ヨーガと一言で言っても、色んなヨーガがありますね
近代のヨーガの種類も多種多様ですが、
今はちょっと、その近代ヨーガのお話ではなく
もっと昔、古典的なヨーガのお話をしたいと思います
もう、本当にザックリとで、4大ヨーガ+1とします
まず、4大ヨーガは
ラージャ・ヨーガ(王道のヨーガ・瞑想のヨーガ)
カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)
バクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)
ジニャーナ(ギャーナ)・ヨーガ(智慧のヨーガ)
そして+1として
ハタ・ヨーガ
一般的にわたし達が普段レッスンなどで行っている体操のようなものは
ハタ・ヨーガの中のものです
アシュタンガとかアイアンガーとかシヴァナンダとか、
色々聞くと思いますが、どれもハタ・ヨーガから生まれています
ラージャ・ヨーガの八支則の中のアーサナの部分だと認識されている方も多いかもしれませんが、
(詳しくはアシュタンガ・ヨーガ )
超・超・厳密に考えた時にはちょっと違います
本来をちゃんと理解した上で、
あえてラージャ・ヨーガの一部として扱うこともありますが、
本来を理解せずにただただラージャ・ヨーガの一部と認識していると、
いつか頭がこんがらがると思います
まぁ、それはまた別のお話なので、ここでは飛ばしますが、
そもそもなんで、こんなに何種類も出来たんだろう
と考えたことがありますか
別にやり方なんて一つでもいいっちゃいいわけですし
一番最初の、一番大昔のヨーガは、
名前の通り【王道のヨーガ】、ラージャ・ヨーガだと言われています
このラージャ・ヨーガでヨーガの本来の目的である悟りの境地に行き着けるのならば、
そのヨーガだけあればよかったはずです
では、他にもヨーガの種類が出てきてるということは、
実際はそれでは悟りに至れなかったのでしょうか
いえいえ、ラージャ・ヨーガでもちろん悟りへの道は開かれます
でもこれが、とってもとっても難しかったのです
ヤマ・ニヤマ(詳しくはアシュタンガ・ヨーガ )を完璧に守ることも、
瞑想で三昧の境地に入り、悟りをえることも、これがどうして、非常に難しい
修行僧だって苦戦するところ、一般市民には到底不可能に近かいものでした
そこで出て来たのが、
カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)やバクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)や
ジニャーナ(ギヤーナ)・ヨーガ(智慧のヨーガ)です
修行僧にならなくとも、
一般の生活を送りながらも悟りへの道を歩めるようになっています
とは言え、ここまでの4大ヨーガは離欲が勧められ、
たとえ一般生活を送っているとは言っても俗世間とは一線を画しています
ラージャ・ヨーガ(瞑想のヨーガ)よりはやりやすくなったとは言え、
それでもやっぱり一般市民には実践するのが難しい
そうして出て来たのが、ハタ・ヨーガ
これはわたし達がもっとも同じみのヨーガですが、
肉体というとっても認識しやすいものを使って自分の内を見つめていきますし、
その背景に流れている考えも俗物なのです
それまで否定してきた俗への欲を認めて、
寧ろその俗欲の中に悟りの道をみつけましょう、ということ
感のいい方はお気づきかもしれません
そう、新しく出てくるものになればなる程、簡単な道になっています
例えて言うなら山のぼり
大昔は、道も何も無くとても人が上れる状況じゃない山を
苦労しながら一歩一歩登っていきました
それはあまりに過酷な道で、登りきれる人が殆どいなかったので、
道を舗装して歩きやすい山道を作りました
それでかなり楽に登れるようになったのですが、
それでも力尽きて登りきれない人が多かったので
ガラッと発想を変えてロープウェイを作りました
歩かなくちゃいけないなんて誰が決めたの
ロープウェイの中からしっかり山を認識することでも頂上つくよね~~って
だから、わたし達が現在行っているヨーガは、
ヨーガの中では比較的簡単な方法ということになります
とは言え、ロープウェイのある山でもやっぱり自分の足で登るのが好きな方がいるように、
簡単=誰にでもピッタリ、ではありません
それぞれが自分にピッタリのヨーガに出会えるといいなぁと思います
今日からまた新しい1週間
みなさまにとって、充実してイキイキとした一週間になりますように
Om Shanti & Love ベクシィ