル川とウク・コショイ川が合流して形成される中央アジアの川)、ピピン3世がカロリング朝、『懐風藻(かいふうそう)』(淡海三船(おうみのみふね)が編纂した日本初の漢詩集)

752年 菩提僊那(ぼだいせんな)(通称「婆羅門僧正」)が東大寺大仏の開眼供養(このとき孝謙天皇)

755年 安史の乱(安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)が指導)

756年 アブド・アッラフマーン1世が後ウマイヤ朝(都はコルドバ)

757年 養老律令施行(不比等編纂、藤原仲麻呂施行)、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の乱

760年 万年通宝 鋳造(「皇朝十二銭」二番目)

764年 藤原仲麻呂の乱‪(別名「恵美押勝(えみのおしかつ)の乱」。称徳天皇が平定し戦死者の冥福を祈るために「世界最古の印刷物」といわれる百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)を作らせた。)

‪767年〜770年 神護景曇(じんごけいうん)(最後の漢字四文字の元号)

‪769年 宇佐八幡宮神託事件(別名「道鏡事件」。和気清麻呂(わけのきよまろ)が道鏡の皇族化を阻止)

‪780年 宝亀の乱(別名「伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の乱」)

‪784年 平城京→長岡京(桓武天皇)

‪792年 健児(こんでい)の制

‪794年 長岡京→平安京(桓武天皇)、大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が最初の征夷大将軍に

‪800年 カールの戴冠(レオ3世)

‪802年 坂上田村麻呂が胆沢城(いさわじょう)

810年 薬子(くすこ)の変(平城太上天皇の変)

814年 『凌雲集』(嵯峨天皇の命で小野岑守(おののみねもり)が編纂した日本初の勅撰漢詩集)

818年 『文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)』(嵯峨天皇の命)

821年 満濃池、勧学院

822年頃 『日本霊異記』(作者は景戒(きょうかい)、日本初の仏教説話集)

827年 『経国集(けいこくしゅう)』(淳和(じゅんな)天皇の命)

828年 空海が綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)(現在の洛南高校)

842年 承和の変(藤原良房が伴健岑(とものこわみね)・橘逸勢(たちばなのはやなり)を排斥)、ストラスブールの誓い(ドイツ語で「街道の町」という意味のフランス・バ=ラン県の県都)

843年 ヴェルダン条約(ルートヴィヒ1世の死後、カロリング朝が3分割された、フランク王国を継承したのはロタール1世)

862年 リューリクがノヴゴロド

864年 貞観(じょうがん)大噴火(現在の西湖・精進湖にあたる「せの海」が埋没)

866年 応天門の変(伴善男(とものよしお)が源信(みなもとのまこと)の失脚を狙って起こした放火事件。国宝の『伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)』に描かれている。応天門のレプリカは平安神宮にある。)

868年 トゥールーン朝独立

870年 メルセン条約(ドイツ、イタリア、フランスの原型が生まれた)

875年 黄巣(こうそう)の乱(唐滅亡のきっかけ)、ナスル1世がサーマーン朝

882年 オレーグがキエフ公国

887年頃 阿衡(あこう)事件(宇多天皇と藤原基経)

894年 菅原道真が遣唐使を廃止

901年 昌泰(しょうたい)の変(藤原時平が菅原道真を左遷)

905年 『古今和歌集』(醍醐天皇の命で紀貫之、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのたたみね)によって選ばれた日本初の勅撰和歌集)

907年 朱全忠(しゅぜんちゅう)が唐滅ぼす

909年 ファーティマ朝

911年 ノルマンディー公園、サン=クレール=シュール=エプト条約

916年 耶律阿保機(やりつあぼき)が遼

918年 王建が高麗(韓国を表す「Korea」の語源になった)

919年 ハインリヒ1世がザクセン朝

930年 アルシング(アイスランドのシンクヴェトリルという丘で開催された世界最古の近代議会)

939年 平将門の乱(『将門記(しょうもんき)』では題材になっている)

承平・天慶の乱(じょうへいてんぎょう)(平将門と藤原純友の乱の総称)

951年 後撰和歌集(梨壺の五人が中心)

955年 レヒフェルトの戦い(オットー1世)

958年 乾元大宝(けんげんたいほう)鋳造(「皇朝十二銭」最後)

960年 趙匡胤(ちょうきょういん)が後周滅ぼし宋

962年 アルプテギンがガズナ朝、オットー1世が神聖ローマ帝国

969年 安和(あんな)の変(藤原実頼(さねより)が源高明(たかあきら)を左遷)

987年 ユーグ=カペーがカペー朝

988年 尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげ)(藤原元命(もとなが))

‪993年 ホグワーツ魔法学校

※1000年のときの日本の元号は長保(ちょうほう)、天皇は一条天皇、ローマ教皇はシルウェステル2世(本名:オーリヤックのジェルベール)

1004年 澶淵の盟(せんえんのめい)

1016年 クヌートがデーン朝

1019年 刀伊(とい)の入寇(藤原隆家が鎮圧)

1028年 平忠常の乱(源頼信が鎮圧)

1038年 李元昊(りげんこう)が西夏、ニーシャープールの戦いで勝利したトゥグリル・ベグがセルジューク朝建国

1044年 慶暦の和約(けいれきのわやく)、アノーヤターがパガン朝

1051年 前九年の役(源頼義、源義家が安倍頼時ら安倍氏を滅ぼす。『陸奥話記(むつわき)』では題材になっている。かつては「奥州十二年合戦」と呼ばれていた。)

1055年 セルジューク朝がブワイフ朝滅ぼす

1056年 ムラービト朝

1066年 ノルマン・コンクエスト(ヘイスティングズの戦いに勝利したウィリアム1世がノルマン朝を開いた)

1069年 延久の荘園整理令(後三条天皇)

1071年 マラズギルト(マンジケルト)の戦い(アルプ=アルスラーンがロマノス=ディオゲネスを破る)

1077年 ルームセルジューク朝、カノッサの屈辱(グレゴリウス7世がハインリヒ4世を破門)

1083年 後三年の役(源義家と藤原清衡が清原氏を滅ぼす)

1086年 堀河天皇に位を譲り白河上皇が史上初の院政、ドゥームズデイ・ブック(ウィリアム1世の命で作成された、その内容の重要さを「最後の審判の日」に例えたことから名付けられた)

1095年 クレルモン宗教会議(ウルバヌス2世が十字軍運動を提唱)

1115年 完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)が金

1122年 ヴォルムス協約(ハインリヒ5世とカリクストゥス2世が結んだ)

※ヴォルムス協約やラテラノ条約のように→コンコルダート

1124年 藤原清衡(ふじわらのきよひら)が中尊寺金色堂

1126年 靖康(せいこう)の変→1127年北宋滅亡

1127年 南宋

1130年 ルッジェーロ2世がオートヴィル朝

1154年 プランタジネット朝(初代ヘンリ2世、2代リチャード1世(「獅子心王」、第3回十字軍)、3代ジョン王(「欠地王」、マグナカルタ)、4代ヘンリ3世、5代エドワード1世、7代エドワード3世)

1156年 保元(ほうげん)の乱(崇徳天皇方(藤原頼長)と後白河天皇方(藤原忠通))

1159年 平治(へいじ)の乱(藤原信頼、源義朝)

1154年 ヘンリー2世がプランタジネット朝

1167年 ロンバルディア同盟、平清盛が太政大臣

1169年 サラディンがアイユーブ朝(エジプト)

1171年 ファーティマ朝滅亡

1175年から1177年まで使われた→安元(日本の元号を50音順に並べたとき2番目にくる)

1176年 レニャーノの戦い

1177 鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀

1180〜1185年 源平合戦(別名「治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱」。以仁王の挙兵に始まる。)

1180年 以仁王(もちひとおう)が挙兵、石橋山(いしばしやま)の戦い、富士川の戦い(水鳥の羽音に驚いた平維盛(たいらのこれもり)が退却)、福原京(ふくはらきょう)

1183年 倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い(別名「砺波山(となみやま)の戦い」。「火牛の計(かぎゅうのけい)」を用いて源義仲が平維盛(これもり)の軍を破った。石川県津幡町(つばたまち)と富山県小矢部市(おやべし)の堺にある峠で起こった。)

1184年 宇治川の戦い(源義経が木曽義仲(きそよしなか)を撃破。梶原景季(かじわらかげすえ)と佐々木高網(ささきたかつな)が「宇治川の先陣争い」を繰り広げた)、一ノ谷の戦い(平忠度(たいらのただのり)(乗り物に無賃で乗ること「薩摩守(さつまのかみ)を決め込む」の由来)が戦死。熊谷直実(くまがいなおざね)が平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取った。源義経の「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」の逸話が有名。鉄拐(てっかい)山、鉢伏(はちぶせ)山という海沿いにあるふたつの山に挟まれた兵庫県神戸市にある地域で起こった。)

1185年 屋島の戦い(源義経の「弓流し」、那須与一(なすのよいち)の「扇の的」の逸話で有名)、壇ノ浦の戦い(源平の戦いで最後。安徳天皇が入水し8歳で命を落とした)、鎌倉幕府の成立(1192年という説もある。初代将軍は源頼朝、2代は源頼家、3代は源実朝(百人一首第93首の「よのなかは〜」を詠んだ、最期は公暁(くぎょう)に暗殺された)、6代は宗尊親王(むねたかしんのう)(皇族で最初の征夷大将軍)、最後の9代は守邦親王(もりくにしんのう)(在職期間が最長))

1187年 ヒッティーンの戦い

1189年 衣川の戦い(藤原泰衡(やすひら)が源義経を自害させた。弁慶の「立ち往生」のエピソード)、阿津賀志山(あつかしやま)の戦い(鎌倉幕府軍vs奥州藤原氏)

1205年 『新古今和歌集』(後鳥羽上皇の命により藤原定家、家隆らが編纂)

‪1206年 奴隷王朝(最初のデリー・スルタン朝)

1213年 和田合戦(和田義盛)

1214年 ブーヴィーヌの戦い

1215年 マグナ=カルタ、ラテラン公会議(この第4回目が最も有名、インノケンティウス3世が「教皇は太陽、皇帝は月」と演説)

1221年 承久の乱(2代執権・北条義時が勝利し、後鳥羽上皇が敗北した。順徳天皇は佐渡、後鳥羽天皇は隠岐、土御門天皇は土佐に流された。この事件の後、六波羅探題が設置された)、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局

1222年 ケン=アンロック(ラージャサ王)がクディリ朝を滅ぼしてシンガサリ朝

1232年 御成敗式目(‪別名「貞永式目(じょうえいしきもく」、3代執権・北条泰時が定めた)、ナスル朝

1234年 オゴタイ=ハンが金滅ぼす

1238年12月30日〜 暦仁(最も短い元号)

1241年 ワールシュタットの戦い(ドイツ語で「死体の山」、別名「レグニツァの戦い」)

1247年 宝治(ほうじ)合戦(5代執権・北条時頼らが三浦泰村を滅ぼした。これにより北条氏の独裁体制が確立した。)

‪1250年 マルムーク朝(エジプト)

‪1253年に開山されたときの年号から名前をとった→建長寺

1258年 アッバース朝滅亡

1260年 アイン・ジャールートの戦い(バイバルスがフラグを破る)

1264年 リューイスの戦い

1265年 シモン=ド=モンフォールの乱(ヘンリ3世に対して)

1274年 文永の役(1度目の元寇。)

1279年 ‪フビライ・ハンが南宋滅ぼす

1281年 弘安の役(2度目の元寇。8代執権・北条時宗が2度の元寇の進行を阻止)

※元寇について描かれた『蒙古襲来絵詞』では「てつはう」、竹崎季長(すえなが)の活躍、彼の訴えを聞く安達泰盛(あだちやすもり)などが描かれている

1284年6月26日 ハーメルンの笛吹き男

1285年 霜月騒動(別名「弘安合戦」。安藤泰盛が滅ぼされる)

1293年 ‪ウィジャヤがマジャパヒト王国

‪1295年 エドワード1世が模範議会

1297年 永仁の徳政令(9代執権・北条貞時)

1299年 オスマン帝国

1302年 フィリップ4世(通称「端麗王」)が三部会を創設

1303年 アナーニ事件(‪フィリップ4世の政治顧問のギヨーム・ド・ノガレがボニファティウス8世を捕らえる)

1317年 文保の和談(持明院統と大覚寺統の皇位継承についての和談)

1324年 正中(しょうちゅう)の変、マンサ・ムーサがメッカ巡礼

1328年 フィリップ6世がヴァロワ朝

1331年 元弘の乱(元弘の変)

1333年 新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉を滅ぼす

1335年 中先代(なかせんだい)の乱(‪北条時行)

1336年 建武式目、湊川の戦い(楠木正成(くすのきまさしげ)が自害)、延元の乱

1337年〜 百年戦争(キャドザントの戦い〜カスティヨンの戦い、ジャンヌ・ダルクが活躍、現在のイギリスとフランスの国境線を決めることとなった)

1338年 藤島の戦い(新田義貞が戦死)、足利尊氏が室町幕府を開く

1348年 ペスト、四條畷(しじょうなわて)の戦い(楠木正行(まさつら)が戦死)

1350年頃 観応の擾乱(かんのうのじょうらん)(高師直(こうのもろなお)と足利直義の対立)

1351年 紅巾の乱(元滅亡のきっかけ)、‪ラーマーティボーディー1世がアユタヤ朝

‪1356年 金印勅書(カール4世)

1358年 ジャックリーの乱(ギヨーム=カールが中心)

‪1368年 朱元璋(しゅげんしょう)が明(2代は永楽帝)

1370年 ティムール朝(都はサマルカンド、のちにヘラートになる)

1378年 大シスマ(教会大分裂)、足利義満が花の御所

1381年 ワット=タイラーの乱(単に「農民反乱」と呼ばれることも多い、指導者はジョン・ポールとワット=タイラー。リチャード2世が鎮圧)

1386年 ヤゲウォ朝

1391年 明徳の乱(山名氏清(うじきよ)討伐)

1394年〜1428年に使われた→応永(日本の元号で3番目に長い)

1396年 ニコポリスの戦い(バヤジット1世勝利)

1397年 カルマル同盟(マルグレーテ)、六諭(りくゆ)

1399年 応永の乱

1399年~1402年 靖難(せいなん)の変(燕王・朱棣(しゅてい)が建文帝の王位を奪い、永楽帝として即位した)

1402年 アンカラの戦い(ティムールがバヤジット1世を打ち破った)

1414年 コンスタンツ公会議(ジギスムントによって開かれた。大シスマを解消。ヤン・フスとジョン・ウィクリフ(聖書を初めて英語に翻訳したことで有名)を有罪。)

1416年 上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱

1419年 応永の外寇(別名「糠岳(ぬかだけ)戦争」「‪己亥東征(きがいとうせい)」)

1428年 正長(しょうちょう)の土一揆(初の農民一揆)、石清水八幡宮における「くじ引き」で足利義教(よしのり)が室町幕府第六代将軍へ

1429年 ‪尚巴志(しょうはし)、播磨の国一揆

1435年 アラスの和約→1453年百年戦争終結

1438年 永享の乱(えいきょう)、スコータイ朝消滅

1441年 嘉吉の乱(赤松満祐(あかまつみつすけ)が第6代将軍・足利義教を殺害)

1449年 土木の変(どぼく)(明の英宗がオイラトの指導者であるエセン=ハンに敗れて捕虜となった)

1450年 フォルミニーの戦い(薔薇戦争のきっかけ)

1451年 ロディー朝(最後のデリー・スルタン朝)

‪1453年 コンスタンティノープルの陥落(メフメト2世が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)滅ぼす。最後の皇帝・コンスタンティノス11世は戦死)、カスティヨンの戦い(百年戦争最後の戦い)

1455年 薔薇戦争(セント・オールバーンズの戦いが最初の戦い。ヨーク家とランカスター家の間で起こった。)

1457年 コシャマインの戦い(松前藩が設置される原因となった)、太田道灌(どうかん)が江戸城

1467年 応仁の乱(細川勝元と山名宗全(やまなそうぜん、山名宗全の俗名は「持豊(もちとよ)」)

1479年 アルカソヴァス条約

1484年 紋章院

1485年 山城の国一揆‪、ヘンリー7世がテューダー朝、ボズワースの戦い(リチャード3世敗北。薔薇戦争最後の戦いの一つ。)

1487年 ストーク・フィールドの戦い(薔薇戦争最後の戦いの一つ。)

1488年 加賀の一向一揆(富樫政親(とがしまさちか)が自害)、バルトロメウ=ディアスが喜望峰到着(アフリカ周回航海に任命したのはジョアン2世)

1492年 ナスル朝滅亡(レコンキスタ完了)、コロンブスがアメリカ大陸上陸(最初に発見したのはサン・サルバドル島)、マルティン・べハイムが現存する最古の地球儀「erdapfel」(「大地のリンゴ)」という意味)を作る

1493年 明応の政変 (細川政元)

1494年 アレクサンデル6世がトルデシリャス条約(西経46度30を基準とし、西側をスペイン、東側をポルトガル領とすることを定めた。のちにブラジルがポルトガル領になるきっかけとなった。)

1498年 バスコ=ダ=ガマがカリカットに到達

‪1501年 イスマーイール1世がサファヴィー朝(アッバース1世のときに首都がタブリーズからイスファハーンに移された、イスファハーンは「世界の半分」と言われた)

1510年 三浦(さんぽ)の乱(乃而浦(ないじほ)・富山浦(ふざんほ)・塩浦(えんぽ))(これにより日朝貿易衰退)

1516年 ヴィルヘルム4世がビール純粋令

1517年 ルターが九十五ヶ条の論題、セリム1世がマムルーク朝を滅ぼす

1521年 エルナン・コルテスがアステカ帝国滅ぼす、マクタン島の戦い(ラプ=ラプがマゼランを討ち取った。)

1522年 死去したマゼランに代わってエルカーノが世界一周

1523年 寧波(ねいは)の乱(大内氏vs細川氏)

1524年 ドイツ農民戦争(トマス=ミュンツァーが中心)

‪1526年 モハーチの戦い(スレイマン1世がラヨシュ2世を破る)、バーブルがパーニーバットの戦いでロディー朝を破りムガル帝国を建国(2代フマーユーン、3代アクバル、5代シャー=ジャハーン(ムムターズ=マハルのためにタージ・マハルを建設)、6代アウラングゼーブ(最大判図)、最後の17代はバハードゥル・シャー2世。)

‪1529年 サラゴサ条約(サラゴサはアラゴン州の州都)

1531年 シュマルカルデン同盟、タウングー朝(トゥングー朝)

‪1533年 フランシスコ・ピサロがインカ帝国滅ぼす

1534年 イエズス会(イグナティウス=ロヨヤ、ザビエル)

1536年 天文法華の乱、伊達稙宗(たねむね)が塵芥集(じんかいしゅう)(分国法では最大級)

1538年 プレヴェザの海戦(スレイマン1世勝利

1545年〜 トリエント公会議(パウルス3世が主催)

1546年 シュマルカルデン戦争、川越城の戦い(「川越夜戦(よいくさ)」が有名)

1550年 庚戌(こうじゅつ)の変(アルタン=ハン)

1551年 大寧寺(たいねいじ)の変(陶晴賢(すえはるかた)が大内義隆(おおうちよしたか)を自害させる。)

1553年〜 川中島の戦い(武田信玄vs上杉謙信。最大の激戦となった第4次の戦いが千曲川と犀川(さいがわ)が合流する三角状の平坦地である川中島であったことに由来。)

1554年 甲相駿(こうそうすん)三国同盟(別名「善徳寺(ぜんとくじ)の会盟」。武田信玄、北条氏康、今川義元の3人によって行われた。)

1555年 アウクスブルクの和議(フェルディナンドが召集)、厳島の戦い(陶晴賢(すえはるかた)が自害。)

1556年 長良川の戦い(斎藤義龍(よしたつ)が父・斎藤道三を討つ)

1557年 アルメイダが日本初の病院

1559年 カトー=カンブレジ条約(イタリア戦争の講和条約)

1560年 桶狭間の戦い(織田信長が今川義元(「海道一の弓取り」と称された)を破る。織田信長が出陣に際して『敦盛(あつもり)』を舞った。毛利新介(良勝)の活躍。戦場は田楽狭間という説もある。)

1562年〜 ユグノー戦争(ヴァシーの虐殺/事件がきっかけ)

1565年 永禄の変(松永久秀らが第13代将軍・足利義輝を殺害)

1570年 姉川の戦い(別名「野村合戦」「三田村合戦」。、織田、徳川連合軍が浅井、朝倉連合軍を破った)、金ヶ崎(かねがさき)の退き口(織田信長の撤退)、石山合戦

1571年 レパントの海戦(セルバンテスも参加している)

1572年 サンバルテルミの虐殺(サン・ジェルマン・ロクセロワ教会の鐘の音が合図になった。カトリーヌ=ド=メディシスが首謀者)、木崎原(きざきばる)の戦い(別名「九州の桶狭間」。)

1573年 三方ヶ原の戦い(「魚鱗の陣」「空城の計」。徳川家康が生涯で唯一敗れた戦い。)

1575年 長篠の戦い(武田勝頼が敗北。本多重次が「一筆啓上 火の用心」から始まる「日本一短い手紙」を妻に送り、手紙に出てくる「お仙」が本田成重であったことから福井県坂井市の資料館では日本初の手紙のコンクールとされる「一筆啓上賞」を主催している)、ライデン大学(オランダ最古の大学)設立

1577年 楽市楽座、手取川(てどりがわ)の戦い、信貴山城(しぎさんじょう)の戦い(古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)とともに松永久秀(まつながひさひで)焼死)

1578年 耳川(みみかわ)の戦い(別名「高城川の戦い」。島津軍が大友軍を破る)

1582年 本能寺の変、山崎の戦い(織田信長を討った明智光秀が討たれる。「弔い合戦」

の代表例。筒井順慶(つついじゅんけい)の「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」のエピソード。「勝負の分かれ目」を意味する「天王山」はかつて摂津国(せっつのくに)と山城国(やましろのくに)を隔てていた山)、天目山(てんもくざん)の戦い(武田家が滅亡)、天正遣欧使節(ヴァリニャーノが発案し、大友宗麟(おおともそうりん)、大村純忠(おおむらすみただ)、有馬晴信が原マルチノ、中浦ジュリアン、千々石(ちぢわ)ミゲル、伊東マンショを派遣)

1583年 賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い(秀吉vs柴田勝家。この戦いで負けた柴田勝家は妻のお市の方と自害した。功名(こうみょう)をあげた脇坂安治(わきざかやすはる)

、加藤清正、福島正則ら7人は「賤ヶ岳の七本槍(しちほんやり)」と呼ばれる)

1584年 小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い、沖田畷(おきたなわて)の戦い(「肥前の熊」龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が戦死)

1585年 関白相論(二条昭実(にじょうあきざね)と近衛信尹(このえのぶただ))

1585年と1600年 上田合戦(「表裏比興の者」真田昌幸が勝利)

1586年 岩屋城の戦い(高橋紹運(たかはしじょううん)死去)

1587年 バテレン追放令(バテレンはポルトガル語で「宣教師」という意味)、戸次川(へつぎがわ)の戦い(仙石秀久が改易)

1588年 アルマダの海戦(無敵艦隊)

‪1589年 アンリ3世の暗殺によりヴァロワ朝滅亡。アンリ4世がブルボン朝を開いた。摺上原(すりあげはら)の戦い(伊達政宗と蘆名義広(あしなよしひろ))

‪1590年 忍城(おしじょう)の戦い(石田三成が水攻め、『のぼうの城』)

1592年 文禄の役(一度目の朝鮮出兵)

1596年 サン=フェリペ号事件

1597年 慶長の役(二度目の朝鮮出兵。李舜臣(りすんしん)が朝鮮出兵を食い止めた。)

1598年 ナントの勅令(アンリ4世が発布。これによりユグノー戦争終結。ナントはフランスのロワール=アトランティック県の県庁所在地)

1599年 グローブ座

1600年 関ヶ原の戦い(東軍総大将は徳川家康、西軍総大将は毛利輝元。西軍の最多勢力を動員したのは宇喜多秀家。小早川秀秋(こばやかわひであき)の裏切りが東軍勝利の最大の要因とされる。小西行長(こにしゆきなが)はキリシタンであったことから敗れるも切腹を拒んだ。吉川広家率いる毛利軍が「弁当を食べている」と言って兵を動かさなかったことで「宰相殿の空弁当(さいしょうどののからべんとう)」という故事が生まれた)、イギリス東インド会社設立。

※「小牧・長久手の戦い」「長篠の戦い」「桶狭間の戦い」が行われた→愛知県

‪1603年 ジェームズ1世がステュアート朝、徳川家康が征夷大将軍

‪1605年 火薬陰謀事件(ガイ・フォークスが犯人。英語の「guy」は彼に由来。)

1608年 サミュエル・ド・シャンプランがケベック植民地を建設

1613年 ロマノフ朝(ロシア)、慶長遣欧使節(伊達政宗がルイス・ソテロを正史、支倉常長(はせくらつねなが)を副史として派遣させた)

1614年 鐘銘事件(しょうめいじけん)(文英清韓(ぶんえいせいかん)の考えた方広寺の銘文「国家安安」「君臣豊楽」が徳川家康を怒らせて大坂の陣の原因になったとされる)、大坂冬の陣

1615年 大坂夏の陣、一国一城令、武家諸法度(徳川秀忠の命で金地院崇伝(こんちいんすうでん)が起草)、禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)

‪1616年 ヌルハチが後金(こうきん)建国

1618年~1648年 三十年戦争(「最大の宗教戦争」ともいわれる)

1620年 ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号に乗ってプリマスに上陸(猫の品種・アメリカンショートヘアはこの船に乗ってアメリカに伝来した。)

1623年 アンボイナ事件(イギリスがインドネシアから撤退するきっかけとなった)

1627年、29年 紫衣(しえ)事件

1628年 権利の請願(チャールズ1世)、ハーヴェーが著書の中で血液循環説を発表

1635年 リシュリューがアカデミー・フランセーズ創立

‪1636年 後金2代・ホンタイジが清と改称、ハーバード大学

1637年 島原の乱(天草四郎が中心、松平信綱が鎮圧)

「1640年から41年にかけてポルトガルとマラータ王国の間に起きた戦争」→ビコリム戦争(ウィキに掲載された架空の戦争)

1644年 李自成(りじせい)の乱、マーストン・ムーアの戦い

1645年 ネーズビーの戦い(清教徒革命で議会派が王党派を破って勝利)

1645年から1715年→マウンダー極小期(太陽の黒点が少なくなった)

1648年 ウェストファリア条約(「神聖ローマ帝国の死亡証明書」とも呼ばれる三十年戦争の講和条約。これによりスイスとオランダは独立した。ドルトムントやデュッセルドルフなどを含むドイツ北部の地方の名前がついた条約)、フロンドの乱

1649年 慶安御触書(けいあんのおふれがき)

1651年 慶安の変(丸橋忠弥(まるばしちゅうや)や由井正雪(ゆいしょうせつ)らが首謀者)

1652年 承応の変

1653年 スケベニンゲンの海戦

1659年 ピレネー条約

1665年 ‪諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)、諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと)

‪1668年 ジョン・ドライデンが最初の桂冠詩人に、アーヘンの和約(1回目)、池田光政が閑谷学校(しずたにがっこう)

1669年 シャクシャインの戦い(当時の元号から「寛文蝦夷蜂起(かんぶんえぞほうき)」とも呼ばれる。)

1670年 ステンカ=ラージンの乱(ステンカ=ラージンはアレクサンドル・グラズノフの民謡の名前にもなっている)、ドーヴァーの密約

1673年 三藩(さんぱん)の乱(フェルビーストは大砲を製作、康熙帝(こうきてい)が鎮圧)、三井高利が三越の前身となる越後屋を開業

1673年に芦田川の洪水で滅びた→草戸千軒(くさどせんげん)(「日本のポンペイ」と呼ばれる)

1679年 人身保護法

1685年 生類憐みの令、フォンテーヌブローの勅令(ルイ14世が発布。ナントの勅令を破棄。)

1688年 名誉革命(国王ジェームズ2世を追放し、王女メアリー2世と夫のウィリアム3世を国王とした。血を流さずに達成されたことから名前がついた)、ファルツ戦争

1689年 ネルチンスク条約(清の第4代皇帝・康熙帝(こうきてい)とロシアが締結。スタノヴォイ山脈とアルグン川を国境)

1699年 カルロヴィッツ条約

‪1707年 グレートブリテン大国、宝永山噴火

‪1713年 ユトレヒト条約(スペイン継承戦争の講和条約。この結果イギリスはニューファンドランドやジブラルタルを獲得。ユトレヒトはアムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグに次ぐオランダ第4の都市。)

‪1714年 ハノーヴァー朝、ラシュタット条約

‪1721年 ニスタット条約

‪1722年 ヤーコプ・ロッヘフェーンらがイースター島を発見

1727年 キャフタ条約(清の第5代皇帝・雍正帝(ようせいてい)が締結)

1731年 スティーヴン・グレイが第一回コプリ・メダル受賞

1733年 ジョン=ケイ(飛び杼(とびひ))

‪1736年 アフシャール朝がサファヴィー朝滅ぼす

‪1742年 公事方御定書(くじかたおさだめがき)(上巻81条、下巻103条)

1744年 カーナティック戦争

1748年 アーヘンの和約(2回目)

1752年 アラウンパヤーがコンバウン王朝

1753年に設立、1759年に開館→大英博物館

1757年 プラッシーの戦い(イギリスのインド植民地支配の始まりとなった)

1758年 宝暦事件(竹内式部(たけのうちしきぶ))

1763年 フベルトゥスブルク条約(七年戦争の講和条約)

1764年 ハーグリーヴズ(ジェニー紡績機)、ブクサールの戦い、伝馬騒動(てんまそうどう)(遠藤兵内(えんどうひょうない)が首謀者)

1767年 マイソール戦争、明和事件(山県大弐(やまがただいに))、‪コンバウン朝がアユタヤ朝滅ぼす、タウンゼント諸法(イギリスがアメリカ植民地に対して輸入税をかけた)

1768年 アークライト(水力紡績機)

1771年 西山(タイソン)党の乱

1772年〜1781年に使われた→安永(日本の元号を五十音順に並べ替えたとき最初にくる)

1773年 ボストン茶会事件(アメリカ独立戦争勃発の契機となった。)

1774年 キュチュク・カイナルジ条約(第一次露土戦争の講和条約。)

1775年 マラーター戦争、アメリカ独立戦争(レキシントン・コンコードの戦い〜)

1777年 サラトガの戦い

1779年 クロンプトン(ミュール紡績機)

1781年 ヨークタウンの戦い(アメリカ独立戦争が事実上集結)

‪1782年 ラーマ1世がチャクリー王朝を建国(別名「ラタナコーシン朝」「バンコク朝」)

1783年 浅間山噴火

‪1789年7月14日 バスティーユ牢獄

1783年の浅間山の噴火でできた→鬼押出し(おにおしだし)

1784年 志賀島で金印

1785年 カートライト(力織機)

1786年 イーデン条約(別名「英仏通商条約」)

‪1791年 ヴァレンヌ逃亡事件、ピルニッツ宣言

‪1792年 ヴァルミーの戦い(この戦いを見たゲーテは「ここから、そしてこの日から世界史の新しい時代が始まる」と言った)、ヤッシー条約

1794年 ジェイ条約、テルミドール9日のクーデタ(恐怖政治を行ったロベスピエールが処刑)

1796年 カージャール朝、アルコレの戦い

1797年 カンポ=フェルミオの和約(第一次対仏大同盟を瓦解。)

1799年 ブリュメール18日のクーデタ(これによってフランス革命が終了した。)

1801年 リュネヴィル条約

1802年 阮福暎(げんふくえい)が阮朝(げんちょう)(ベトナム)、アミアンの和約(第二次対仏大同盟が解消。アミアンはフランスのソンム県の県庁所在地)

1803年 ルイジアナ買収

1804年 ハイチ独立(ジャン=ジャック・デサリーヌやトゥーサン・ルーベルチュールが指導者)

1805年 トラファルガーの海戦(ネルソン)、アウステルリッツの戦い(ナポレオン、フランツ1世、アレクサンドル1世の3人の皇帝が参戦したため「三帝会戦」と呼ばれる。フランスのシャルル・ド・ゴール広場にあるエトワール凱旋門はこの戦争の勝利を記念して建てられた。現在のスラフコフ・ウ・ブルナという町で行われた。この結果、第三回対仏大同盟が崩壊した。)

1806年 ライン同盟(ライプツィヒの戦いで解体)、大陸封鎖令(別名「ベルリン勅令」)

1806年の「文化」と1842年の「天保」の2度発布された→薪水(しんすい)給与令

1807年 ティルジット条約(イエナの戦いの講和条約。これによりプロイセンはポーランドを失った。ティルジットは現在「ソヴィェツク」という名称)、アイラウの戦い

1808年 フェートン号事件(異国船打払令の発令の一因になった)

1809年 ワグラムの戦い

1810年 カメハメハ

1811年 ゴローニン事件(高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ))

1813年 ライプツィヒの戦い(別名「諸国民戦争」。ライプツィヒは数学者ライプニッツや作曲家ワーグナーの出身地)、ゴレスターン条約(第1次イラン=ロシア戦争(ロシアvsカージャール朝)の講和条約)

1814年 ウィーン会議(メッテルニヒが主催。議論が一向に進まないことから「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された。この言葉はリーニュ侯爵シャルル・ジョゼフが発した)

1815年 ワーテルローの戦い(別名「モン・サン・ジャンの戦い」「ラ・ベル=アリアンスの戦い」。ウェリントン(愛馬はコペンハーゲン)がナポレオン軍を破り、これによりナポレオンの「百日天下」が終わり、ナポレオンはセントヘレナ島に流された)

※その名前はワーテルローの戦いで右腕を失い、これを作らせた軍人に由来→ラグランスリーブ

1819年 アダムズ=オニス条約(スペインからフロリダ買収)、カールスバート決議(メッチルニヒが主催、ブルシェンシャフト運動が弾圧)

1820年 ミズーリ協定

1822年 ドン・ペドロ1世がイピランガの叫び(ブラジル独立、『独立か、死か!』)

1823年 モンロー宣言

1825年12月 デカブリストの乱

1827年 ナヴァリノの海戦(帆船(はんせん)での最後の戦いとされる)

1828年 トルコマンチャーイ条約(第2次イラン=ロシア戦争(ロシアvsカージャール朝)の講和条約)

1830年 七月革命(フランス)

1831年 マッツィーニが青年イタリア結成

1833年 ウンキャル=スケレッシ条約(第1次エジプト=トルコ戦争の講和条約)

1837年 大塩平八郎の乱(土井利位(どいとしつら)が鎮圧。彼は雪の観察結果を『雪華図説(せっかずせつ)』としてまとめて「雪の殿様」とも呼ばれた)、モリソン号事件(蛮社の獄のきっかけになった)、生田万(いくたよろず)の乱

1839年 蛮社の獄(鳥居耀蔵(とりいようぞう)が首謀者とされている。『慎機論』を著した渡辺崋山、 『戊戌夢物語』を著した高野長英らが言論弾圧された。「蛮社」は彼らが結成していた「尚歯会(しょうしかい)」を表す。尚歯会は遠藤鶴洲(かくしゅう)が主催した)、アブデュル=メジト1世の命でムスタファ・レシト・パシャがギュルハネ勅令

※ギュルハネ勅令からミドハト憲法まで→タンジマート

1840年 ワイタンギ条約(ニュージーランド北島の都市の名前が付けられた)、アヘン戦争(林則徐がアヘンの取り締まりを行い、この戦争のきっかけを作った)

1842年 望厦(ぼうか)条約(清とアメリカ)、南京条約(清とイギリス。イギリス全権はポッティンジャー、清国全権は耆英(きえい)。)

1844年 黄埔(こうほ)条約(清とフランス)

1845年 シク戦争

1847年 リベリア独立

1848年 バーブ教徒の乱、フランクフルト国民会議、ノヴァーラの戦い(ラデツキー軍がカルロ・アルベルトを破り、これを記念して『ラデツキー行進曲』が作られた))

1848年にカリフォルニアで起きたものが有名→ゴールドラッシュ

1853年 クリミア戦争(ナイチンゲールは「クリミアの天使」と呼ばれた。カーディガン(バラクラヴァの戦いで活躍した人物の名前が付けられた。セーターに名を残す))

1854年 カンザス・ネブラスカ法

1855年 日露和親条約(日本側全権は筒井政憲(つついまさのり)と川路聖謨(かわじとしあきら)。ロシア側全権はプチャーチン。)