幻の航空母艦「天城」 今も残るもの | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

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先日、兵庫・竹野港の防波堤として使用された、駆逐艦「春風」を取り上げましたが、今回は浮桟橋となった軍艦について、取り上げてみます。

 

その軍艦とは、巡洋戦艦「天城」です。結構ネット上では取り上げられていますので、ご存知の方も多いとおもいます。

巡洋戦艦「天城」は、「八八艦隊」の5号艦として、また、巡洋戦艦の1番艦として計画され、大正8年7月に「天城」と命名され、大正9年12月に横須賀海軍工廠で起工されます。

【要目】

 常備排水量:41,200トン、垂線間長:234.7m、水線長:249.9m、水線幅:30.8m、吃水:9.4m

 主機:技本式ギヤードタービン×8、 推進軸:4軸

 主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×11、同(重油・石炭混焼×8、

 出力:131,200馬力、速力:30ノット

 兵装:41cm45口径連装砲×5、14cm50口径単装砲×16、12cm45口径単装高角砲×6、

     61cm水上魚雷発射管×8

 ※引用:「日本海軍全艦艇史 資料編」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.35

 

巡洋戦艦「天城」艦型図(引用:Wikipedia)

(sas1975kr - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9758624による)

 

「天城」の建造途中である大正11年2月に合意した「ワシントン海軍軍縮条約」により、建造中の主力艦は廃棄されることになります。これにより、同時期に建造されていた戦艦「加賀」「土佐」は廃艦となりますが、この軍縮条約では「各国とも二隻まで建造中止になった戦艦を航空母艦に改造すること」が認められていました。

これにより、巡洋戦艦「天城」と同型艦の「赤城」は航空母艦に改造することとなります。

 

航空母艦「赤城」(引用:Wikipedia)

(八木 淋男 - JapaneseAircraftCarrierAkagi3Deck.jpg, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11080764による)

 

しかし、大正12年9月に発生した関東大震災により、建造中の「天城」は支えていた盤木が倒れ、船台上で竜骨が脱落し、船体が歪む損傷を受けます。結果、修復困難と判断され解体されることとなります。

 

関東大震災により船渠内で傾いた「天城」(引用:Wikipedia)

(松村壽雄 - 日本海軍全艦艇史p122, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7386833による)

 

震災により損傷した「天城」の代わりに航空母艦に改装されたのが、船体が完成した状態で放置されていた戦艦「加賀」でした。

 

航空母艦「加賀」(引用:Wikipedia)

(Shizuo Fukui - Kure Maritime Museum, Japanese Naval Warship Photo Album: Aircraft carrier and Seaplane carrier, Supervisory 

editor: Kazushige Todaka, p. 31., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10591504による)

 

帝国海軍では、「天城」の船体の一部を再利用することとし、二重底部分を活用し複数のポンツーン(浮桟橋)を作成し、横須賀軍港内で使用されます。

また、「天城」の各種部品や装備の一部は、建造中の「赤城」に流用されたほか、主缶は建造中の給糧艦「間宮」と、第一次改装時の戦艦「榛名」に流用されています。

 

昭和20年7月18日の横須賀軍港(引用:Wikipedia)

赤丸部分が「天城」の二重底を利用した桟橋、白囲みは戦艦「長門」

(不明 - U.S. Navy National Naval Aviation Museum photo NNAM.1996.488.027.036, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18262204による)

 

大東亜戦争後には横須賀軍港は米軍に接収されますが、その後も「天城」のポンツーンは使用され続けます。

 

昭和58年5月の横須賀軍港付近・「天城」

ポンツーンの北側に米海軍航空母艦「ミッドウェイ(CV-41)」

(引用:国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」)

 

2007年3月に、横須賀へ原子力空母「ジョージ・ワシントン(CVN-73)」配備に伴い、「天城」のポンツーンは撤去されることとなります。

「天城」のポンツーンは、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドに払い下げられ、現在でもジャパン マリンユナイテッド横浜事業所磯子工場で使用されています。

 

現在のジャパン・ マリンユナイテッド横浜事業所磯子工場

赤丸が「天城」のポンツーン

(引用:Google Map:加工)

 

今でも、「天城」のポンツーンは現役で海上自衛隊の艦艇などの整備のため使用されています。

 

「天城」は大正9年に起工されて以降、航空母艦への改造決定、さらに関東大震災による損傷により解体されるという悲運の巡洋戦艦です。

しかし、その二重底はポンツーンに形を変え、貴重な帝国海軍の遺産として現存しているのは、感慨深いものがありますね。