駆逐艦「葵」改め「第三十二号哨戒艇」、ウェーク島に散る | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

このブログで何回か取り上げている、雑誌「世界の艦船」に連載されていた高須広一氏の著作「旧日本海軍 海上自衛隊 艦船名考」に最初に書かれている艦名は「葵」です。

という事は、帝国海軍の艦艇名のうち50音順に並べると最初に出てくる艦名という事になります。

 

この「葵」は、先にブログで取り上げた「峯風」型一等駆逐艦とほぼ同じ時期に、二等駆逐艦として21隻建造された「樅」型駆逐艦の10番艦で、大正9年4月に神戸の川崎造船所で起工され、同年12月に竣工しています。

【要目(新造時の「樅」)】

 基準排水量:770トン、全長:85.3m、水線幅:7.9m、吃水:2.4m

 機関:艦本式オール・ギヤードタービン×2、推進軸:2軸

 主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×3

 出力:21,500馬力、速力:36ノット、乗員数:107名

 兵装:12cm45口径単装砲×3、6.5mm単装機銃×2、53cm連装魚雷発射管×2

 ※引用:世界の艦船別冊「日本駆逐艦史」No.453、1992年7月、海人社、P.56

 

二等駆逐艦「葵」

(引用:「丸スペシャル 駆潜艇・哨戒艇」No.4928、1981年3月、潮書房、P.53)

 

「樅」型の二等駆逐艦は、竣工後には戦艦部隊である第一艦隊の直衛任務に長期間就いており、その後「葵」は昭和12年の日華事変において華北沿岸の作戦に参加しています。

艦齢が20年となり老巧化と駆逐艦の大型化に伴い、「樅」型駆逐艦は順次「哨戒艇」籍へ編入されるようになり、昭和15年4月には「葵」も哨戒艇隻に減入され「第三十二号哨戒艇」と改称されます。

「葵」は哨戒艇籍へ編入に際し大規模な改装が行われ、要目が大きく変わります。

【要目(「第三十一号哨戒艇」型)】

 基準排水量:940トン、水線長:87.1m、水線幅:7.93m、吃水:2.87m

 機関:艦本式オール・ギヤードタービン×2、推進軸:2軸

 主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×2

 出力:4,000馬力、速力:18ノット

 兵装:12cm45口径単装砲×2、機雷×36、14m大発×2

 ※引用:「日本海軍全艦艇史 資料編」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.55

 

「第三十二号哨戒艇」

※この時点では艦尾のスロープは設置されていない

(引用:「日本海軍全艦艇史 下巻」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.846)

 

「樅」型を改装した「第三十一号」型哨戒艇9隻のうち、「三十二号」以降の8隻は魚雷発射管をすべて撤去、後檣付近の上構を拡大し陸戦隊の居住区を設置、また艇尾にスロープを設けて揚陸用の「大発」を発進させるように改装され「揚陸艇」へと変貌しています。

 

昭和17年9月・艇尾にスロープを設置した「第三十一号型哨戒艇」

(引用:「丸スペシャル 駆潜艇・哨戒艇」No.4928、1981年3月、潮書房、P.54)

 

「大発(大発動艇)」(引用:Wikipedia)

(archive, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2239140による)

 

そして、大東亜戦争の緒戦において、「第三十二号哨戒艇」は「第三十三号哨戒艇」とともに、「揚陸艇」として「ウェーク島攻略作戦」に参加します。

ところが、この「ウェーク島攻略作戦」は悪天候と米軍の抵抗により、大戦果を挙げた大東亜戦争緒戦の中でも失敗した作戦となってしまい、一等駆逐艦「疾風」「如月」を喪失してしまいます。(大東亜戦争緒戦の負け戦・駆逐艦「疾風」「如月」の爆沈

「第三十二号哨戒艇」と「第三十三号哨戒艇」は大発を降ろすことに成功し陸戦隊も移乗しましたが、避退命令が出たたため陸戦隊は取り残されてしまい、一等駆逐艦「睦月」に収容され事なきを得ています。

 

体勢を立て直した帝国海軍は、昭和16年12月21日にウェーク島への上陸を目指し再度出撃します。

攻略部隊は順調にウェーク島に接近しますが、この日も海上の状況は悪く「第三十二号哨戒艇」は大発を降ろすことに成功しましたが、「第三十三号哨戒艇」は大発を降ろすことができず、この2隻は海岸に擱坐し上陸することとなります。

 

ウェーキ島に擱座する「第三十二号哨戒艇」(左)と「第三十三号哨戒艇」(右)

(米国海軍または米国海兵隊 - 潮書房 丸スペシャル No.49 『駆潜艇・哨戒艇』 55P, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13252554による)

 

この2隻に続き、各艦船からも陸戦隊が大発でウェーク島南岸とウィルクス島に上陸しますが、上陸した陸戦隊のうち、舞鶴特陸一個中隊の本隊は砲台と機銃陣地の真正面に上陸し猛烈な反撃を受けて中隊長が戦死するなど激しい戦闘が行なわれます。最終的には、帝国海軍の陸戦隊はウェーク島攻略に成功します。

 

擱座した「第三十二号哨戒艇」「第三十三号哨戒艇」の2隻は、放棄された直後に「第三十二号哨戒艇」は米海軍海兵隊の対空砲による砲撃で破壊され、昭和17年1月10日に除籍されます。

 

ウェーキ島で擱座し破壊された「第三十二号哨戒艇」

(引用:「日本海軍全艦艇史 下巻」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.847)

 

大東亜戦争緒戦のウェーク島攻略は、「第三十二号哨戒艇」と「第三十三号哨戒艇」による強行上陸無しには語れないと思います。

そして、ウェーク島の守備隊は終戦まで占領を続けることとなります。

 

【参考文献】

Wikipedia および