ようやく今日で新型コロナ感染に伴う自宅待機が終わります。
最初の3日ほどは発熱やのどの痛みもあったのですが、後半の5日間は苦痛でした。
10日間は長いですね。
ところで、先日ブログで取り上げました祖父の軍歴証明ですが、これには移動行程や入院していた病院まで記載されています。
祖父の軍歴証明
以前にも書きましたが、祖父は昭和17年1月に鳥取の歩兵第百二十一連隊に入隊し、3カ月後に松江の歩兵第六十三連隊に転属しています。
歩兵第六十三連隊の拠点は当時の満洲国・三江省鶴立県興山にありました。この拠点に行くための移動工程が書かれています。
帝国陸軍の船舶部隊の拠点のあった広島・宇品から出帆、朝鮮・釜山港へ上陸しています。
ここから陸路で朝鮮を縦断し、図們江を渡り図們(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州図們市)から満洲国に入国します。
そして当時の三江省鶴立県興山(現・中国黒竜江省鶴崗市興山区)に到着し、歩兵第63連隊・第三中隊に編入されました。6日間の行程での到着です。
祖父の従軍履歴・往路
ところが、約3ヵ月で罹病のため興山分院に入院4か月間入院したのち、興山陸軍病院に転送されています。
しかし、病状が思わしくなかったのか、20日ほどでこの地区の中心地で三江省の省都であった佳木斯(ジャムス:現・中国黒竜江省佳木斯市)にあった佳木斯第1陸軍病院に転送されます。
2か月ほど佳木斯で療養していたようですが、どうもこの時期には内地送還が決められたようで、浜江省哈爾浜(現・中国黒竜江省哈爾浜市)の哈爾浜陸軍病院に転送されています。
そして、15日ほどで満洲を出て関東州に入り金州(現・中国遼寧省大連市金州区)の金州陸軍病院に転送されたのち大連港より出帆し、昭和18年3月末に広島・宇品港に帰着し広島陸軍病院に収容され、当時まだ出征していなかった鳥取の歩兵第百二十一連隊に戻されます。
祖父の従軍履歴・往路
昭和18年5月には鳥取陸軍病院に転送され、約8か月の入院によっても容態は好転せず、昭和19年1月に除隊となっています。
軍歴ではここまでですが、その後岡山陸軍病院に転院し、昭和19年6月に没しています。
ちなみに、祖父の属していた歩兵第63連隊は、昭和19年9月に台湾へ移駐し守備に当たり、同年12月には敗色濃厚なフィリピン・ルソン島へ転進、サンフェルナンド灣への入港直前に第三大隊を載せた「乾瑞丸」が米国海軍潜水艦の魚雷4本を受け轟沈、祖父が所属していた第三大隊は2/3が戦死します。
この「乾瑞丸」は、英国・サンダーランドで建造され明治37年10月に進水したタイザック&ブランフッド社の貨物船「シャドウェル」で、大正8年にシンディア汽船に売却され船籍がボンベイに移され「ジャラドゥタ」と改名されます。
大正15年4月には町田商会が購入し日本船籍となり「瑞光丸」と改名、さらに昭和9年1月に乾汽船に売却され、昭和16年6月に「乾瑞丸」と改名されています。
【要目】
総トン数:4,156トン、積貨重量:6,794トン、
垂線間長:112.17m、型幅:15.0m、型深:8.99m
機関:三連成レシプロ機関×1、推進軸:1軸
最高出力:2,400HP、最高速力:11.0ノット、航海速力:9.0ノット
乗組員数:46名
引用:「船の科学 2001年12月号」Vol.54、No.12、
船舶技術協会、2001年12月、P19
乾汽船・貨物船「乾瑞丸」
(引用:「船の科学 2001年12月号」Vol.54、No.12、船舶技術協会、2001年12月、P19)
そして、昭和20年1月からのフィリピン・ルソン島のバレテ峠での戦いに苦戦し、6月14日には連隊がほぼ全滅状態となってしまいました。
当時の建物の写真を少し。
関釜連絡船の釜山港桟橋と連絡船「高麗丸」
(引用:「日本国有鉄道百年写真史」日本国有鉄道、1972年10月、P.176)
哈爾浜陸軍病院(大正9年)
(引用:HP「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」)
大連第二埠頭船客待合所(昭和7年・引用:Wikipedia)
(不明 - 新光社 編「世界地理風俗大系. 別巻〔第4〕」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1876906, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98530750による)
鳥取陸軍病院赤十字病院
(引用:HP「日本赤十字社・鳥取赤十字病院」)
戸籍を見ると、大正10年9月に岡山県真庭郡二川村(現・真庭市)に生まれ、昭和5年6月に私の実家に養子に入り、昭和16年4月に祖母と結婚していますが、養父は現在のモラハラと呼ばれる気質の人であったと祖母から聞いていました。
今回この軍歴が情報として追加されたことから、これまで「写真のみの二次元の人」であった祖父が鼓動を伴った「三次元の生身の人間」として認識できるようになりました。
【参考文献】
Wikipedia および
○「鳥取綜合聯隊史」1983年4月、鳥取綜合聯隊史編纂委員会
○「船の科学 2001年12月号」Vol.54、No.12、船舶技術協会、2001年12月
【Web】
HP「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
HP「日本赤十字社・鳥取赤十字病院」