『太平洋戦争による我国の被害総合報告書』 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

昨日は久しぶりの出勤でしたが、まだ夏休みの人も多く職場はガラガラ。

 

親会社が相手先の会社からもほとんどメールもなく、淡々とメールの処理等をした後、フレックスで少し早めに帰宅しました。

 

また、昨日は息子が下宿先から帰ってきて、久しぶりに家の中が賑やかです。

ちなみに、息子日は8月15日で20歳になり、娘は8月16日で23歳。

もう、大抵のことはひとりで判断・行動ができる歳になりましたね。

 

話は変わって、前回・8月15日のブログで「大東亜戦争の犠牲者数を調べてみたのですが、どうも公式な数値が無いようで…」と書きましたが、その後も探し見ていました。

すると、ある公式資料に行き当たりました。

国立公文書館のデジタルアーカイブに登録されている「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」なる資料です。

 

「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」の表紙

 

本資料は、経済安定本部総裁官房企画部調査課という部署で昭和24年3月までに纏められたもので、この時点で判明している大東亜戦争における各種の状況が数値として記載されており、次の章立てで綴られています。

 

第1部.人的被害

 第1 銃後人口の被害

 第2 軍人軍属の被害

2.物的被害

 第1 国富の被害

 第2 工業生産設備能力の被害

 

このうち人的被害を見てみると、次のデータが記載されています。

〇銃後の被害

 被害人口

   総  計 668,315名

   死  亡 299,485名/45%

   重  傷 146,204名/22%

   軽  傷 167,318名/25%

   負  傷   31,298名/ 5% (重軽傷の区別不明のもの)

   行方不明   24,010名/ 3%

 

 被害要因

   空  襲 665,033名/99.5%

   艦砲射撃   3,282名/ 0.5%

 

東京大空襲後直後の写真(引用:Wikipedia)

(石川光陽 - 写真のアップローダが出典を示していないのでどこからこの写真を持ってきたのか不明だが、該当写真は1953年8月15日発行の「東京大空襲秘録写真集」(雄鶏社刊)の116, 117ページに「牛込市ヶ谷附近(4月14日)」のキャプション付きで掲載されているので著作権問題はクリアされている。写真のアップローダのオリジナルの記述によると、写真の撮影は1945年3月10日頃となっているが、「東京大空襲秘録写真集」によれば4月14日である。どちらが正しいのか不明なので、アップローダのオリジナルの記述を優先して掲載した。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3681459による)

 

 被害を受けた場所

   都 市  部 629,998名/94.3%

   郡  部  38,317名/5.7%

 

 被害者一万名を超える都府県

                     (死者・負傷者等含む)      (死者)

   総  数 668,315名        299,485名

   東 京  都 216,988名/32.4%     97,031名/32.4%

   広 島  県 147,207名/28.7%     86,141名/28.7%

   長 崎  県   69,298名/  8.8%     26,238名/  8.8%

   大 阪  府     39,436名/  5.9%     11,089名/  3.7%

   兵 庫  県     32,865名/  4.9%     11,246名/  3.8%

   愛 知  県     27,120名/  4.1%     11,324名/  3.8%

   神奈川県     22,839名/  3.4%       6,637名/  2.2%

   静 岡  県     16,301名/  2.4%       6,473名/  2.1%

 

昭和21年春の広島(引用:Wikipedia/動画のキャプチャ)

(このメディアはアメリカ国立公文書記録管理局National Archives and Records Administrationが提供元で、

台帳番号 National Archives Identifier (NAID) 64519です。)

 

空襲後の浜松市の状況

(不明 - 毎日新聞社「一億人の昭和史 日本占領2」より。, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4024204による)

 

この他にも、都道府県別の被害者数などの詳細なデータが記載されています。

 

〇軍人軍属の被害

 被害人口

                     (死者・負傷者等含む)      (死者)

   総  計 1,864,710名          1,555,308名

   陸  軍 1,435,676名/77%      1,140,429名/73%

   海  軍  429,034名/23%         414,879名/27%

 

ガダルカナル島の戦い(マタニカウ河の戦い)において

渡河中に撃破された帝国陸軍の戦車(引用:Wikipedia)

(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=958496)

 

エンガノ岬沖海戦で空襲を受ける航空母艦「瑞鳳」(引用:Wikipedia)

(U.S. Navy - U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.488.258.005, 

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1334639による)

 

 

特攻機に突入され炎上する米国海軍・航空母艦「バンカー・ヒル(CV-17)」

(引用:Wikipedia)

(不明 - U.S. Navy photo 80-G-274266, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=53287による)

 

物的被害のうち、国富の被害の中には「船舶」の被害数が挙げられていました。

 

   総計      15,518隻          /被害額  6,564百万円

   私有一般汽船  3,207隻/7,902,000総トン/    5,151百万円  

   官有一般船舶   368隻          /      83百万円

   機帆船     2,070隻/   189,100総トン/     321百万円

   漁船      1,595隻/  282,806総トン/      568百万円

   艀       6,731隻         /     114百万円

   各種工事用船   307隻         /       29百万円

    ※官有:96隻、公有:210隻、私有:1隻

   木造その他船舶  214隻    41,575総トン /      27百万円

   造船所内船舶     85隻          /      13百万円

   その他      941隻          /      48百万円

    ※官有:39隻、公有:36隻、私有:866隻

   

「その他」の内訳は、救命船:8隻、水先案内船:11隻、曳船:329隻、譜登録船:161隻、石数船:17隻、小船:260隻、その他:95隻

「各種工事用船」の内訳は、港湾工事用船舶:150隻、河川工事用船舶:152隻、ケーブル敷設船:5隻

 

※艀(はしけ):

河川や運河などの内陸水運内陸水路や港湾内において、重い貨物を積んで航行するために作られている、平底の船舶。

艀の多くはエンジンを積んでいないため自力で航行することはできず、タグボート(曳船)により牽引あるいは推進されながら航行する。

 

曳船に曳かれる艀

(引用:HP「横浜はしけ運送事業協同組合」)

 

また、私有一般汽船のトン数別の内訳をみると

  1,000トン未満        1,568隻/ 669,000総トン/被害額 1,023百万円

  1,000トン以上3,000トン未満  637隻/1,304,000総トン/被害額 1,304百万円  

  3,000トン以上        1,001隻/5,929,000総トン/被害額 3,024百万円

 

この数値に対して、

「大型汽船の被害が半数以上を占めている。

 この私有汽船に次いでは漁船の被害額が多く直接被害額の9分弱で、以下機帆船(5分)、艀(2分弱)、官有一般船舶(1分強)の順になっているが、その額はいづれも汽船とは比較出来ぬ程少額である。」

とされています。

 

ガダルカナル島で放棄された山下汽船・貨物船「山月丸」

と特殊潜航艇(引用:Wikipedia)

(SSgt. Heiberger, of the 3rd Marine Division - [1] [2], パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1117083による)

 

確かに被害額から見ればそうですが、隻数から見れば機帆船と漁船の合計と私有一般汽船・官有一般船舶の合計はほぼ変わりませんし、艀はこれらの倍の隻数が失われています。

この時点で判明したものだけでも、これだけ膨大な数量の「船」が撃沈・破壊されていたことになります。

 

米軍機のガンカメラに写った本土空襲

漁船が機銃掃射を受ける

(引用:Wikipedia/米軍ガンカメラの映像・nyankoyuka)

 

物的被害としては、船舶の他に建築物、橋梁、工業用機械器具、鉄道及軌道、電気及瓦斯供給設備、道路、国宝・史跡・名勝など、多岐に亘っています。

 

これらの数値は、昭和24年という終戦後の混乱の中で集計されたものであるため、現在認識されている数値とは異なります。

ですが、この時期にこのレベルまで集計した関係者の努力は相当なものであったと思います。

 

前回の「8月15日に際して・戦没した海の男達」で書いた「このような統計は、終戦のどさくさで何処も集計していないのか…。」の部分は撤回します。

 

8月15日・終戦の日と呼ばれる日を迎えて、いま一度大東亜戦争における日本全体の被害について、数値を通して確認することができました。

 

「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」はコチラから見ることができます。

 

興味のある方は、クリックしてみてください。

 

【参考文献】

 Wikipedia

 

【Web】

 HP「国立公文書館デジタルアーカイブ」

 

 HP「横浜はしけ運送事業協同組合」