大阪港・弁天埠頭に残る昭和の賑わいの痕跡 | 艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

ここのところ、暑すぎて…。これしか言葉になりません。

と言いながら、昨日は神戸で3万歩歩いてました。

今日も、午前中に築港地区を歩き回って1万歩歩いてきました。

 

今回は、7月26日の退社後に寄り道した大阪・弁天埠頭について取り上げてみます。

 

大阪港は、昭和4年に完成した現在の地下鉄中央線・大阪港駅のある築港地区に設けられた中央突堤や天保山地区を中心に発展してきました。

 

現在の大阪港・天保山桟橋

 

しかし、大阪市の中心が安治川を遡った川口地区から梅田などの内陸部に移動していったことで、この地区は市域の中心から遠くなり、また冬場は西寄りの強風による影響もあったことから、特に旅客船のターミナルはより市街地に近い場所への設置が検討されるようになります。

 

これにより、より内陸側の安治川河口付近の内港化工事が昭和23年から始まり、昭和40年7月には旅客船ターミナルである弁天埠頭の旅客ターミナルが完成します。

 

昭和40年代の弁天埠頭旅客ターミナル

(引用:HP「大阪歴史博物館 資源データベース」)

 

弁天埠頭開業に先立つこと4年、昭和36年4月に国鉄(現・JR)大阪環状線が全通し弁天町駅が開業、また地下鉄中央線も同年12月に大阪港駅-弁天町駅間が、昭和39年10月には本町駅-弁天町駅が開業し、国鉄大阪駅(地下鉄梅田駅)からのアクセスが向上ていたことから「大阪都心に近い旅客船ターミナル」として開業することとなりました。

 

昭和36年の国鉄弁天町駅付近

中央上が国鉄弁天町駅、直角に交差しているのが地下鉄中央線

(引用:「朝日新聞社機、読売新聞社機が撮った 空から見た関西の街と鉄道駅 

   1950年代~80年代」、牧野和人解説、2022年8月、アルファベータブックス、P.28)

 

「弁天埠頭」からは、関西汽船の大阪-別府間や大阪-高松間、加藤汽船の大阪-高松・坂出・丸亀・観音寺間や大阪-小豆島間などの航路が設定され、客船の利用客で賑わいを見せます。

 

平成元年1月19日の弁天埠頭

左から 加藤汽船「ぐれいす」、関西汽船「こばると丸」、同「くいーんふらわあ2」

(引用:「船の科学 第45巻第12号」船舶技術協会、1992年12月、P.74)

しかし、この状況も長くは続かず、モータリゼーションの進展とともに客船はカーフェリーに主役の座を奪われ、広い駐車場が確保できる大阪・南港へシフトしていきます。

 

1987年4月の時刻表

(引用:「交通公社の時刻表 1987年4月号 復刻版」、

    2017年4月1日、JTBパブリッシング、P.703)

 

そして、最後まで残った関西汽船の大阪-別府航路が平成7年2月に廃止され、定期の客船運行が終了、旅客ターミナルは役目を終えました。

 

平成21年11月の弁天埠頭旅客ターミナル

 

現在は、西側にあった関西汽船の建物は解体され、大型トラックの駐車場となっています。

また、東側の加藤汽船の建物は残っており、「Toop design works」という店舗デザイン・内装設計などを手掛ける会社が入居しています。

 

弁天埠頭旅客ターミナル・旧加藤汽船ビル

 

それにしては、廃墟感が漂っています。

 

筋向いにコンビニがあり、暑かったのでここで缶ビールを購入します。

このコンビニの駐車場には比較的新しい感じの祠がありました。

「弁天町弁財天」と書かれている大きな看板も建っています。

 

「弁天町弁財天」

 

この一帯は江戸時代に開墾された市岡新田と言われる土地で、市岡新田は再三の水害に悩まされたことから、集会所に水の神である弁財天を祀ったとされています。

この弁財天社を再興したものである、と看板に書かれていました。

 

また、この西側の交差点の近くにはこんなバス停が。

 

「弁天ふ頭」バス停

 

ここにバス路線があるのは、当時の名残かもしれません。

 

当時と変わらない安治川の川面を見ようとしましたが、防波堤が高く近くに感じられません。

うろうろしているうちに日没が近くなり、安治川の対岸に日が傾き始めました。

 

弁天埠頭の防波堤越しに見た夕陽

 

天気が良かったので、空がきれいです。

 

旅客ターミナルの他には、当時の賑わいを偲ばせるものは見当たりませんでしたが、この周辺は一部に近代的なマンションもあるものの全体としては町工場や古い一軒家などが連なり、昭和の雰囲気が残る街並みが続きます。

 

そして、ビールを飲みながらJR弁天町駅へ引き返します。

弁天町駅前では、大阪ベイタワーとタワーマンションの現代的な景観が見られ、弁天埠頭周辺との時代の対比が良い感じです。

 

夕陽に輝く大阪ベイタワーとタワーマンション

 

旅客ターミナルの建物は渡り廊下の出入り口が塞がれ、屋根は重機で切り落とされた断面もそのままで、「朽ちていく」感じが色濃く出ており、客船が出入りしていた頃の賑わいが遠い昔の出来事のように静かなエリアでした。

 

瀬戸内周辺や四国・九州沿岸では、高速道路の延伸や航空需要の増加などに伴い、弁天埠頭のような利用されなくなった旅客船ターミナルやフェリーターミナルが各地に点在しているものと思われます。

そんな場所に、不便ではあったけれども活気のあった昭和の面影を探してみるのもいかがでしょうか。

 

関西汽船ビル跡地に憩う大型トラック群と切取った後の通路が塞がれた旧加藤汽船ビル

 

【参考文献】

 Wikipedia および

 

 

 

 「船の科学 第45巻第12号」船舶技術協会、1992年12月

 ※HP「日本船舶海洋工学会 デジタル造船資料館」

 

 

【Web】

 HP「大阪歴史博物館 資源データベース」