春の植樹デー(足尾の山) | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

栃木県にある足尾銅山は1610年に開山し昭和48年に閉山した。古河市兵衛が日本一に銅産出までに発展させたが、その裏には鉱毒問題や鉱山労働者の問題が出てきた。夏目漱石が「抗夫」の中に悲惨な鉱山労働者描いてる。鉱毒問題を被害者農民の立場担って真剣に戦った衆議院議員の田中正造は鉱毒問題を国会に何度も訴えたが取り上げられなく、ついに1901年に天皇に「お願いがございます」と始まる直訴文馬車めがけて読んだが失敗に終わったというのは有名な話である。

 

田中正造の事は息子の教科書にも取り上げられていた。息子達が小さい時もう既に閉山されて観光化された足尾の町を渡良瀬鉄道に乗って訪れた。

 

銅の精錬所の亜硫酸ガスによって足尾の山は禿山になってしまった。日光に家族で行くと時に私は始めてこの山を見た。その時の驚き、感情は今でも思い出されます。

 

この禿山に平成8年に「足尾の山に100万本の木を植えよう」というスローガンで、NPO法人の「足尾に緑を育てる会」が立ち上がり 今日第10回目の植樹が行われた。栃木県出身の作家立松和平さんが顧問として来ていた。

 会場会場  立松立松さん 

立松さんの挨拶の中にこのような言葉だったと思います、「山に木を植えたから、どうすると言うことなのだが、僕は木を植えて緑になる山をみて気持ちがいいです。皆さん心に木を植えましょう。ということです」 

私はこの<心に木を植えましょう > という言葉がとても心に残りました。

 

私は昨年に続いて二回目の参加なのですが、去年参加して立松さんが言われた様に何か心が暖かくなったのを感じたのです。そして今回も参加した。会の目的は「100年かけて100万本の木を植えよう」ということですから歩ける限り参加したいと思った。

階段     植樹 

急な階段を上がってこの斜面に石混じり硬い土を掘って消し炭をいれ、持ち上げてきた、黒土と一緒に植えます。昨年私は自分の家からもって行った苗木を植えた。それを確認しようと思いながら確認できず、残念に思っていたら、昨年一緒に来たDさんから「Tさん見た,ついてたよ、木につけた名札を見たから」と言われ、ますます確認しなっかたことを後悔した。来年に、今年のを含め希望を持つことにした。

 

私は日ごろハイキングを楽しみ、つまり山に足跡をつけるわけだから、山荒ししている訳なのでせめて今日のような行事に出て恩返しをしょうという気持ちで参加する。自然保護と盛んにいわれるが、足跡をつけないことが究極の自然保護だと思うからである。しかしこんな行事に参加した後は、恩返しなんて言う驕った気持ちが恥ずかしくなり、自分の心が豊かになったような気分にさせて頂けるので、ありがたいという気持ちに変わる。