表題はACIDMANの曲のタイトルですが、

youtubeには「歌ってみた」的なやつが上がってるだけですね。

なのでリンクしません。

この曲に限らず、ACIDMANの歌詞はかなり哲学的で、変わってます。

曲全体の雰囲気も、もっている個性はかなり幅広く…

 

と、このまま好きな歌手の宣伝を続けるつもりはありません。

ただ、しゅーほー的に、聞いていて涙が出てきた曲はこれが初めてだったので。

ちょっと前置き代わりの紹介でした。

 

「もう飽きたからやってない」という人もいる一方、まだまだ人気らしいポケモンGO。

ガラケー男子な僕の場合、まず機種変のためにショップへGOしないと触れることもできないアプリですが…

 

このアプリの利用者がルールを破り、結果事故を起こしました。

 

そして、一人の男の子がこの世を去りました。

 

「ルールを守らない大人のせいで、ルールを守っていた子どもが殺された。

こんなに理不尽なことは無い」

 

…父親さんの、そんな趣旨の一言が新聞に載っていました。

 

家ではお兄ちゃんやお父さんに。

学校や習い事の場では、仲間と一緒に。

きっと、いろんな場面で一番を目指して頑張っていたのだと思います。

 

「だから、彼は誰よりも早く、一番乗りで天国に行きたかったのかな…」

 

もしそうだとしたら、彼が見た最期の景色は一体どんなものだったのでしょう。

考えるまでもなくそれは、歌い手が思う「一番の理想」とはまるっきり対極に位置するもの…

 

 

かの有名なレスラーさんのように、「燃える闘魂」という言葉がこれ以上ないほど当てはまるような、

情熱的で熱くて、厳しくて優しい(パッと見怖い)お父さん。

そしてそのお父さんを「父ちゃん」と呼び、お兄ちゃんと一緒にいつでもお父さんについて歩いていた彼。

 

深く知っているわけではないけれど、その光景は印象的だったし。

間違いなく、それは「仲良し親子」の姿でした。

そんな仲良し親子…お父さんのことも、息子さんのことも知っている立場としては。

なにも言葉が出てきません。涙しか出ない。

 

さらに…世間はものすごく狭いようで。

まわりの人を辿っていくと…というか、辿るつもりなく話していると。

お父さんとも、息子さんとも、息子さんの友達とも、

さらには「ルールを破った結果取り返しのつかない結果を招いたドライバー」とも。

事件に関わる人たちが次々に「知り合いかも?」リストに上がってきてしまいました。

より一層やりきれない気持ちでいっぱいです。

 

スマホやらアプリやらの規制とか。モラルやマナーの問題とか。

言いたいことは色々ですが、それより何より。

 

 

一つの命が無くなるって、こういうことなんです。

 

 

突然わけが分からない状況に置かれたご両親。

命が奪われる瞬間を見てしまった友達やお兄ちゃん。

学校は別でも、習い事で一緒になる友達。

中にはショックが大きすぎて学校どころではない、早急なカウンセリングが必要な状態の子もいるようです。

それに加えて…直接的に彼と深く関わっていた人たちとは比にならないのは当然ですが…ショックの大小は別として。

事実を知って衝撃を受けている人もたくさんいる。

 

人と人とのつながりって、普段気付かないようなごくごく薄ーいつながりまで広げると。

わざわざSNSを使わなくてもいいほど、きっとすごくたくさんの人とつながっているのでしょう。

なにしろ自分が直接知らない人とまでつながってしまう。

知り合いを辿っていけばそのうちに有名人にまで辿りついちゃうそうですが、さておき。

 

自分の命は自分のものだけど、

「自分という存在」は決して自分だけのものではない。

 

「自分一人いなくなったところでさ…」

という思考パターンをもっていた しゅーほーは、今までは

「じゃぁ意味を作ればいい。見つければ良い」と思っていました。

でも違いました。

どこかの詩人さんではないですが、見えなくても「そこにあるもの」は、確かにあるようです。

自分にはその気が無くても、自分のことを知っている人はいるし。

自分にはその気が無くても、自分がとった行動で、自分に起きた出来事の結果で、

良くも悪くも何かしらの影響を受ける人が、必ずどこかにいる。

何も変わらない、のではなく。

見えないし、普段は気にもしないから気付けないんです。たぶん。

 

説教じみたことを言うつもりはありません。

ただ、たまには「目に見えない何か」に思いを巡らせてみても良いのではないかな、と。

そんなことを思う一週間でした。