関東ふれあの道こちら 群馬編 こちら
二月八日(日)
今日の道はバアバーの名前を付けて頂いた山名八幡宮 また
子供の頃バアバーの亡き父と 息子が小学一年生娘が幼稚園の頃、山名城跡 yや山の上碑など を歩いた思い出深い所でもある
参加者14名 移動は車3台
この道は吉井町の馬庭から高崎市寺尾町の館までの14,8km遊歩道であるが
今回はコース4 こちら の小梨峠から牛臥山の道の多胡の碑を起点にして
高崎市の高風園を終点とした
多胡の碑の駐車場」8:00歩き出す
起点
高崎と下仁田を結ぶ上信電鉄の馬庭駅が「コース5」の起点
駅から東に歩くと踏切の所に関東ふれあいの道の案内板が建っていた
8;45
西山名駅西の踏切を渡ると広い道に出る そこを左に曲がると
小暮の穴薬師がある
山名八幡宮10:00
山名神社は清和源氏新田氏の祖新田義重の息子新田義範が山名郷に
山名城築し山名と名前を変えた義範が1185年代大分県」の宇佐神宮の
分霊を勧請し 社殿を作り 、武運の神として崇敬したのが始まりとか
随神門
山名神社の随神門は上信電鉄の線路の下を潜るとあると記憶していた。
我々は脇道から山名神社に入ったので、すっかり変わってしまった八幡宮を
全く初めて見たような気がした
彼方此方みて回った。すると線路下に続いている道を見つた。
そして線路下をくぐって随神門を見た。
出店の藁にさした風車が回ってる様子や ヨウヨウの玉の色,金太郎飴
えびつのゴム毬 などなど子供の頃ここで見たり買ったりした情景が
目に浮かんだ。
八幡宮の太太神楽を見に来た時 また妹の命名に亡き父と来た時の
光景が次から次へと蘇った
感謝を込めて拝礼をして階段を下りた
山名一族 こちら
全国山名氏 が寄進した馬
山名八幡宮からは高崎自然遊歩道にもなっている
忠霊塔10:25
筆塚
山名八幡宮からは高崎自然歩道になっており万葉集の中の上野国を詠んだ
和歌を刻んだ碑が27建っている
これはその一つ
石段の途中で
三郡坂東の札所 密堂址(馬頭観音)の説明板が
山の上古墳の中に馬頭観音が祀られている
山ノ上碑の覆屋 と 山ノ上古墳 こちら
山の上碑は山の上古墳の墓誌であると考えられている
山ノ碑 こちら
681年に建立
放光寺( 山王廃寺 )の僧の長利が亡母の黒売刀自(くろめとじ)を供養 するためと母と自分の系譜を記した
「 山ノ上碑の拓本」
バアバ―が嫁ぐ時
バアバーが小学生の頃亡き父と一緒に拓本を取ったのを
表具 して父が 持たしてくれた。
万葉歌碑
下の和歌が カタカナで書かれていた
「石碑之道」 と 「関東ふれあいの道」 の石標
万葉歌碑は地元の信沢克己さんが建立
この方は山名丘陵の寝小屋に住んでいた土建屋さんでキジを飼育して
放すことを趣味にしていた。狩りとは関係なく自然歩道を歩いていた。
その時 無残に壊される山肌を見て、心の故郷の自然を残すため
万葉集の中の上野国を詠んだ幾つかの歌碑を作ることを思いついた
昭和50年から平成」13年までの26年間に29基立てた
山名城跡 こちら 11:15~11:50 ランチタイム
亡き父と山名城の井戸を見に来たことがある
草がぼうぼうと茂った坂道を自転車を押す父の後ろについて、父が
「この辺だった」と 草むらをかき分けて探していた。
その後子供が小学生の時に山名城跡を訪ねた。その時は
草むらの中に小さな山名城跡石碑を見つけた。
亡き父と来た時の記憶と違っていた
今日も昔の記憶に残る面影とは全く違ってよく整備されていた
山名城の説明
また戻って先に進む
雑木林の中あるく とても気持ちがいい
鎌倉街道の説明版
車道に出た
ここを右に少し歩くと金井沢の碑がある
金井沢の碑は古代の豪族三家氏が奈良時代初期に先祖」供養のため造立した
金井沢の碑
楷書体で112文字が彫られている この近くで埋まってたとも
江戸時代に発見され 明治時代の初め 楫取素彦によって保存された
東屋で休憩
元来た車道に戻り 右に曲がりしばらく行くと
関東ふれあいの石標が左側にある
階段を上っていく
城山町の中字路14:30
交差点を渡り左に少し戻ると石壁に
高崎自然遊歩道 と関東ふれあいの道の案内が書かれてあった
大きな鉄塔が建っていた16:05
この男性は地元の人で79歳 いつもこの道を散歩して 橋も滑らないように
敷物を敷いたり 倒木をかたずけしてくれているとか ありがとうございます
バス道路出ました16:16
終点 16:25
高風園前の駐車場に我が愛車が待っていました
影もだいぶ高くなりました
長い歩きでした
上毛カルタに歌われてる「昔を語る多胡の古碑」の
多胡の碑 こちら に続いて
今日は 山ノ上碑 こちら 金井沢の碑 こちら を見た
この三碑を「上野三碑」 と 総称し国の特別史跡にしてされている
今回歩いたことによって子供の頃から 三碑の事、山名城と新田氏の事
山名八幡宮の事など漠然としていたものが 色々調べて
絡み合っていた糸の解け口が見つかったような気がした
また自分の故郷の自然をこよなく愛し自然を 残そうとコツコツ歌碑を建てた
人の存在も知った
とても意義がある「ふれあいの道」 歩きができた
またこの道はゆっくり歩きたいと思う