開聞岳登山と南部九州観光 その二 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

2017年5月7日

 

下山後,     開聞温泉保健施設庭で見た開聞岳

 

開聞岳登山

いよいよ旅の一番の目的開聞岳登山である。

鹿児島市から車で走ること一時間半 開聞岳登山である麓のキャンプ場に着いた 。天気は晴天とは言えないが雨の心配はなさそうである

 

 

 

管理棟に登山届を出して 歩き出す 

 

四合目 

樹林帯の中に登山道はあって 森の中を歩く

岩がだんだん出てくる

 

岩や木の根の間をゆっくり歩く

 

 

大きな岩の登山道

 

 

やっと展望ある所出た

 

視界が開けtた

 

 

岩の間に穴がある

 

 

梯子を登って行く もうじき」頂上

 

 

赤い鳥居

 

 

 

 

頂上

池田湖方面を見る岩の頂上 登山者が岩の隙間に彼方此いる。い

 

皇太子登頂記念碑があった

 

眼下に湾が見える

 

下山をする

 

 

スミレが花盛り

 

 

 

登山口に無事下りた

キャンプ場にあった 「そば館 皆楽来(みらくる)」でそばを食べた

美味しかった!

 

開聞温泉保健施設

ここの温泉で汗を流す  お客さんが居なくて申し訳ないくらい静かで温泉もよくゆったり湯に浸った そしてそこから見た開聞岳の端麗な姿に見とれた

山は眺める山、登る山とあるならば、開聞岳は眺める山だと思った

というのは 登山道は森の中、岩道をひたすら登る 見た時の美しい姿とは違ってひたすら岩の登山道を登るだけ、植物での知識でもあれば楽しいのだと思うけど::: 姿とのギャップが大きかった

 

 

 

 

5月8日

いよいよ旅の最終日、霧島神社を詣でて帰ることにした

 

広い駐車場 があり 詣でる人の多さを感じさせる

駐車場から 石段を上がっていく

朱塗りの神殿が森の中にあり華やかな感じでした

 

このあでやかな社殿は島津吉貴(江戸中期時代島津第24代当主、薩摩藩主4代)の寄進(1715)だそうで、高千穂峰に対する山岳信仰の神社

 

ご神木の杉(メアサスギ)樹齢800年 九州の杉の祖先

 

霧島神宮展望台

白くもやって 遠くは何も見えません

近くの森に来ると、鹿児島飛行場近くの飛行機の窓から見た

深い緑の間に若草色の木の塊の森がいくつもいくつも見えた、あの木は何の木だろうという疑問がまた蘇った

 

後で分かったのですが「くすのき」の新芽だったようです

 

 

塩浸温泉(しおひたしおんせん)

日本で初めて新婚旅行をした坂本竜馬夫妻が来た温泉とか 、また1806年温泉が発見されたとき鶴の傷をいやしたので「鶴温泉」とも言われ、戊辰戦争の時傷を負った兵に効果が上がった。

 

川沿いにある温泉に下りてみると 昔の湯治場という風情

 

温泉から上がったかも

 

 

霧島ジオパ^ーク

 

ツツジが新緑の山間に もしかして「キリシマツツジ」

 

警告が美しい

 

新緑の山間の道をドライブして鹿児島空港に向かった

ジイジーと「あの若草色の木またあるね」と飛行機の中から見た木を見つけ「また」と言いながら飛行場に着いた

 

 

鹿児島空港

空港の玄関前に懐かしい木を見つけ、立ち止まった

「ニオイバンマツリ」

還暦を祈念して 女性山仲間5人で宮之浦岳に登った。その時初めて出会った木がニオイバンマツリ、あまりにも優しい薄紫色の花と香り良

のに、幼苗を買って抱えて帰った。 その時もこの鹿児島から船に乗って屋久島に行った  

 

 

旅は天候が思うようでなかったので、霧島岳、韓国岳も登山の予定にしていたが中止し、その代わり 思い付き観光もゆっ出来、主な目的開聞岳登山も堪能でき、盛り沢山な旅になった。

家族皆の健康に感謝です