周防大島沖・護衛艦「いなづま」航行不能事故 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今日、仕事を終えて帰宅途中の電車の中、スマホでニュースを見ているとyahooニュース(TBSニュース)で、「海自の護衛艦が自力航行不能に 海底の岩に接触か…周囲に“少量の油漏れ” 山口県沖」との見出しが目に入りました。

 

当該の護衛艦は「いなづま(DD-105)」だということですので、「Marine Traffic」で現状を見てみます。

 

令和5年1月10日・21時20分頃の「Marine Traffic」の画面

 

山口県・周防大島の南側やや東の海上に停止しています。

現場付近には輸送艦「しもきた(LST-4002)」、訓練支援艦「てんりゅう( ATS-4203)」、掃海艦「えたじま(MSO-306)」、多用途支援艦「げんかい(AMS-4304)」、また大島の沖に海上保安庁の巡視船「いよ(PM-54)」がいます。

また、「いなづま」の横にはタグボートが張り付いています。

 

最終的には、「しもきた」が曳航して呉、因島か下関の船渠に取り込むのではないかと思います。

 

どうも、「いなづま」は因島で修理を終えた後、周防大島沖で公試を行っていたところのようです。

 

海上に停止中の巡視船「いなづま(DD-105)」(引用:ABEMA NEWS)

 

専門家ではないのでこの映像を見た感想ですが、少なくとも右舷側には大きな損傷はなく、船体も傾いていないことから、大きな浸水はしておらず沈むことはないと思います。

「浅瀬で岩などにぶつかったとみられ」とのことですので、スクリュー・舵などを破損し航行不能に陥ったものと思われます。

 

ちなみに、「電」の名を持つ艦艇は、帝国海軍時代に2代、海上自衛隊で2代にわたって採用されています。

 

初代は明治32年に竣工した初代「雷」型の駆逐艦で、明治42年12月に函館南方で商船「錦龍丸」と衝突し沈没しています。

 

二代目は二代目「吹雪」型の一等駆逐艦で、昭和9年6月に現大韓民国・済州島南方で演習中に同型艦の「深雪」と衝突、「深雪」は沈没し「電」は一番砲塔以前の艦首部を喪失するという事故を起こしています。

 

海上自衛隊になってからは、昭和31年3月に竣工した「いかづち」型護衛艦の2番艦(DE-203)で、昭和35年6月に津軽海峡東口付近で夜間訓練中に護衛艦「あけぼの(DE-201)」と衝突し艦橋が破損、「いなづま」の乗員2名が亡くなる事故を起こしています。

なお、これは「あけぼの」の操艦ミスが原因でしたが、さらに函館ドックに入渠後に乗員3名が亡くなる火災を起こしています。

 

つくづく「いなづま」という艦名は、衝突・事故に因縁のある艦名ですね。

 

今回の「いなづま(DD-105)」は、平成12年3月に就役した汎用護衛艦で、建造から22年ですので、今回は修理をしたうえで復帰するものと思われます。

 

今回の事故はどのような経緯か、まだ分かりません。

左巻きの方々は、すでに「防衛費で修理するのか」「こんなことでは増税できない」などと騒ぎ始めていますが、この事故の経過は今後の海難審判で明らかになるでしょう。

また、これによって自衛隊全体や国防全体が非難を浴びることは、違うのではないかと思います。

 

今回引用したニュースの見出しも、死傷者の有無や船の状態ではなく「少量の油漏れ」という、大きな海洋汚染にはならないと思われる事象を殊更に取り上げており、そこに「悪意」を感じるのは私だけではないと思います。

何かあれば、すぐに「これでもかと叩く」報道は、感心しませんね。

 

まずは、無事に乗員の方々と船体を安全なところへ送り届ける手配と、「少量の油漏れ」の対応を並行して行い、それから事故の検証がなされるのが順番ではないか、と考えます。

 

大きな事故ではなく、安心しました。

また、この後の経過は、マスコミにより「悪意」を感じる報道によってもたらされるでしょうから、しばらく見守りたいと思います。

 

令和2年11月21日・呉における護衛艦「いなづま(DD-105)」(左)

 

【参考文献】

 Wikipedia