NO1 栃木県編  コース1 「赤銅の道」 その1 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

9月30日

関東ふれあいの道   こちら

栃木県          こちら

 

参加人数 8名  車二台 

 

コースの起点は銀山平で、銀山平はNo23ノ「ヤシオ咲く庚申の道」の

起点でもある。

「赤銅の道」は銀山平から「わたらせ渓谷鉄道」の通洞駅までの13,5km

である。   このコースは二回に分けて歩く。

 

今回は銀山平から備前楯山に登り本所をへて 旧精錬所に至り古河橋を渡り 

「日光市営バス」の赤倉バス停のある広場まで歩いた

 

歩いたコース

                          備前楯山

                           ↑↓

 銀山平 → 展望台分岐→備前楯山分岐→本山→赤倉バス停

 

 

起点

 

銀山平8:02~9:20

 

銀山平はキャップ場もあり トイレ。駐車場もある。

ここは皇海山、庚申山 備前楯山の登山口でもある

 

国民宿舎 「かじか壮」 もある

 

 

国民宿舎「かじか壮」 の道路北側に「関東ふれあいの道」

案内板と標識があり、その北奥に入り口があり急登りの階段がある

100m位上ると舟石林道に出る

 

 

 

舟石林道を歩く

林道の勾配が結構あり、太陽に照らされ 汗がが滲む 

木の葉が幾分赤みを帯びている、 秋を感じる

 

 

「関東ふれあいの道」の石柱があった

 

 

 

野鳥観察の東屋は見晴らしがよい   9:50

 

 

 

 

備前楯山 (1274m)の説明版。 銀山平2,2km 通洞駅7,4km

10:15

備前楯山は日光市足尾町の中央に位置する山、かつての足尾鉱山

採鉱の主要地域として有名である。

慶長15年(1610年)、現在の」岡山県東南部にあたる備前国出身で

当時足尾郷の農民であった治部(じふ)と内蔵(くら)が この山で露頭している

銅鉱石を発見し、日光座禅院座主に報告をしました。座主は二人の功績たたえ

この山を農民の生まれた国の名を取って「備前盾」となずけた。

楯とは銅鉱脈の露頭のことです

 銀山」平 2.2km通洞駅7.4km

 

備前楯山の説明版から登山開始する

10.15

ススキ原の中を登っていく 、秋の風情をたっぷり味わう

間もなく

銀山平2,3km 備前楯山1,4kmの標識があり

下の方に広い駐車場が見えた

それは案内図にある舟石峠の駐車場である

 

 

カラマツ林と笹の美しい 登山道のなか気持ちよく歩く

備前楯山1km、銀山平2,7km

木の根が張り出した登山道

 

 

大きな楢木が出てきて 尾根道が狭くなる

シラカバ やブナも あった

 

 

明るい登山道になる。  リョウブの木皮は美味しいのか?

鹿に木の皮を食べらたのだろう、木肌が赤くなっていた。

 

 

備前楯山 の頂上 11:15~12:05 

 

南側 以外は 日光の山々の大展望台である

袈裟丸 庚申山 皇海山がチョット頭だけ オロ山 男体山 半月山、

薬師 地蔵岳など

   

撮影ポイント 男体山を背に 記念撮影  

 

 

眼下に荒涼とした山肌が見えた その稜線を辿って見ると中倉山へ

 

10月に「孤高のブナ」に会いに登る予定の中倉山の 

一本ブナ が 稜線上に見えた (右の方) 

とても感激 した

 

 

 

舟石峠   13:05~13:15

駐車場に下山

 

 

明治の初めまで 数家農家があった そしてこの地に岩魚が多く取れた

そこでこの地を 「魚の沢」と呼んでいた。明治30年代に足尾銅山を開発した

古河市兵衛がこの地を訪れたとき 下の写真の船の形に似た石を見て

「舟石」と言ったらどうだね といってこの地を「舟石」と言う地名が付けられた

舟石が最も栄えたのが大正7年(1918年)のころ農家も47家があったが

徐々に少なくなり昭和29年には全く住む人がいなくなった

 

 「舟石」

 

 

鷹の巣坑13:50

対岸の中腹にあった古河の最初の直営坑

 

銀山平3.7km13:50

本山をへて通洞駅5.9km

 

 

水神宮碑14:05

 

 

狸堀り跡14:11

 

対岸の草むらを覗いてもその形跡は見ることはできない

 

木が紅葉して 緩やかな下り道を歩くメンバー

 

 

 

本山 14:15~14:21

 

閉山直前の本山の様子の写真と 歴史が説明されていた

 

明治17年(1884年)に開発されたあと、 小学校もある明治40年には

大きな集落となった

閉山された昭和48年(1973年)には138世帯447人が住んでいた

昭和38年 290世帯 1167人が住んでいた 閉山された次年8月は無人になった

 

道の右側には「立ち入り禁止」

「この柵内は鉱山施設です、一般の方の立ち入りは

お断りします」  の札が掛かっていた

 

ここからカメラで対岸の木の間に見える 坑道入り口

と思えるコンクリートの構築物を撮った

 

本山鉱山神社(日光市指定有形文化財)

 

道の左に、かつてあった神社の面影のある 「奉納」の

石柱があった。その奥の方に石段があった

 

江戸期の大学者

足尾鉱山の説明版

慶長15年(1610年)に発見 明治になるまで幕府の御用銅を

生産していた。めいじ10年古河市兵衛が経営に着手、明治17年

には大鉱脈が発見、その後も近代的技術導入で鉱脈が発見され、

生産量とともに人口も増え、大正5年足尾は県内二番目に人口の

多い街になった。足尾鉄道,現在のわたらせ渓谷鉄道)が開通し

鉄道で銅が運搬され 足尾銅山は銅の生産で栄華を極めた

昭和48年2月資源の枯渇などを理由に採鉱部門を廃止 事実上閉山

かつて日本一の銅山と呼ばれ 鉱山の近代化と公害問題の舞台となった

足尾鉱山では、人の手によって破壊された自然と、それを修復しょうと

する人々の努力を見ることができる説明文の   概略

 

銀山平5km通洞駅4.6km 14:21

 

かつての鉱山の建物らしきものが見えて来た14:27

 

 

 

出川の渓谷の水青く美しい

 

 

ここを右に行くと通洞駅  14:32

通洞駅4km 銀山」平5,6km

今日は真っ直ぐ いく 

 

 

古河橋 14:38

橋の説明版

 

渡良瀬川にかかる古河橋と 旧製錬所

古河橋は日本最古の、足尾銅山の誇れる産業遺産

明治23年 ドイツ ハーコート社製

 

 

終点14:40

 

赤倉バス停 のある広場が今回の終点

 

広場で銀山平に置いてきた車を取りに行っている間

この広場で待ってる組はお茶タイム

 

広場

この広場は

足尾銅山便踊りの「直利音頭」」の発祥の広場

という説明版がたっていた

かつての賑やかさを想像しながら読んだ 平成8年幕をとじたとか

 

今回歩いて 韓国、中国人達の殉難烈士慰霊塔があったのが

強く印象に残った。 日本の公害問題の始まりの足尾、  こちら

明治時代からの公害問題もバアバーが社会人になった

1964年もまだ問題があり渡良瀬川水質検査など行われていた。

日本の産業の発展にもなったであるだろうが、破壊にもつながった

この地を見て 少し重いものを感じた ふれあいの道でした

 

メンバーお世話様でした