北海道、道南の山旅と観光 その二 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

2017年7月14日

函館観光 と函館山登山

 

バアバーの希望で今回は道南の観光だけの旅にと思っていた。

毎年北海道をオートバイで旅をする知人が北海道の山の本を貸してくださった。本を見れば観光だけでは物足りなくなり、里山程度の山登りを加えた

 

 この日は函館の町を観光した後函館山に登山して夜景を見てロープウエイで下りる

 

朝一番にジイジーの希望の立待岬に先ず向かう

 

函館の朝市広場を見物

 

店が開いていて マグロどんぶり いくらどんぶりなど店の特徴を出して営業していた。 夜の方が活気があった

 

 

駅前から電車に乗って

立待岬へ

 

 

終点で下りて 地図を頼りに立待岬に向かう

ジイジーは「あそこには啄木の歌碑があるんだよ」と言った

青函連絡船の「洞爺丸」でニ回ほど行った思い出の地だそうです

 

急な坂道を登って行くと墓地が坂道の両側にあった坂道の上の方に

石川啄木一族の墓が 大森浜を見下ろすようにに立っていた

墓の裏に啄木の歌「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」と刻まれていた

 

宮崎郁雨などの歌碑もあり、それらを見ていると「喜々」とした子供の声が聞こえて来た そちらを見ると白いワイシャツ着た男先生らしい

人が先頭に其の後を列をなして小学生の集団が坂道を登って来た

「こんちちは」とバアバーが声を掛けた  小学生は「::::」すると

その白いシャツの男の人が「おいこんにちわと挨拶しろよ」と大きな声で言ったすると生徒たちは「こんにちわ、こんにちわ」と声が掛かって来た。 若い先生、子供たちのやり取り を聞いて、わかっていいな~と思わず笑みが出てまたバアバーモ「こんにちわ」と返した。

芝生がきれいで公園のになっている歌碑がいくつか立っていた

ジイジーは芝生の道を何かを探しているようにどんどん歩きていく。

 

昔の面影は全くなかったようです。昔は何もなく砂浜まで下りて

啄木の歌碑がぽつんとあっただけだった。

 

与謝野晶子鉄幹の歌碑もあった。

砂山影二の歌碑

 

 

 

断崖絶壁の立待岬を眺めていると墓の所で会った小学生の中の4人くらいがバアバー達の側に来た。「遠足」と聞くと

社会科見学で元町を見てここにきたと話してくれた。そしてバアバー達は群馬から来て、これから函館見学したいのだけれど、どこが良いと聞く、すると「歴史がある元町かな」 と言って「先生も群馬だよ」と言った。「あの白いシャツの男の方」と聞くと「そうだよ」と言った。

思わず同県人と聞くと白いシャツの男先生に親しみが湧いた

「おい集合」と男先生の大きな声がした。子供たちは一斉に先生の方に飛んで行った。とても活気ある白いシャツの男先生は教師の仕事がとても好きなのだなと言うのが体から滲み出ている風だった

とても清々しい気分になった。バアバーは勝手に「頑張って」とエールを送りたくなった。

 

 

 

市街地へ

 

また電車に乗って町に着いた。これからどこにしようかと、ジイジーと相談した。生徒が言っていた元町は外せなけど、まず港の近くから廻ることにした。港に向かって歩くと、町の建物の間に昆布のモニュメントがあった

 

明治時代の港で船をつないだ柱

                     

高田屋嘉兵衛、江戸時代末期  船の碇が展示されていたそこは

の豪商の家              造船所跡地

 

 

                       

 

 

 

金森赤レンガ倉庫跡 

建物の煉瓦は昔の風情があるが中は今風のショッピングセンター、色々の物が売っていて とても観光客で賑わっていた。

 

 

赤レンガ倉庫群を抜けて 西波止場を通ると 港公園があった

そこで港を見ながらお茶休憩にした。赤レンガ倉庫から離れて観光客もあまりいなくベンチに座れゆっくりした。ここでジイジーは山側の高いビルに気が付いた それは 何と「北島三郎記念館」だった。

新島譲のブロンズ像が立っていた

あれ何でここにあるのだろうと説明文を読んだところによると

このブロンズ像の表題は峯田敏郎氏が

「記念撮影 未来への始まりー海原ー」 新島襄が密出国時のイメージ像で表題をつけた。元治元年(1864年)6月14日夜、鎖国の禁を破って箱館大町築島の波止場から一隻の小舟で沖に出て、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号に辿り着き密航に成功した。

後に同志社英」学校(同志社大学)を創設した。

 

海なし県に育ち暮らしているバアバーは港とか海には限りなく夢を持つ、 「北海道第一歩の地」  ぜひここは見てみたいと思っていた。

 

「北海道第一歩の地」 碑

明治維新後函館は北海道の門戸なり、北海道の地を踏むものが、その第一歩を印したのが東桟橋である

青函航路が明治6年 始まった桟橋

 

北島三郎記念館

休憩した公園で発見した北島三郎の記念館に来ました

とても立派な記念館 案内の人が付いて解説してくれる

 

記念撮影          北島三郎さんの人形が挨拶して握手して 

                  くれる 。ご満悦です  

  

流しをしていたころのギター と 自転車と キャバレーの風景    

 

 

日和坂をを上って  正面に見えるのが函館山、

館市北方民族資料館や元日本銀行などを見て 歩き、そろそろ昼食

と思ったがこの辺りは食べられる適当な店がない

ジイジーが北島三郎記念館のビルにレストランがあったからそこに行ってみようよとビルにいった

 

 

 

北島三郎記念館のビルで昼食

満員の札が掛かっていた。 帰ろうとしたら店の人が「どうぞ大丈夫ですよ」店を案内してくれた。予約席がちょうど終わったようだ

ジイジーは懐石 バアバーはフレンチをお願いした

空腹と疲れで料理の写真を撮るのをすっかり忘れてしまった

とてもお洒落な昼食になった

ピアノが置いてある雰囲気の良いレストランで食事が終わってから

窓の外を見ると歩いて来た赤レンガ倉庫群や港が窓の下の方に見えた。ゆっくりお茶も頂いた。

 

 

 

元町歩きに向かう

 

 

 

 

イギリス領事官

部屋の中

 

バラの庭園 見事です

バアバーの庭のバラとは月とスッポン]    来春は綺麗なバラを咲かせよう:::と

 

 

 

坂道の端に花壇が作られていた。地域活動の花壇造りに参考しようと

花壇の写真を撮っって来た。

 

(実は去年の秋、地域の花壇の冬の花の植え付けは この写真を参考にした)

 

 

箱館奉行所

洋館 や洋風の庭見てきて ここは日本庭園植え込み、ちょっと異様な感じ、洋館を見て来たのでか

 

 

函館四天王像 

 =市民精神の源流=明治時代

今井市右衛門  平田文右衛門  渡邊熊四郎 平塚時蔵

函館の経済 教育 医療 社会 自由な精神造りに貢献した一

 

 

旧北海道庁函館支庁庁舎

明治42年

 

 

旧函館区公会堂

明治43年(1910)  明治の洋風建築物 左右対称、二階にベランダ

 

元町公園

 

ちょと戻って

洋館と木の間から 元町公園、遠くに港の町を見下ろした風景が気にいって写真を撮った

 

 

歩いて行くと外国人の観光客が集まって坂下の方を写真を撮っている

所に来た。皆さんと同じように坂を眺めてみた観光案内にも載っている八幡坂だった 「観光案内の写真ね」

観光客の会話言も色々の国の言葉が飛び変わっている。

 

教会があり異国に行ったような雰囲気の街並みが続く

 

          

 

チャチャ登り

函館では珍しいアイヌ語の坂名である。  幕末についた

チャチャとはアイヌ語でおじいさんのことで,坂が急なので腰を曲げて

登る姿で、チャチャ坂と呼ばれた

名前の通り 本当に急な坂

 

登って振り返ってみた

本当に急な坂

 

 

 

函館山登山

函館山は標高334m 周囲の9kmの陸繋島であり、別名「臥牛山

とも呼ばれる。展望台のあり標高が一番高い御殿山(334m)をはじめとして13の山の総称を 函館山という

函館山はかつて要塞の山であった 明治32年から昭和21年までの47年間、函館山の写真スケッチすら禁止され、一般市民が立ち入ることが出来なかった。そのため自然が豊かに残っている。函館市に移管されてから「函館緑地」と整備し、昭和29年展望台設置 昭和33年ロープウエイが設置され夜景の名所と知れ渡り観光名所となった。

歴史がある函館山に歩いて上ることにこだわって函館山を目指し元町から登山口まで歩いた

いよいよ登山開始

  函館山にはいくつかの登山コースがあるが、今回は護国神社から入り砲台跡を見て頂上に至るコース

 

登山口                  ふれあいセンター       

 

 

要塞当時の貯水層

あった昔の遺構が

 

緑の森 うっそうとしている感じで

 

歌碑が立っていた  

 

 

杉林の美しい登山道

函館山に、もともと杉は生えていなかった。江戸後期七重村(今七飯町)の農民 倉山卯之助によって苗木を移植した 杉人工林の始まり

二合目

お地蔵さんが立っていた

昭和23年に設置された

 

 

 

函館山の溶岩の説明

 

 

鳥観察小屋

雑草や生茂り藪になったところに柵がありここが鳥の観察場所のようだった。要塞だったので自然が豊かで鳥は250種類 植物は600種類観察できるとか         小鳥の写真、植物の写真板があった

因みに函館市の木は「おんこ(イチイ)」花は「つつじ(ヤマツツジ)」

鳥はヤマガラだそうです 

 

 

この日は暑くて 大きな木があったのでそこに座り込んで休んだ

ふと見ると桑の木で実をつけていた

「ジイジーと懐かしいね」 実をもいで口に入れてみた 子供の頃の

味とはちょっと違った 年を重ねたかしらと :::

 

 

四合目

大きなふきの葉が目立ち始めた    ウバユリ

 

 

 

函館山の杉の話が書いてある板が立っていた

 

五合目

旧登山コースをたどる

大きなふきの葉

御殿山の電波塔が見えて来た

 

 

 

広場、駐車場 に出た

右の方が頂上に

 

砲台跡見物

広場の左に行った

 

砲台跡 の入り口         御殿山第2砲台跡の説明

 

 

コンクリートの階段を上がる

夏の花が目に飛び込んできた

フウロ

     

カワラナデシコ

 

 

砲台跡

 

 

広場に戻って 頂上を目指す

 

 

 

 朝行った 立待岬が眼下に見えた

 

展望台

展望台に着いたとたん大勢の観光客の一員になった

御殿山から函館町を見る

 

展望台の上から夕陽が沈むのを見るのに場所を陣取って 函館山の標識がある所の人の行き交う様子を眺めていた

 

 頭に描いた太陽が沈む様よりちょっと物足りなさが」あったが 太陽が沈むまで見られたからよいとしよう

下に下りて 記念撮影

色々の国の言語が飛びって日本語を話す人を見つけられない、

思い切って外国の人に写真撮影を頼んだ、韓国から来た人で写真を撮ってからこれで良いか確認してくれ言ってから自分のも撮ってくれとお互い写真を撮りっこした

夜景をお目当ての観光客が展望台にあふれている。

 

函館山の夜景

街より標高が高いところに住んでるバアバーは夜景を見慣れているためか 感激が少ない  

 

一日よく歩きました 函館を堪能した

写真で見た函館の町や函館山を足で感じられたのは良かった