丹沢山に行った時、自分の体力の衰えを実感し、このままでは、里山さえも歩けなくなることを
危惧し、私が裏山といってる、鍋割山に行くことにした。
今朝起きると、山はは見え隠れし、頂は白く、荒山は真っ白であった。
私の運転でもいける箕輪から登る事にした。駐車場は6台の車が止めてあった。
登山道はうっすらと雪があり、風も強く合羽を着る。
誰もいない登山道を風のヒュヒュする音を聞きながら、自分の心臓の音に合わせゆっくり歩く。
岩のある道に来るとロープがはってカタクリの自生地、と書かれた板がぶら下がっていた。
もう20年位前4月29日に夫と時間があるから鍋割山にでも行くかということで、
のぼりに来た。
丁度カタクリ花の満開の時で岩が隠れるほど山肌一面ピンクに染まっていた。
登山客も少なく、私たちより10歳くらい年上のご夫妻が
私達の前を歩いていただけである。
思わずカタクリの花に感激した私の声でそのご夫妻が振り返り、
「私たちはこのカタクリに会いたく東京から今日来たんです、しかし随分少なくなりましたよ」
と昔はもっと咲いたと話してくれた。
私はここにカタクリが咲くとは知らなかった。あの時見た、
薄紫の下を向いて咲くカタクリが山を染めてた光景を今でも思い出す。
2年経って東京にいる友達に家の近くの山にカタクリの
自生地があるからおいでよと呼んだ。
二人で同じ4月29日に登った。するとあの光景はなく
大きな穴が所どころにあって、
明らかに誰かが掘った跡が見られた、花はチラホラであった。
仕方がなく写真を友人に見せ、二年前はこう咲いたといって嘆いた。
今こうして保護されている、あの時のような
光景が再び見られることを祈っている。
荒山高原からは富士山もうっすら眺め、荒山、地蔵。鈴ケ岳の冬山状態とは違い」
登山道がぬかるみ状態である。しかし風が強く身体が吹き飛ばれそうである。
山ツツジに雪が氷つき、まるで丸い小さな白い花が咲いてるようで、思わず近寄って手にとって眺めてしまった。
頂上は数人の登山者がいただけで静であるが未だ時間もあるので鍋割高原の方に下った。鍋割高原まで
下りようとしたが、岩の登山道まで来て、その気力もうせまた鍋割山の頂に引き返し頂直下の風の来ない笹の中で今日は見える山の同定をゆっくりしようと地図を広げ、ノンビリ休んだ。榛名山をスカートはいたように浅間さ山が立っており、麓の町が浅間さんが踊る舞台のようにも見えた。
12時になったので下山をし、少し行くと、どこかで見た事のある単独の女性が登ってきた。良く見ると「Kちゃん、駐車場にいたでしょう、やっぱりKちゃんだったのね」と同じ山のクラブ女性であった。こんな日に
お会いするとは思っていなかったので、私は「ジャまた登り返して一緒に下山するわ」と言ってまた頂上へいった。、すると展望図を広げなにやら話してる登山者がいた。この方はご自分で作った展望図を何枚も持っていて登山者にくれるのがご趣味らしい。
この方にはじめてあったとき「70になったから妻が心配するので登山は、鍋割山、荒山に決めもっぱらこの山に登ってる」と言った。それから私も何回もお会いして何回か展望図を頂いた。
私が声を掛けると、当然私のことは全然覚えていないけど、初めてお会いした時のことを話したらもう少しで80歳になるんだよとおしゃった。最初にお会いした時と、お姿が少しも変わらないような気がした。
私も80歳になってあんな風に誰かを楽しませたり楽しんだり出来かしらあと思った。
誰かを楽しませる事、私に何が出来るのだろうとふと思うと、
無力な私にちょっと悲しいような気がしてきてしまった。
彼女が入れてくれたコーヒ、その方の山の話を聞いていると、
女性二人が「Aきちゃん」と彼女の名前を呼んで駆け寄ってきた。去年入った同じクラブの
女性Uさんだった。偶然同じクラブの4人が集まったのでまたおしゃべりして、
なんと頂上に2時間以上もいる事になった。孤独な登山が思いもかけず賑やかな登山になり、
荒山高原まで皆で下山した。スッカリ雪も溶けいた。
今日はトレーニングと思ってきた山に、色々な方のお話が聞けて晴れやかな気分になおさらなった。
あとそうそう猫を連れた登山者に会った。本当に猫どこかに行かないのかしらと?
登山口9:20--荒山高原9:55~10:00鍋割山頂上10:32~11:15~12:00~13:30荒山高原14:05箕輪登山口14:40